「ウマ娘」では良家のお嬢様!ファンも振り回された不屈の名馬・キングヘイローのGⅠロードを「東スポ」で振り返る
「ウマ娘」ではプライドの高いお嬢様キャラになっているキングヘイロー。ちょっと不器用なところがカワイくて人気なんですが、現実のキングヘイローも、たくさんの人を振り回し、そしてたくさんの人に愛されました。クラシックではスペシャルウィーク、セイウンスカイとともに3強を形成するものの煮え切らず、グラスワンダーやエルコンドルパサーも含む同級生の中で、ツッコミどころの量はダントツ。でも、それがまた絶妙な味わいになった名馬でした。黄金世代、最後のワンピースを「東スポ」で振り返りましょう。
超良血
「ウマ娘」というのは本当によくできています。キングヘイローが「良家のお嬢様」というのはまさに史実通り。母がGⅠを勝ったこともあるウマ娘(引退後は一流デザイナー)というのも同様で、実際のキングヘイローの母・グッバイヘイローは、アメリカのGⅠを7勝もしたスーパー牝馬でした。引退後、日本人に買われて海を渡る際、多くの米国人が別れを惜しんだといいます。
父もすごいです。1986年に欧州の2大GⅠ「キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス」と「凱旋門賞」を勝ち、年度代表馬に選ばれたダンシングブレーヴ。種牡馬として日本にやってきていた80年代のヨーロッパ最強馬と、米国を代表する名牝から産まれたのがキングヘイローなんですね。名前からも、めちゃくちゃ期待されていたのが分かります。何せ、母の名前+「キング」ですから(ひと昔前までは、このぐらい〝期待度〟が分かりやすい馬名が結構ありました)。
関西の厩舎に入ったキングヘイローの競走生活は、血統にたがわぬ幕開けでした。デビュー戦と2戦目を連勝し、3戦目は東京競馬場の「東京スポーツ杯3歳ステークス」。この頃は馬の年齢の数え方が今と違って「3歳」となっていますが、現表記では「2歳」馬同士のレースです。名前の通り、我が東京スポーツの社杯でして、前の年から重賞(GⅢ・ちなみに今秋からGⅡに昇格します)になっていました。「東京競馬場の芝1800メートル」という条件は、馬主さんや調教師の皆さんには非常に魅力的です。まぎれの少ない広くて直線の長いコースで絶妙な距離設定だから馬の実力や適性を見極めるのにぴったり。なおかつ、ダービーが行われる東京競馬場を経験させておくこともできます。今では名馬の登竜門として確固たる地位を確立している、そんなレースで、キングヘイローは1番人気に支持されました。
「来年のクラシックの主役はこの馬!」と誰もが感じる完勝! 2馬身半差をつけた2着はマイネルラヴ。当シリーズを読んでくださっている人は、聞き覚えがありませんか? 前回のnote、タイキシャトルの引退レースで大金星を挙げたあの馬です。それは翌年末のことなんですが、ひとまずこの時点では、マイネルラヴが続く朝日杯3歳ステークスで怪物グラスワンダーの2着に入ったことで、キングヘイローの価値もさらに上がりました。その朝日杯の2週後に関西で行われたラジオたんぱ杯3歳ステークスというGⅢをキングは取りこぼすのですが、不利があったようにも見えた2着だったので評価は下がりません。さあ、いよいよ、クラシックシーズンが始まります。
1998年クラシック3強
皐月賞を目指し、前哨戦として選んだのは王道中の王道「弥生賞(GⅡ)」。キングが休んでいる間に、台頭してきた馬が2頭いました。
まずは大外、キングと同じぐらい印を集めているのがスペシャルウィークです。天才・武豊ジョッキーのお気に入りで、2月のきさらぎ賞を圧勝。一躍クラシック候補となっており、キングの単勝2・1倍に次ぐ2・8倍の2番人気に支持されます。もう1頭が3番人気のセイウンスカイ。地味な血統と騎手ながらぶっちぎりの2連勝中でした。キングとともに1998年のクラシックを「3強」として引っ張っていく3頭が初めて直接対決したのがこの弥生賞だったのですが、レース前の見方は「血統も良くて素質も感じるキングとスペシャルはどちらが強いのか。2頭にセイウンスカイがどこまで迫れるか」というものでした。しかし、レース後、立ち位置は大きく変わります。スペシャルが楽勝したのです。
2着は逃げたセイウンスカイ。キングは内で折り合いをつけているうちにポジションを下げ、4角7番手から追い込んだものの、セイウンスカイから4馬身も離された3着に終わります。休み明けで反応が鈍かったとはいえ、ハッキリ言って負けすぎでした。セイウンスカイも楽々かわされてしまったので、見出しにあるように、弥生賞後の構図は「今年はスペシャルウィークで決まり」になります。皐月賞の印もこの通り。
単勝はスペシャル1・8倍。セイウンスカイが5・4倍、キングが6・8倍ですから、完全に1強になっていました。でも、レース後、それは再び3強に戻ります。先行したセイウンスカイが馬場の良さを生かして早めに抜け出して勝ち、キングが2着。後方から大外を追い込んだスペシャルは3着に敗れるのです。
キングのレースぶりはなかなか見どころがありました。内で包まれた弥生賞の敗戦を糧に、スタートを決めて外目の3~4番手をスムーズに追走。最後までしっかり脚を伸ばして前にいたセイウンスカイを半馬身差まで追い詰めつつ、スペシャルの猛追も凌いだのです。
「やっぱり強いじゃん」
評価は急上昇。ゴール前でバテている様子もなかったので距離延長も問題なく、直線の長い東京競馬場でなら少なくともセイウンスカイは逆転できそうに見えます。対スペシャルでも、追い込む脚の強烈さでは及びませんが、キングには他にも応援したくなる要素がありました。
プリンス感――。
冒頭でご説明した血筋の良さが徐々に表に出てきているのをファンは敏感に察知しました。成人して国民にお披露目された王子様がイケメンだったというのは言い過ぎかもしれませんが、とにかく魅力十分。改めて血統をひもとけば、まだ産駒が多くない割に大物を輩出していた父ダンシングブレーヴの底知れなさは、既に旋風を巻き起こしていたスペシャルの父サンデーサイレンスに対抗し得る存在にも映りました。それに加え、母の「GⅠ7勝」が効いています。大舞台で底力を発揮しそうな下地を持っていたのです。
プリンス感はジョッキーにもありました。キングヘイローの主戦・福永祐一騎手は、デビュー3年目の若手ながら、父は元天才ジョッキー。96年に華々しいデビューを飾ると、1年目から期待にたがわぬ成績を残していました。
甘いマスクとエリート感、厩舎関係者や先輩騎手にも大事にされており、そんな中でキングヘイローというクラシックをにぎわせるような馬と早々に出会うのですから、〝持っている〟とも言えます。正直、ダービーの人気馬に3年目で乗るのはハードルが高いです。でも、ファンは、武豊に次ぐプリンスとして、福永騎手を担ぎました。記者の印も皐月賞とは比べ物になりません。
単勝2・0倍のスペシャルには及ばないものの、3・9倍の2番人気。キングになるべきプリンスは、大きな大きな期待を背負ってゲートを出ていきました。
「よし!」
馬券を買っていたファンが小さくガッツポーズをするぐらい絶好のスタート。今までのレースぶりから、内で包まれてしまうのは避けたいところで、調教師からも「1コーナーで(他馬に)被されないよう」と指示されていた福永騎手は、少しだけ馬を促します。すると、大舞台で気が急いていたキングはグッとハミ(馬の口にかませる金具)を噛みました。
「抑えないとまずい…」
ムキになってこなせる距離ではありませんから、騎手もファンもそう思ったはずです。ベストな選択肢は、他の馬がさっさと先頭に立ち、その後ろに収まること。でも、よりによってどの馬も積極的にはいきません。頭が真っ白になっていたという福永騎手、気が付けば先頭で1コーナーを回っていました。逃げたことのないキングはますますムキになり、完全にテンパってしまいます。ムダに体力を消耗させながら馬群を引っ張ることになった2番人気馬は、4コーナーを回り、あっさりセイウンスカイにかわされると、抵抗することなく、ズルズルと下がっていったのでした。
「まだ早かったか」
馬も、人も、少し経験が足りなかったのかもしれません。
「まだまだ青いな」
キングを軽視していたファンはほら見たことかと言わんばかり。こんな辛辣な言葉を発する人もいました。
「これだからお坊ちゃんは…」
福永騎手はこの悔しさをバネに精進し、トップジョッキーへの道を駆け上っていきます。全国リーディングも獲得し、なかなか縁がなかったダービーも40歳を超えて初めて制し、その勝利を含めてここ5年のダービーでは3勝という驚異的な勝負強さ。プリンスは、今やジョッキー界のキングになったのですが、一方のお坊ちゃん、キングヘイローはどうなったのでしょうか。秋、目指すは菊花賞です。
秋 残る一冠へ
キングヘイローはダービーを勝ったスペシャルウィークよりひと足早く、9月に始動。神戸新聞杯というGⅡに1・9倍という断然人気で登場します。鞍上は福永騎手ではなく、岡部幸雄騎手。関東の名手に白羽の矢が立ったのですが、先に抜け出した馬をとらえられず、後ろからきた馬に差される3着。ガッカリの内容に岡部騎手も手ごたえを感じなかったのか、続く京都新聞杯(GⅡ)では福永騎手に鞍上が戻ります。レースはダービーを勝ったスペシャルウィークとの一騎打ちとなりましたが、力でねじ伏せられた2着。勝負付けが済んだとみなされ、大目標であったはずの菊花賞は、2強にはかなり劣る下馬評で迎えました。
単勝オッズはスペシャル1・5倍、セイウンスカイ4・3倍。10・3倍のキングは上位2頭とかなりの差がある中でしたが、レース自体は非常にスムーズに進めます。それほどムキになることもなく、絶好の5番手を進み、直線ではポッカリ開いた内へ。セイウンスカイが華麗に逃げ切った3馬身ほど後ろで、2着争いに加わりました。
ただ、そこまでがスムーズだっただけに、正直、もっと弾けてもいいような…もどかしい5着にファンが物足りなさを感じたのは事実です。気が付けば、「ウマ娘」で言うところの「サボリ魔のセイウンスカイ」は二冠馬、「一生懸命なスペシャルウィーク」はダービー馬、対して、「超良家の令嬢キングヘイロー」は無冠のまま…。
「なんだかな~」
「ずいぶん差が付いちゃったなあ」
若さゆえに敗れたダービー。だからこそ伸びしろがあると期待して秋もキングを応援していたファンには残念ムードが漂っていました。しかし、ゲームで、「『一流』であると万人に認められることを目指す、プライドの高いお嬢様」であるキングヘイローが、そんな状況を許せるはずがありません。現実世界における陣営も、これだけの良血馬を預かったまま無冠で終わらせるわけにはいきませんでした。どうやればライバルに追いつけるか、そして一流、すなわちGⅠタイトルを取れるか…キングヘイローは翌年、スペシャルやセイウンスカイのいない短距離路線に矛先を向けます。新たな戦いの始まりです。
吉と出るか
路線変更とともに、陣営はシビアな決断を下しました。オトナになった4歳(古馬)初戦、東京新聞杯で新たなパートナーを迎えるのです。
福永騎手に替わって指名されたのは、関東の上位騎手・柴田善臣ジョッキー。冷静な手綱さばきで知られるのですが、その名手が驚くほど、キングはやる気満々のレースを見せます。ハイペースで飛ばす先行馬たちの後ろ、4番手で折り合い、直線ではグングン加速。2着に3馬身差をつける好時計勝ちを収めるのです。
「やればできるじゃん」
ひそかに見限りつつあったファンは再び活気づき、同時に気付きます。
「距離だったのか!」
そう、ダービーも菊花賞も、自らの適性より長かっただけ。今回のレースを見る限り、短めの距離ならトップクラスの力があることが分かったのです。「ウマ娘」のキングヘイローの「オーホッホ!」という高笑いが聞こえてきそうな完勝でした。
レース後、坂口調教師は興奮気味に話します。
「マイルはデビュー戦以来。やはり、速い流れに対応できるか、という不安はありました。それなのに3馬身も離して勝つとは…」
「なんとか勝つ味を覚えさせたいと思ってこのレースを選択したが、今日はこの馬の能力を存分に見せてくれた。これからは1600メートルから2000メートルのレースを使っていくことになるでしょう」
というわけで、続いては1800メートルの中山記念(GⅡ)。これまたハイペースで飛ばす馬の後ろで折り合い、単勝1・8倍の人気にこたえます。
「やっぱり距離だったんだ」
「さすが超良血!」
盛り上がるファン。レースぶりも文句なしで、難なくハイペースについていけるスピードを見ると、速さ方向にマン振りすべき才能を持った馬なのは間違いなさそうでした。父ダンシングブレーヴがスタミナを必要とする欧州芝戦線で活躍し、2400メートルの超王道GⅠを勝っていたことで、長めの距離に適性がありそうだったのですが、どうやら逆。「オーホッホ。やっと気付いたのね」というお嬢様の高笑い(byウマ娘)が聞こえてきそうな新発見に、陣営は昨年の借りを返すべく、ターゲットを春のマイル王決定戦・安田記念に定めます。
「今度こそタイトルを!」
いきり立つファン。悲願のGⅠ勝利に向けて、短距離路線のおぜん立ては整いつつありました。無敵の最強マイラー・タイキシャトルが前年で引退、同期の怪物・エルコンドルパサーは秋の凱旋門賞を大目標に長期遠征中…チャンスを最大限に生かすべく、キングは3月の中山記念の後、およそ3か月、余計なレースを使わず、じっくり調教を重ねます。しかし、その間に、眠れる獅子が目を覚ましてしまうなんて誰が予想したでしょう。前年の有馬記念制覇後、なかなか体調が整わず、どの路線を進むか明らかになっていなかった同期の怪物、誰もが認める黄金世代の裏番長…はい、またまたまたの登場です。当シリーズで何度も何度もスーパーホースの前に立ちはだかってきたあの馬。そう、グラスワンダーが短距離路線に矛先を向けてきたのでした。
単勝オッズはグラスが1・3倍。対するキングは6・0倍。オッズ的には離れていましたが、キングを応援したり、キングから馬券を買っていた人も結構多かった記憶があります。グラスがめちゃくちゃ強いのは誰もが知っているのですが、1800メートル以下のレースに限ればキングヘイローもまだ底を見せていなかったからです。
本紙もレース前日の紙面でキングを推していました。父と母から受け継いだ才能が、短めの距離で最大限に発揮されるならば、一泡吹かせる可能性だってある…。
「今度こそ!」
3強だったはずのスペシャルウィークとセイウンスカイに置いていかれ、同じ同期で別路線を進んでいたエルコンドルパサーもグラスワンダーもGⅠホースになっていました。
「次はお前だ!」
前年の悔しさがあったからこそ、ファンも燃えていました。もちろん陣営も、キング自身も燃えていたでしょう。しかし、「ウマ娘」のキングがそうであるように、この坊ちゃんは時に気ばかりが急いてしまいます。好スタートを切ると、ガツンとハミを噛み、前へ前へ。ムキになっているその姿に、ファンは悪夢のダービーを思い出しました。
「抑えないとまずい…」
誰かハイペースでガンガン逃げてくれ。その後ろに収まり、落ち着いてくれ…その願いも虚しく、制御不能となったキングは2~3番手の外でエキサイトし続け、4コーナーを回るころにはガス欠。切ないほどに馬群に沈んでいったのでした。
「どうして…」
「大事な時に限って…」
育ちも良くて才能もあるのに殻を破れない…こういう〝ひと皮むけないお坊ちゃん〟は人間社会にもいますよね。そういう子が部下だったとして2回裏切られたとしたら、さすがに「おいおい」となったり、見限るケースも出てくると思います。キングの場合もそれに近い状況でした。実際、この安田記念で見限ったファンも少なからずいます。でも、これがお馬さんの素敵なところなんですが、人間のお坊ちゃんのようにダメだったときに言い訳をするわけじゃないんです。「僕、もういいです…」と諦めたりもしません。タイトルを取らせたいという陣営の執念もあるのでしょうが、その後もひたむきにGⅠへ挑戦し続けてくれるので、なんだか声援を送りたくなってくるから不思議です。しかも、2度の免疫ができていますから、過度な期待はせず、ほどほどの距離感で応援できるようになりました。
特に秋のマイルチャンピオンシップでは鞍上に福永ジョッキーが戻ってきたことで、温かい目で見守ったファンも多く、4番人気で2着に入ったものの完敗でもあったので「GⅠは勝ってほしいけど、少し足らないのかな」「よくやってるよ」という気持ちになっていたのは私だけではないでしょう。さらに、この頃になると、キングがいかに乗り難しい馬なのかが明らかになってきていたので余計でした。実はこの馬、外から馬に並ばれるのが大嫌いなので、ゴチャついたり、馬群で揉まれるとダメ。当然、騎手はなるべく外側に馬がいないところに誘導したいのですが、枠が内だったりしたらひと苦労ですし、そもそもキングは不器用なので、ちょこまか動けません。自分がそういうポジションを取ったとしても、相手が外から並びかけてきたら元も子もありませんし、なかなか困った気性だったんですね。
そしてもうひとつ、GOサインを出した後、エンジンがかかるまでに時間がかかるのが問題でした。GⅠ級の走力を発揮するまで、つまりは点火するまでが遅い。他馬より早めにアクセルを踏んでいかねばならず、かといって外から並ばれたらヤル気をなくしてしまうので、好走には条件がつくのです。一番いいのは、皐月賞、東京新聞杯、中山記念のように、外めを先行して後ろの馬に並びかけられる前にアクセルを踏み、エンジンをかけて抜け出してしまうこと。しかし、適距離が分かった後に狙いを定めた古馬短距離路線のGⅠで、そんな絶好位に収まって、プレッシャーをかけられずにレースを進めるのは不可能ですし、周りにも速い馬が多く、先行するのすら大変。なので、やはり周りに馬がいない場所を探しつつ、なるべく早めにアクセルを踏んでいくしかない。最も簡単な戦法は大外ブン回しですが、そこまで距離をロスして勝ち切れるほどGⅠは甘くはないのです。結果、適距離だとしても、どうしても最後の最後、不器用さで負けてしまう。マイルチャンピオンシップも、道中いいところにはいたんです。でも、大外に出して上がっていくわけにはいかず、直線を向いて馬群がバラけてから追い出したものの、なかなかエンジンもかからない。勝った馬と同じぐらいの脚を使っているのですが、先にエンジンを点火することができた勝ち馬には届かないのです。
初の1200メートル戦へのチャレンジとなった続くスプリンターズステークスも、キングの特徴がモロに出たレースでした。立ち遅れ気味のスタートだったのと、速い馬が揃っていたので、最後方からになるのは仕方ありませんが、不器用なので徐々に上がっていくこともできず、馬群を縫って追い込むこともできないので、最後は仕方なく大外に出します。で、懸命に懸命に騎手がムチを振るい、やっとのことでエンジンがかかったころには、既にゴール板(中山の直線は短い!)。すんなり先行した1、2着を追っていたカメラに映らないほどの位置から追い込んできたものの、3着に終わったのです。
「分かっちゃいるけど…」
「いかんともしがたい…」
ナイスネイチャまではいきませんが、ファンにとっては、もどかしさが愛おしさに変わるほどのキャラになりつつありました。諦めたわけじゃないものの、心の中では「無理かもな」。しかし、陣営は諦めません。
中長距離がダメならマイル
マイルがダメならスプリント
スプリントがダメなら…
選択肢はもうないように見えて、まだ1つ残っていました。
芝がダメなら砂!
まさかのダートGⅠ挑戦でした。
あきらめたらそこで終わり
毎年2月に行われる「フェブラリーステークス」は、1997年からGⅠに昇格。もともとダートの猛者が集まる歴史あるレースでしたが、中央競馬における唯一のダートGⅠになったことで、年々、メンバーレベルは上がっていました。とはいえ、一度もダートを走ったことのない馬が出走してくることは稀で、キングヘイローほどの有名馬の挑戦は初。メディアは1週間にわたり、その取捨をテーマに様々な記事を書きました。面白いのは「無理に決まってるじゃん」という正論より、「ダートに魅力を感じる」という論調が多かった点。その根拠は、不器用でドタドタ走るパワータイプだったので力が必要なダートが合いそうなこと、1600メートルという距離がぴったりで不器用なキングにとってワンターンのコースも合いそうなこと、そして何よりここでもあのファクターが出てきます。母・グッバイヘイローの米国でのGⅠ勝利はダートなのです!
常識にとらわれず、常に一歩先の視点を持つ、本紙記者にかかると、これぐらい印がつきます。そして、レース前日の本紙はここまでやりました。
長く競馬を続け、競馬の常識が染みついている人間として、また同じ会社に勤める人間としては驚きつつも、「ちょっとやり過ぎじゃないか?」と心配になりましたが、リスクを背負わなければ進化はありません。しかも、記事ではキングヘイローのダート調教を生で見てきた記者が自信を持って推奨しているのです。加えて、その調教に乗っていた助手さんのこんなコメントも載っていました。
「芝で乗ってるのかと勘違いするくらいのスピード感」
シビれましたね。それまで「無理でしょ」と思っていた私もグラつく説得力だったことをよく覚えていますが、もっとシビれたのはレース当日のオッズです。何と、キングは歴戦のダート馬をさしおいて1番人気! そもそも混戦だったのもありますが、キングヘイローのファンがいかに多かったかの証明でしょう。そしてそれ以上に、冷静に考えて千載一遇のチャンスでもありました。
黄金世代で唯一取り残された馬が、実は最強のダート馬だった――。
こんな台本を書ける人間がいるでしょうか。いませんよね。でも、そんなストーリーが現実のものとなるのが競馬です。ファンは勝利どころか、ぶっちぎりさえ夢みて東京競馬場に向かいました。
「今度こそ!」
「頼むぞ!」
極限まで高まった期待感。ゲートが切られ、キングは中団やや後方を進んでいました。馬群の内。いいのか悪いのか分からない微妙な手ごたえに息をのんで見守るしかありません。
「…」
「…」
結局、ファンは一度も声を上げることができませんでした。1枠2番という内枠も良くなかったのでしょう。砂をかぶり、後方のまま、キングはまったく見せ場も作れずレースを終えたのです。あまりの惨敗に、かける言葉もありません。
「だから言ったじゃないか」
常識人たちの言葉。「いやいや、分かってるんですよ、私たちだって」とキングのファンは心の中で反論します。「分かってるのに応援したくなるんですよ!」と叫びたかった彼らの自問自答が始まりました。
だましたあなたが悪いのか。
信じた私がバカなのか。
ダービー、安田記念に続く3度目の裏切り。いや、勝手に応援して勝手に裏切られてるんですから、キングが悪いわけじゃありません。でも、「さすがに疲れた」というファンも目に付きました。バカならバカで、とことんまでいけばいいのですが、これだけやられると精神的にもお財布的にもダメージが大きすぎます。さすがにもう諦めるか…。だから続く高松宮記念では、明らかにキングがらみの購入金額を減らす人が増えました。
「もう肩の力を入れて応援するのはやめよう」
追い切り速報が輪をかけます。
印も薄くなっていました。超人気薄なら、馬券になったときに大儲けできますから購買意欲もそそられます。今までのぶんも取り返せます。ですがこのレース、上位3頭に次ぐ馬が見当たらず、キングは4番人気(単勝12・7倍)になっていました。これでは妙味もありません。
「馬券は少しだけにしよう」
「ひっそりと応援しよう」
「また届かないだろうし…」
「1200メートルはスプリンターズステークスでついていけなかったもんな」
スタートが切られます。7枠13番から、キングは必死で中団に取りつこうとしていました。2度目の1200メートルだからか、スプリンターズステークスの時よりは付いていけていますが、相変わらず外を回っています。4コーナーも馬群の大外。
「不器用だなあ」
「それじゃ間に合わないよ」
そう思って見ていたファンは、直線半ばでカメラが外を映したときに「まさか」と思ったはずです。
「え?」
明らかにエンジンがかかっていました。1200メートルだから最初からアクセルを踏み続け、外を回っていたので誰にもじゃまをされず、一度もブレーキを踏むことなく、エンジンに火がついたまま直線に向いていました。
「ウソだろ!?」
「今日なのか?」
「今回なのか!」
だましたあなたが悪いのか。
信じた私がバカなのか。
「バカヤロー!」
栄光のゴールに飛び込むキング。
信じた私がバカなんじゃない。
最後まで信じられなかった私が一番バカだったのです。
「大バカだ」
「大バカ野郎…」
そう自分につぶやくファンの目に涙。レース後の坂口調教師も人目をはばからず泣いていました。超良血馬を預かったプレッシャー。GⅠを取らせなきゃいけないという重圧の中で戦ってきた2年半に、涙が止まらなかったのです。
そしてもう1人、バカヤローと言いたかった人が…。この高松宮記念、クビ差の2着に敗れたディヴァインライトに乗っていたジョッキーはこう話しました。
「一番前にいてほしくない馬が前にいた」
福永騎手からのそんな精一杯の嫌味と祝福を受けて、晴れてプリンスはキングになったのです。
スペシャルウィーク
セイウンスカイ
グラスワンダー
エルコンドルパサー
黄金世代にもう一頭、GⅠ馬が加わりました。
キングヘイロー
伝説の落語家・立川談志は1971年の参院選、最下位で当選したとき、インタビューでこう言いました。
「真打は最後に上がるもんだ」
大トリは、壮大なこの噺にもう1ネタ付け加えてくれます。2019年3月、天国に旅立った5日後、高松宮記念を優勝した騎手はこう口にしました。
「レース後に思いました。後押ししてくれたのかな、と」
キングにGⅠ勝利をプレゼントできなかった男。待望のGⅠ勝利を2着という一番悔しい位置で見届けた男に、その時と同じレースを勝たせるのですからさすが真打です。そして、キングヘイローに最も振り回された福永祐一ジョッキーのそのコメントで、往年のファンは愛すべき千両役者に振り回された日々を思い出します。
「あれはあれで楽しかったなあ」
そんな人々がさらに2年後、「ウマ娘」のキングヘイローに振り回されていると思うと愉快です。「オーホッホ」という高笑いが聞こえてきそうですよね。
エピローグ
GⅠ馬の仲間入りを果たしたキングヘイローは、高松宮記念をきっかけに勝つ味を覚えた…わけではありませんでした(苦笑)。「昨年のリベンジだ!」とファンも燃えた安田記念では3番人気で3着。春のスプリント王として臨んだ秋のスプリンターズステークスも7着に終わります。続くスワンステークスで12着、マイルチャンピオンシップで7着に敗れるとさすがに年齢からくる衰えや「高松宮記念で燃え尽きた」という声が聞こえるようになり、引退を決断。ラストレースとして、年末のグランプリ・有馬記念に出走しました。
追いかけて追いかけて追いかけたのに高松宮記念で儲けそこない(儲けた人もいますが)、その後、再び追いかけたら全然こない…相変わらず振り回され続けていたキングヘイローファンは、最後に取り返してもらおうと、せっせと馬券を買いました。メンバーを見ても分かるように、この2000年はテイエムオペラオーが古馬王道全勝を決めたミレニアムイヤー。人気も圧倒的だったんですが、メイショウドトウを除けばその他は一長一短のメンバーでしたから、食指も動きます。単勝39・9倍の9番人気。オペラオーとのワイド(1-2着だけではなく、1-3着、2-3着でも当たる馬券)でも18倍ぐらいついていましたから、今まで儲けそこなったぶんを取り返せるぐらい配当的にも魅力がありました。もう止まりません。何をって、馬券を買う手が、ワクワクが止まらないのです。しかし、レースが始まって1分半ほど経った時点でファンは自己嫌悪に陥ります。
だましたあなたが悪いのか。
信じた私がバカなのか。
最後方。超スローペースの中で絶望的な位置取りでした。
「何度も失敗して分かってたのに」
「俺は何をやってるんだ…」
だましたあなたが悪いのか。
信じた私がバカなのか。
「大バカだ…」
4コーナー。他馬とは全く別のレースをしているかのように、キングヘイローは馬群からめちゃくちゃ離れた大外を回っていました。最後まで不器用です。遠心力でさらに距離をロスしています。
「バカ野郎だ…」
心の中でそう自身につぶやくファン。叫ぶ気力も起きないほど絶望的な大外ブン回しに、さらなる自己嫌悪に陥る彼らの気持ちを、名馬は最後まで振り回します。直線半ばでも後方で、どう考えても間に合わないように見えたのに、残り100メートルを切ってエンジンがかかったキングが、ずんずん、ずんずん、伸びてきたのです。いつも通り手遅れ濃厚でした。でも、ギリギリ手遅れにならなそうに見えたのです。
「え!?」
「まだ間に合う?」
抜け出したオペラオー。
その外からドトウ。
そのさらに大外からキング!
「届くかも…」
「3着なら…」
「3着だったら!」
まさかの展開に消えかかったワクワクが再点火します。
「届け」
「いけ!」
「キング!!!」
だましたあなたが悪いのか。
信じた私がバカなのか。
ラストキングは、4着でした。
おまけ1 まだいる
当シリーズで何度も登場してきた1995年生まれの黄金世代。クラシックで言うと98年なので98世代とも呼ばれるようになったんですが、層の厚さはハンパじゃありません。
安田記念とマイルチャンピオンシップでキングを下したエアジハード
初ダートで大敗したフェブラリーステークスの覇者・ウイングアロー
今回、キングヘイローの前に立ちはだかったこの2頭も同級生でした。
おまけ2 緑のメンコ
キングヘイローのトレードマークが緑のメンコと、緑色のシャドーロール(下方を見えにくくして前方に意識を集中させるためのボア)です。
「ウマ娘」のキングヘイローの服装や装飾品に緑が使われることが多いのはそのためでしょう。ちなみに、調べてみたところ、メンコは3歳秋の京都新聞杯の時から着用していました。
※今回もお読みくださり、ありがとうございました。次回の更新は1週空いて9月15日の予定です。