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守備が下手だった僕がゴールデン・グラブ賞を受賞できたワケ ポジショニングの妙は「100%近い確信と予測」【仁志敏久連載#6】

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骨折から復帰してオールスター初出場

 新たなスター・高橋由伸君の入団で沸いた1998年。前年の秋季キャンプでは巨人を逆指名したことに驚きを隠せませんでした。

 他チームへの意志を固めたとの報道もあった中、「巨人へ」という会見。笑顔がなかったため、「もしかしたら本当は他のチームに行きたかったのでは」という勘ぐりもしましたが、後々その理由を聞いたところ、「前の日にたくさん飲んでいて、あまり寝ていなかったから」ということでした。彼らしい一面です。

高橋由伸が巨人入団発表、左は長嶋茂雄監督(97年12月)

高橋由伸が巨人に入団。左は長嶋茂雄監督

 この年、開幕から好調を維持し、「今年こそいい年に」と、思っていた矢先。10試合目に悲劇が起こりました。

 4月14日の中日戦。マウンドには今中慎二さん。第3打席でチームバッティングのため、右打ちを心がけながらインコースの真っすぐを打ちにいきました。そのボールが少し内側に外れていたため、バットを止めにいったところ、バットから離れた右の手のひらに直接ボールが当たりました

 すぐに手に当たったことをアピールしましたが、ファウルの判定は覆らず、仕方なく痛みをこらえて打席を続けました。

 結果は二ゴロ。そのまま守りにもつき、続く第4打席まで痛みをこらえていたのですが、この打席でファウルフライに倒れ痛みも限界。自ら「代えてください」と申し出、そのまま都内の病院へ直行。

 検査結果は「右手第5中手骨骨折」。プロに入って初めてのケガ。仕方ないとはいえ、非常にがっかりしました。

 一軍復帰まで約1か月。自分がプレーしているチームをテレビで見るのはなんとも不思議な感じでした。また、ドーム球場の試合では日暮れなど分かりませんから、「夕方に日が暮れる当たり前のことを最近は分からなかったなぁ」。そんな情緒的なことも感じていました。とはいえ、早く戻りたい。

 復帰後、骨折の影響はほとんどなく、好調に試合をこなしていきました。

 その結果、初のオールスター選出。ファン投票での選出ですから、選手として認められたようで非常にうれしかったことを覚えています。

 この年、巨人からは清原和博さん松井秀喜君、高橋由伸君、元木大介、監督推薦で斎藤雅樹さん、趙成珉君、清水隆行(現崇行)君の全部で8人が選ばれました。

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オールスター第2戦の表彰台でMVPの松井と並んだ

 第1戦はナゴヤドーム。7回からセカンドに入り、8回に回ってきた打席では三振。

 第2戦は千葉マリン。フォアボール、セカンドエラーで迎えた第3打席。日本ハムの関根裕之君からレフト前ヒット。続く第4打席は近鉄の守護神、大塚晶文君からレフト前ヒット。内野ゴロで二進後、三盗に成功し、暴投の間にホームイン。これが同点のホームとなり、引き分けで終わったため、優秀選手賞を頂くことができました。そして後半戦。弾みがつきましたが、大きな事件が降りかかってきたのです。

カリブの怪人が起こした前代未聞の事件、そして突然の「長嶋監督辞任」報道に揺れた98年

 開幕5連勝でスタートした1998年。今年こそはと誰もが思ったはず。しかし、4月中旬に首位から陥落。浮きもしなければ沈みもしないその後のチーム状況。このまま何事もなく終わってしまうのかと思っていたところ、勝敗以外でも大きな騒動が起きました。

 前代未聞の事件です。7月31日の甲子園球場でのこと。この試合で先発したのが入団3年目の同期、カリブの怪人と呼ばれたバルビーノ・ガルベス

 微妙な判定に納得がいかないようでイライラしながら投球をしていたのですが、6回に坪井智哉君にホームランを打たれて交代を命じられたことでその怒りが一気に爆発。

怒りの収まらないガルベス、右手前は長嶋監督(98年7月31日)

怒りの収まらないガルベス

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守備が下手だった僕がゴールデン・グラブ賞を受賞できたワケ ポジショニングの妙は「100%近い確信と予測」【仁志敏久連載#6】

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