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武藤敬司が語る天龍源一郎&三沢光晴【スーパースター烈伝#5】

はじめに

 九スポ(九州スポーツ)でしか紙面掲載されなかった好評企画がnoteで復活!「武藤敬司のプロレススーパースター烈伝」では〝プロレスリングマスター〟武藤敬司が歴史に名を刻んだレジェンドレスラーたちをタブーなしで語ります。(運動二部・前田聡)

勝ち名乗りを受ける三沢(左)と武藤(04年10月31日、両国国技館)

勝ち名乗りを受ける三沢(左)と武藤(04年10月31日、両国国技館)

天龍さんの考え抜かれた技の見せ方がすごい

 天龍さんを初めて体感したのはいつかは覚えてねえけど、その時思ったのはやっぱり長州(力)さん藤波(辰爾)さんとは違うってことだよな。育ちが違うっていうか。

日本プロレス殿堂会の設立を発表し記念撮影に収まる(左から)天龍、藤波、長州(20年2月20日、都内のホテル)

日本プロレス殿堂会の設立を発表し記念撮影に収まる(左から)天龍、藤波、長州(20年2月20日、都内ホテル)

 天龍さんの素晴らしいのは、まずはやっぱり〝プロレス頭〟。新しい技とか作ることに意欲的だったりさ。グレート・ムタなんて毒霧を吐こうとしたら口を手で押さえられて逆流させられたこともあったし、引退間際(2019年9月)にはキスして毒霧を吸い取っていきやがったからな。あれもプロレス頭の良さだよね。それに例えば俺と対戦するとパッと、シャイニングウィザードとかやるんだよ。どんくせえんだけど、またそこに味があるんだよな。

 天龍さんのプロレス頭がなぜ素晴らしいか? やっぱりプロレスが好きなんだろうな。プロレスラブだからこそでしょう。

天龍(右)に毒霧をふさがれたムタ(96年10月11日、大阪府立体育会館)

天龍(右)に毒霧をふさがれたムタ(96年10月11日、大阪府立体育会館)

 あとは「間」がいい。俺とは「間」が合うんだよ。だから、俺の初めての東スポプロレス大賞のベストバウトって、天龍さんとの試合でさ。多分長州さんとじゃ取れなかったよ(笑い)。

 そういやああの人と全日本に居た時、一緒に巡業とかも行ったんだよ。そこである意味リスペクトしたのがさ、少し集客に苦しんだ時に限って激しい試合をするんだよね。プランチャしたりさ。普通は逆だよ、俺なんか…(笑い)。若いころからそうやって培ってきたあの人のスタイルというか反骨精神なんだろうな。

猪木(左)と一騎打ちで対戦する天龍(94年1月4日、東京ドーム)

猪木(左)と一騎打ちで対戦する天龍(94年1月4日、東京ドーム)

ハッスル軍入りした天龍はHG(右)と「フォー」のポーズ(07年7月14日、アクトシティ浜松)

ハッスル軍入りした天龍はHG(右)と「フォー」のポーズ(07年7月14日、アクトシティ浜松)

 唯一天龍さんと俺に共通することは非常に多くのレスラーと対戦していることだよね。馬場さん猪木さんを筆頭に、多くの外国人レスラーともやっているし。電流爆破もやってるしハッスルでHGとまでやったもんな。そこはあの人のイズムというかすごいよね。最初に述べたプロレス頭というところの延長なんだろうけどね。

 引退試合のオカダ(カズチカ)戦だって、だれでもできるわけじゃねえじゃん。だけど、そういうことも実現できるというのは、あの人がプロレス界に奉仕してきたことが認められたんだろうね。

引退試合でオカダ(右)にラリアートを見舞う天龍(15年11月15日、両国国技館)

引退試合でオカダ・カズチカ(右)にラリアートを見舞う天龍(15年11月15日、両国国技館)

移籍の概念を変えたマット界の革命児

 天龍さんがその後のプロレス界を変えたもの? それはもう「移籍」の概念だろうな。いろんな団体を渡り歩く生き方を作ったよね。ただそうやって生きるにしても、レスラーとしての商品価値がないと使われねえじゃん。それでも生き抜いたっていう。レスラーとしてのタイプこそ違えど、長州さんと生き方は似てるかもしれねえな。

天龍(右)がジャイアント馬場からパワーボムでピンフォールを奪った(89年11月29日、札幌中島体育センター)

天龍(右)がジャイアント馬場からパワーボムでピンフォールを奪った(89年11月29日、札幌中島体育センター)

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