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感想だけで「読書感想文」を書くの無理ゲー説【小学校高学年向け】

 小学生のみなさん、こんにちは。もうすぐ夏休みですね。たくさん遊んで楽しい思い出をいっぱい作ってください。とは言っても、学校の先生から出される夏休みの宿題で「気が重いよ…」と思っている人もいるかと思います。今日は特に苦手な人が多い「読書感想文」のコツをみなさんに紹介します。きっと1200字なんてあっという間に書けるようになりますよ。


まずは〝敵〟の特徴をつかむべし

 読書感想文のコツをつかむ前に、「学校の先生はなぜ読書感想文なんか書かせるのだろうか?」と考えてみましょう。「青少年読書感想文全国コンクール」のホームページには、こう書いてあります。

Q.読書感想文は、何のために書くの?
A.書くことによって考えを深められるからです。読書感想文を書くことを通して思考の世界へ導かれ、著者が言いたかったことに思いをめぐらせたり、わらかなかったことを解決したりできるのです。ですから読書感想文は「考える読書」ともいわれます。また、どんなに強く心を動かされても、時がたてばその記憶は薄れてしまいます。読書感想文は自分自身の記録です。読み返すことによって、いつでも「感動した自分」に出会うことができるのです。

https://www.dokusyokansoubun.jp/qa.html

 長~い答えですが、ひと言にまとめると「何か考えてほしい」ということです。読書感想文という文字だけ見ると、読書して感想を書けばいいように思いますが、実は自分が考えたことを盛り込まなくてはいけません。感想だけですべてを書こうとすると…、たいていつまずきます。そもそも「おもしろかった」「楽しかった」という感想(これだけでもホントは立派な感想です!)だけで1200字を書くことは無理ゲーなのです。読書感想文は〝装備品〟を準備してから書き始めると楽にクリアできます。

「考える」ためにどうするか

 大事なことなのでもう一度お伝えしますね。読書感想文は本の感想だけをがんばって書くものではなく、自分の頭で考えたことを文字にするものでした。じゃあ、どうすればいいのでしょうか? きっと一冊の本をすべて読み終えるまでにおなかが減ったり、眠くなったりしますよね。ときには「あれ、どんな話だったかな?」とストーリーの流れを忘れちゃうこともあるでしょう(私もよく忘れます)。

 なので、読みながら気づいたことをどんどんメモします。このメモは誰かに見せるものではないので、字が汚くたって怒られそうなことを書いたって全然かまいません!

 これから私が30年ぶりに『ごんぎつね』を読みながら書いたメモをお見せします。ちなみに、30年ぶりに読んだ感想だけをいうと、「こんなに悲しい話だったんだなぁ。全然覚えていないものだなぁ。つらいなぁ」という35文字しかありませんでした(笑)。

字が汚くても、自分が理解できればOK

 さて、この汚いメモには、物語のおおよその展開を黒で、その後に私が気になったところやと「なんでやねん!」と思った部分を青で記してあります(みなさんは1色で書いてもいいし、もっとカラフルにしても大丈夫です)。

メモにツッコミを入れる

 このメモが読書感想文を書く上での〝装備品〟です。これがあればみなさんが途方に暮れることはないと思います。どう使うかを確認していきましょう。

 まずは、ごんと兵十ひょうじゅうがどちらもひとりぼっちであることに注目してみましょうか。ごんは物語の最初からひとりぼっちですが、兵十はおっかぁが亡くなることでひとりぼっちになります(正確には兵十には加助かすけという友達のような話し相手がいますが、ここではひとり暮らし=ひとりぼっちとします)。

そこで、「ごんは罪滅ぼしだけでなく、自分と同じ境遇になった兵十に同情したから、栗やまつたけのおくりものをしたんじゃないのか?」と疑問を持ち始めると、「結局、兵十はごんを撃ち殺してしまったからこの後もひとりぼっち(でかわいそう)」とか「ひとりぼっち同士が仲良くなる方法はなかったんだろうか…」と次の考えがわいてくると思います。

 今度は、ごんと兵十をめぐる話なのに、2人の会話がほとんどないところにツッコミを入れてみましょう。ごんはキツネだから喋れないのが当たり前かもしれませんし、物語ではごんが兵十に言葉をかける場面はひとつも見当たりません。一方、兵十がごんに向けて話したのはウナギを盗まれたときの「うわぁぬすっと狐め」と、火縄銃を撃ってしまったラストの「ごん、おまえだったのかい」の2回だけ(これにごんがうなずくから言葉を理解してるっぽい気もしますね)。ストーリーが進む中で、ごんが兵十を思いやっていることはたびたび伝ってきますが、だとしたらリアルなコミュニケーションができなかったことが悲劇に関係しているんじゃないかと考えることもできそうです。

「水曜日のダウンタウン」の〝説〟にして話を広げる

 他にもいろいろなツッコミを入れることができますが、今考えてきたことを人気バラエティー番組「水曜日のダウンタウン」(TBS)のように〝説〟にしてみると、ごんぎつねというお話が物語という箱を飛び出して自分のことのように感じられるようになります。そうすると、みなさんが書けることがもっと増えていきます。

 たとえば、こんな〝説〟があったとしたら、いつもより楽しく感想文が書けそうな気がしてきませんか?

「ごんぎつね」のラストが悲しい理由、コミュニケーション不足が原因だった説

(コミュニケーション不足を示して、自分が今後どうするかを書いてみるとけっこう書けそうですね)

「ごんぎつね」、兵十のおっかぁうなぎを欲していなかった説

(これはちょっと学校の先生に怒られそうですね…、でもうなぎが食べたくて死んだに違いないというのは、ごんの推測に過ぎないと解釈することもギリギリ可能な気がします)

「ごんぎつね」を私に話した茂平というおじいさんの気持ち不明すぎ説

(物語の中心はごんと兵十です。めちゃくちゃ悲しいお話です。それなのになぜ、茂平というおじいさんは私にこの話を聞かせたのかという視点で考えてみましょう。謎が謎を呼びます)

「ごんぎつね」のごん、いたずら好きの神様だった説

(加助は兵十に、栗を運んでるのは「どうも、そりゃ、人間じゃない」と言っていて、これは正解でした。加助の言っていることが全部正しいかも…と考えると、ごん=神様ってことも考えられますよね。神様が死ぬのかどうか、その先を考えるのはとても難しそうですが…)

おわりに

 だいぶ長くなってしまってごめんなさい。でも、〝説〟までたどりつけたらあとは、あれこれ考えたことを好きに書くだけです。

 本来、読書は自由なものです。正直に言うと「つまらなかった」という感想だけでもいいと思いますし、読みたくないものを読む必要もないと私は思っています。ところが、世の中には読書感想文を書くのに苦労したせいで、本を読むことが嫌いになってしまった大人も結構いるのです。それはとてももったいないことだと思い、この記事を書くことを決めました。みなさんが早く読書感想文を終わらせて、夏休みを楽しむことを願っています。私は夏休みにゆっくり本が読みたいです(笑)。(東スポnote編集長・森中航)

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