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ドラ1立浪入団で星野監督から「セカンドに行け」【宇野勝連載#7】

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休みをなくし罰金増やした星野監督だったが…

 星野仙一さんが監督に就任してベンチの雰囲気は一変した。そのピリピリムードはすごかった。監督は何かを蹴るやら、殴るやら…。物もよく壊れていた。野球自体は変わるわけではないので、試合に出ている私にはそれほど影響はなかったが、ベンチにいた選手は大変だっただろうと思う。

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闘将・星野監督(右から2人目)

 星野さんが監督になって参ったのは休みがほとんどなくなったこと。北海道から帰ってきた移動日にもユニホームに着替えて練習させられた。それがシーズン終了まで続いた。罰金も増えた。バント失敗、サインミスなどいわゆるボーンヘッドは10万円。投手陣は星野さんが投手出身だったこともあって、より罰金の種類が多く厳しかったそうだ。

 2月1日のキャンプインに万全の体で来なかった選手も罰金。これは100万円と高額だった。私はなかったが、払っている選手も何人か見た。今思えばケアする時間はあるのに、キャンプが始まった日に「どこどこが痛い」というのはないとは思うが…。

審判に抗議する星野監督(1987年4月14日、ナゴヤ) 

審判に猛抗議する星野監督(1987年4月14日ナゴヤ球場)

 私も罰金を払ったことがある。最も高額だったのは門限破りだ。意外に思われるかもしれないが、私が門限を破って罰金を払ったのは1度だけ。実はチームに門限はあるが、そこまで厳しいものではなかった。「一応、ありますよ」といった程度のものだ。だから見つかっても見て見ぬふりとか、連勝中などは大目に見るという習慣もあった。

 だけど絶対に破ってはいけない日もあった。そんな時はバスを降りるときにマネジャーが「明日から大事なゲームなんで気をつけてくださいよ」とさりげなく教えてくれた。後で聞いた話だが、私の門限破りが発覚したのは、六本木で飲んでいる私を見かけた星野さんの知り合いが“通報”したからだという。

「おまえのところの選手がこんな時間に飲んでいるけど、いいのか?」

 余計なことをしてくれる人もいるものだ。門限破りの罰金は30万円。きっちり支払った。

 当時は休みが減り、罰金が増え、不満を漏らす選手もいた。表立っては言わないが、ロッカーなどでは「休みもなく罰金まで取られて、何でここまでがんじがらめにされなきゃいけないんだ」「罰金はいったいどこに使ってんだよ」と文句をいう選手もいた。

 ただ罰金も増えたけどその分、賞金も増えていた。いわゆる監督賞だ。以前もあった制度だが、年がら年中のことではない。それが星野さんの体制になって毎試合、それぞれに10万円単位で出ていた。そういうシステムは初めての経験だったのでうれしかったね。厳しく罰金は取るけど、やれば出す。「アメとムチ」が徹底していた

 その賞金はどうしたかって。その日のうちにみんな使っちゃったけどね。

星野監督(1987年、大洋戦=横浜)

アメとムチが徹底していた星野監督

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