「働く男」は、時に「できる男」を超える!【野球バカとハサミは使いよう#11】
元々右打ちなのに左打者になった野村謙二郎
出世を目指すサラリーマンの中には「自分はチャンスに恵まれない」と嘆く人も多いことだろう。チャンスをどう生かすかの前に、チャンス自体が訪れない。つまり、ふがいない現状を運のせいにしているわけだ。
そこで紹介したいのが、広島・野村謙二郎のエピソードである。ご存じ、現役時代は俊足巧打のトップバッターとして、通算2000本安打を達成した名選手であった。
そんな野村は小学生で野球を始めると、瞬く間に地元で評判の選手に成長。高校進学後は右利きであるにもかかわらず、俊足を生かすために左打者に転向し、後年のスタイルである「右投げ左打ち」を完成させた。
したがって、高校時代の野村の最初の課題は左打ちに慣れるということだった。本来が右利きのため、相当な時間と労力を要したことだろう。実際、左打ちをマスターする前の野村は控えに甘んじていたという。
ところが、ある試合で転機が訪れる。当時の監督がスタメンを検討しているとき、左打者が足りないということで困っていた。そこで控え選手たちに「左で打てるやつはいるか?」と聞いたところ、まだ左打ちをマスターしていないはずの野村が真っ先に手を挙げたというのだ。
そう、いわゆるハッタリというやつである。このときの野村には、レギュラーを勝ち取るための千載一遇のチャンスを絶対に逃してなるものかという強い気持ちがあったのだろう。本当に左で打てるかどうかなんて関係ない。うそをついてでも、とにかく試合に出たかったのだ。
かくして野村はその試合に出場し、さらに急造左打者ながら見事なヒットを放つなど、後のレギュラー獲得につなげたという。このへんの「チャンスを生かせる力」は、さすが一流選手になる素材である。
しかし、それ以上に圧巻なのは、やはり「チャンスをたぐり寄せる力」だろう。これはサラリーマンにも見習っていただきたいのだが、チャンスというものは待っているだけではやってこない。自ら積極的にチャンスを探す姿勢が必要なのだ。
例えば、ある仕事のオファーを受けたとき、それが自分には難しそうだからといって簡単に断ってはいけない。内心は自信がなくとも、堂々とした態度をつくろい、見切り発車で快諾することが、すなわち「チャンスに恵まれる」ということだ。その後の対応は、引き受けてからゆっくり考えればいいのだ。
球界屈指の「働く投手」
かつて日本球界で、3人の台湾出身投手が同時に活躍した時代があった。1980~90年代の西武・郭泰源、中日・郭源治、ロッテ・荘勝雄。彼らは「二郭一荘」と並び称されていた。
特に郭泰源と郭源治のいわゆる二郭は、人気・実力ともに抜群だった。郭泰源は西武黄金時代を支えたエース格の先発投手であり、郭源治は88年の中日リーグ優勝時にMVPを獲得した絶対的クローザー。2人とも日本で10年以上プレーし、通算100勝以上を記録している。
一方の荘は少々地味な存在だった。ロッテの先発投手として85~89年まで5年連続2桁勝利を記録したものの、日本球界11年で通算70勝、防御率は4点台。二郭の通算防御率がどちらも3点台前半であることを考えると、荘の実力は一段劣るという印象だった。
しかし、荘には二郭にはない大きな特徴があった。それは彼が球界屈指の「働く投手」であったということだ。
なにしろ荘は87~89年まで3年連続200回以上を投げ、毎年15完投以上を記録しているのだ(87年は20完投)。年間防御率は4点台が大半で、負け数も多い投手ではあったが、「チームのためならいくらでも投げる」という勤勉な姿勢は二郭をはるかにしのいでいた。
だからこそ、荘は球団に重宝された。それを証拠に、引退後の二郭がどちらも日本球界に指導者として残っていないのに対し、荘は95年に引退後、約15年間もロッテのコーチを務めている。91年に帰化し、コーチとしては坂元姓を名乗るなど、荘はどこまでも日本球界のために働き続けた男だったのだ。
この二郭一荘の話にはサラリーマンのためになる人生訓が詰まっている。確かに二郭のように有能な人材は会社の花形になりえるのだろうが、荘のように一段下がる実力でも、がむしゃらに働き続けることで高く評価されることもある。「量より質」ではなく「質より量」。いくら時代が変わり、成果至上主義が叫ばれようが、日本人のDNAにはまだまだ働き者を美徳とする価値観が残っているはずだ。
仕事をしていると、誰もが「できる男」に憧れるものだ。だからサラリーマンの多くは仕事で成果を上げること、つまり結果ばかりを求めてしまう。しかし本当に重要なのは、まずは「働く男」になることだ。勤勉実直な姿勢と労働量の増加。それが先々の結果につながることは間違いない。「働く男」は、時に「できる男」を超えるのだ。
※この連載は2012年4月から2013年9年まで全67回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全33回でお届けする予定です。