ライバルの能力が上でも、そこで諦めてはいけない【野球バカとハサミは使いよう#21】
星野仙一監督が選んだ〝頑丈で従順な男〟
職場に自分と同じ業務を担当するライバルがいたとする。そして、そのライバルが自分よりも学があり、機転も利き、人に好かれそうな性格だった場合、多くの人は少なからずショックを受けるだろう。
プロ野球界でも1980年代中期~2000年代にかけて、中日などで長らく活躍した捕手・中村武志がそうだった。中村は84年のドラフト1位であり、その後も捕手として通算1955試合出場を記録するなど、一見すると順風満帆な野球人生だと思われがちだ。しかし、実際は若手時代に強力なライバルが君臨しており、その存在になかなか勝てない日々があったのだ。
中村の前に立ちはだかっていたのは、中尾孝義という天才肌の先輩捕手だった。中尾は中村より10学年上であり、82年の中日優勝時にはシーズンMVPに輝くなど、確かな実績もあった。さらに中尾は旧来の捕手のイメージであるアンコ体形の鈍足選手ではなく、スマートな体形で俊足強肩という高い身体能力とスター性を誇っていた。
一方の中村は先述した旧来型の捕手で、プレースタイルにも中尾のような派手さがなく、やや地味なイメージだった。少なくとも身体能力や野球センスという意味では中尾に到底及ばない。中村が控え捕手に甘んじるのも当然であった。
しかし、そんな中村に転機が訪れる。87年に就任した星野仙一新監督が、どういうわけか中尾よりも中村を評価し、レギュラー捕手に抜てきしたのだ。
当時、能力的には中尾のほうが上だったのだが、その中尾はけがが多く、我の強い性格でもあったため、新監督にしてみれば扱いづらい存在だったのだろう。その点、中村は故障知らずの頑丈な体に加え、監督命令にも素直に従う、実に扱いやすい性格をしていた。
さらに中村には無類の忍耐強さもあった。熱血漢の星野監督がどんなに怒っても、中村は心を折ることなく、屈辱に耐え忍びながら着実に成長していく男だったのだ。
この中尾と中村のレギュラー交代劇は、サラリーマンにとっても教訓になるだろう。能力的には格上の人間がライバルにいたとしても、そこで諦めてはいけない。能力で勝てないなら、上司にとって扱いやすい人間になればいいのだ。
そのためには、従順さと我慢強さが必要になってくる。どんなに難しい業務であっても、それに素直に取り組み続けていれば、いつかライバルに勝てるチャンスが訪れるはずだ。
父親の壮絶愛で〝更生〟した投手
世界のイチローがまだ日本球界のオリックスに在籍していた1990年代、そのオリックスはリーグ屈指の強豪球団だった。中でも95~96年は2年連続でパ・リーグを制しており、まさに黄金期を迎えていた。
そんな黄金時代のオリックスで、貴重なリリーフ投手として活躍したのが鈴木平である。87年にドラフト3位でヤクルトに入団。95年にオリックスに移籍し、花開いた。特に96年の活躍は鮮烈で、サイドスローともスリークオーターともとれる変則フォームからナチュラルに変化するクセ球を武器に、抜群の安定感を誇った。この年の鈴木はクローザーとしての起用も多く、オールスターにも初出場するなど、自軍の日本一に大きく貢献した。ちなみに、その日本シリーズでも優秀選手賞に選ばれている。
さて、そんな鈴木がプロ野球選手として成功した要因のひとつに、父親の厳しい指導があったという。父親の野球愛、中でも息子にかける思いはことさら強く、鈴木は子供のころから父親と二人三脚でプロ野球選手を目指していたわけだ。
ところが、中学時代の鈴木は非常に気性が荒く、いわゆるヤンチャ少年の面も持ち合わせていた。それが時として野球に悪影響を及ぼすこともあり、父親は再三叱りつけていたという。
そして、この父親がすごいのは、その叱り方である。息子のことを乱暴に怒鳴りつけるだけでなく、体罰よろしく一方的に殴るわけでもなく、息子の心理をよく理解した実に効果的な叱り術。それはたばこの火をいったん自分の手に押し付け、その手を息子の手にも押し付けるという、父子が同じ痛みを共有する壮絶なものだったのだ。
これをされたら、息子は嫌でも反省するしかないだろう。ただ叱られるだけなら反発するのが思春期というものだが、自分が悪さをすればするほど父親が痛みを伴うと思えば、罪悪感が湧いてしかるべきである。
こういった叱り術はサラリーマン社会の人材育成にも応用できる。誰かを厳しく叱るという立場にいる人間は、その叱り方にこそ細心の注意を払わねばならない。人の尊厳を踏みにじるような口汚い罵声を浴びせるだけでは、叱られる側の心に響くことはないだろう。
叱るという行為は決してストレスのはけ口ではなく、叱る側にも精神的な痛みや苦しみを伴うものだ。しかし、それは簡単に相手に伝わるものでもないため、叱る側は「自分にも痛みがあるのだ」ということを相手にわからせる必要がある。叱る側と叱られる側が痛みを共有し合うことで、初めて最大の効果が得られるのだ。
※この連載は2012年4月から2013年9年まで全67回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全33回でお届けする予定です。