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「ウマ娘」にも新登場!〝砂上の千両役者〟コパノリッキーを「東スポ」で振り返る

「ウマ娘」のキャラクターにコパノリッキーが追加されることが発表されたのは5月の頭。かわいすぎるビジュアルで一目惚れした人もいたでしょうが、プロフィールの詳細は明かされなかったので、ネットでどんな馬だったかを調べた方も少なくないと思います。で、そこに書いてある、日本馬における「歴代最多」だといわれるこんな言葉に「?」となった人もたくさんいたのではないでしょうか。

「GⅠ級11勝」

「GⅠ・Jpn1を11勝」

 級? Jpn1? そう、実は少々複雑でして、厳密には「GⅠを11勝」とは表記できないからこうなっているのです。でも、詳しく説明すると長くなるので、それは本文最後につけた「おまけ」を参照してください。というわけで、「競馬初心者の方にも分かりやすく」をモットーとしている当noteではコパノリッキーをこう表現させていただきます。

「ダートのGⅠを最もたくさん勝った馬」

 とにかくすごかった。そして、その競走生活は実にドラマチックで、ダート競馬の面白さも教えてくれました。「東スポ」で振り返りつつ、「ウマ娘」のリッキーがどんなキャラになるか、一緒に想像してみましょう。毎度のおことわりですが、私は競馬記者ではないので、あくまでファン目線です。(文化部資料室・山崎正義)


リッキー第1章

 ご存じの方も多いと思いますが、コパノリッキーの馬主さんは風水の第一人者として知られるDr.コパさんです。風水の基本ともいわれる赤と黄色で彩られたその勝負服(「ウマ娘」のリッキーの髪の装飾にもその2色が使われています)を身にまとった騎手を背に、競馬場に姿を現したのは2歳の冬、2012年12月のことでした。

 父がサンデーサイレンス産駒唯一のダートGⅠ馬・ゴールドアリュールで、その産駒・スマートファルコンやエスポワールシチーがダートで大活躍していたことから、ダート戦を選んだのは自然の流れでしょう。ただ、兄弟が好成績を挙げていたわけではなく、他に良血馬も多かったことから8番人気にとどまり、レースでも8着に敗れます。しかし、これまた8番人気だった2戦目で一変し、楽勝するのだから競馬というのは分かりません。しかも、続く500万下(今で言う3歳1勝クラス)も圧勝。勇躍、オープンのヒヤシンスステークス(東京ダート1600)に出走します。

 出世レースとして名高い一戦でこれだけ印がつき、名手・福永祐一ジョッキーが乗っていることから、ダート適性の高さを関係者も気づいていたのでしょう。残念ながらここは3着でしたが、スタート直後の芝部分で脚を使ってしまったためだったようで、オールダートに戻った続く伏竜ステークス(中山ダート1800メートル)を勝ち切ります。

 次走に選んだのは、地方競馬場で行われる交流重賞です。アグネスデジタルのnoteでもご説明したように、日本には中央競馬の他にダート中心の地方競馬があります。両者は交流を続けており、中央馬が出走できる地方の重賞(すべてダート戦)を「地方交流重賞」「ダートグレード競走」などと呼びます。中央のダートの強豪は、中央のダート重賞と、その地方交流重賞を転戦していくのが常道。若いころからダート適性を見出された馬は、中央にダート戦が充実していない3歳時から交流重賞に出ることも多く、リッキーも例外ではなかったのです。

 兵庫県の園田競馬場で行われたこの交流重賞をリッキーは鮮やかに逃げ切りました。しかも、2着に6馬身差。

「相当じゃないか?」

「世代でもトップクラスだろう」

 これが5月2日のことでしたから、陣営は夢を見ました。

 ダービーへ――

 まだ芝を走ったことはありませんが、だからこそ可能性もあります。競馬関係者が誰もが出走させたいクラシックの最高峰。賞金は足りていましたから、リッキーはサラブレッドが一生に一度しか走れないハレの舞台に向かおうとしました。しかし、残念ながら骨折が判明…秋まで休養を余儀なくされます。復帰は11月。古馬に交じって走るオープン競走でした。

 ダート界の若手有望株ですから印がこれぐらいつくのは当然。混戦の中、単勝4・0倍ながら1番人気に支持されました。が、レースはいいところなく10着。〝叩き一変〟を期待された続く12月のオープン競走も3番人気で9着に敗れます。

「ケガの後遺症かな」

「立て直しに時間がかかるかもな」

 そんな負け方でしたから、少し意外でした。年が明けて、リッキーはGⅠのフェブラリーステークスにエントリーしてきたのです。もちろん、骨折前のレースぶりや素質を考えればこのチャレンジも分かります。ただ、競馬好きからすると正直、「え? 出るの?」といった感じでした。しかも、あくまで抽選対象で、「2頭のうち1頭が出走できる」うちの1頭。メディアから伝わってくる週中の情報もほとんどなく、正式に決まった馬柱を見て、「抽選通ったんだ」と気付くぐらいの存在でした。

 実績もまだまだ足りませんし、何より近況が冴えませんから無印も当然。ぶっちゃけ、ほとんど無視されているような状況で、リッキーはゲートに入りました。ポンと好スタートを切って2番手。そのまま4コーナーを迎えるのですが、ファンの多くはその姿を強く意識していません。そりゃそうです。最低人気だったので、馬券を買っている人は非常に少ないわけです。直線を向いて早々に先頭に立ってからもそうでした。誰もが、すぐ後ろに迫っていた有力馬たち、つまりは自分の買っている馬を探しました。先頭に立っている超人気薄の馬が馬群に飲み込まれるのを前提にレースを見ていたわけです。残り200を切っても、その馬、リッキーは粘っていました。でも、まだこの時点でも、大多数の人は〝その後ろ〟を見ていました。2番手に上がってきていたのが2番人気のホッコータルマエで、中団からは1番人気のベルシャザールも伸びてこようとしていましたから、どうしてもそちらに目がいくのです。

「差してくるぞ…」

「差してこい!」

 そんな中で「あれ?」と思ったのは残り150メートルぐらいでしょうか。騎手のムチにこたえた先頭のリッキーがホッコータルマエを突き放したのです。

「え?」

「え?」

 ホッコータルマエがもう一度迫ります。

 が、また突き放す。

「え?」

「え?」

「え?」

「えええええーーーーー!」

「何?」

「どの馬?」

「13番って…」

「コ、コパノリッキー?」

 あれだけず~っと目立つ場所を走っていたのに、脳内から消去していたからか、誰もが新聞を見直さないと馬名が出てきませんでした。関係者の皆さん、オーナーのコパさん、本当にごめんなさい。競馬ファンってこういうものなんです。でも、許してください。だって、だって、リッキーの人気は、その人気は…

 16頭中16番目!

 最低人気!

 そして、誰もがオーロラビジョンに映された単勝オッズの「13」のところを見て腰を抜かしました。

 272・1!

「おいおい…」

「マジかよ…」

 競馬場で、ウインズで、日本中でざわめきを超えるどよめきが起こったのは言うまでもありません。単勝を100円買っていたら2万7210円。2番人気ホッコータルマエとの馬連でも8万4380円。超ド級の大穴です。

「こんなことって」

「あるの!?」

 いやいや、実は障害レースを除くGⅠで最低人気の馬が勝つのは3頭目なのですが、強烈すぎました。272・1倍という単勝オッズは歴代2位とはいえ、1位のサンドピアリス(89年、4万3060円)は気まぐれな3歳牝馬同士のエリザベス女王杯でレースにまぎれがあってもおかしくない20頭立て。ダートの猛者が集まり、力を十二分に発揮できる頭数とコース(東京ダート1600メートル)で、まさかこんなことが起こるなんて誰もが夢にも思っていなかったのです。理解不能、説明不可能。だから、表彰式で映ったコパさんを見て

「風水の力?」

「強運!?」

 な~んて声がファンの間から漏れたのもある意味、当然だったのかもしれません。私もそれぐらい、理解不能、説明不可能な気がしました。しかし、翌日、私は自分が勤める新聞を見て、自分の考えを恥じました。

 記事の前半では確かに運もあると書いています。そもそも抽選を通ったことが最初の幸運ですし、人気馬がけん制し合い、先行馬に有利な緩いペースになったこともラッキーだったとしています。しかししかし、リッキーのラスト2ハロンのラップ11秒5―11秒9というのは過去10年で最速だともいうのです。しかも、管理していた村山明調教師はこうも言っていました。

「この中間は坂路からウッドに調教パターンを変更し、長い距離を走るようにしていたんです。強い負荷をかけたのが実を結んだ」

 そう、陣営もスランプ脱出に向けて懸命に努力していたんですね。だから見出しに「運じゃない」とあるわけです。ただ、だからといって「実力だ!」とも言い切れない自分もいました。今まで、一世一代の激走、悪い言い方だとフロックとしか思えない激走でGⅠを勝利した馬をたくさん見てきまし、村山調教師のこんなコメントも気になったんです

「ドバイ(ワールドC)も登録はしたが、オーナーが方位が悪いと言うので使わない」

 やっぱり風水の力が後押しした!?とも思っちゃったんですね(苦笑)。これだからやっぱり私はアホなのでしょうが、当時の空気感を伝えておくと、まだリッキーの力を信じ切れていない人は、私以外にもかなりいたはずです。何せ、続くかしわ記念(船橋競馬場1600メートル)という地方交流のGⅠで、リッキーは1番人気になりませんでした。代わりに1番人気になったのが、フェブラリーSで負かし、しかも8歳という高齢のワンダーアキュートだったことが、リッキーがフロック視されていたことの証明かと思います。しかし、この馬はいろいろな意味で私たちを裏切ってくれます。結果をこんな形でご覧ください。

 右上の「1」は1着ということ。下から3列目に「2人」とあるのが人気です。つまり、2番人気で1着。そして、下から4列目の右にある「0・4」が2着との着差です。そう、0・4秒差、およそ2馬身をつけて完勝したのです。せっかくなので同じように馬柱で続く帝王賞(大井競馬場2000メートル)という地方交流GⅠの結果も見てみましょう。


 今度は1番人気。残念ながら前出のワンダーアキュートに雪辱されているのですが、フロックでは3戦続けて好走はできません。そして、夏を越したリッキーは本格化します。帝王賞の2着に休み明けということが加わって、3番目まで人気を落とした11月のJBCクラシック(盛岡競馬場2000メートル)というレースをレコードタイムで逃げ切るのです。

 力をつけて1番人気に支持されていた同級生のクリソライトに3馬身差をつける完勝。帝王賞で負けていたワンダーアキュートが3着ですから、明らかに強くなっていました。

「本物だ」

「本格化だ」

 サラブレッドが最も強くなる時期に、しっかり強くなっているのがよく分かりました。続いては中央で2つしかないダートGⅠ・チャンピオンズカップ(中京競馬場1800メートル)です。わずか10か月前、もうひとつの中央GⅠ・フェブラリーステークスで無印だった馬には、こんなに印がつきました。

 単勝は3・0倍の1番人気。しかし、リッキーはスタートで出遅れてしまい、中団のまま、見せ場なく12着に大敗してしまいます。レース後、鞍上の田辺裕信ジョッキーは「道中の感じは良く、出遅れのせいじゃないと思う」と話していましたが、やや謎の残る敗戦となりました。なので、続く年末の東京大賞典(地方の大井競馬場)では、チャンピオンズカップを勝ったホッコータルマエに1番人気を譲ります。結果は…

 逃げて2着。続けて大敗したら何かを疑わないといけませんでしたが、まずはひと安心…だったのはファンだけだったかもしれません。着差のところをご覧ください。

「0・8」

 4馬身差をつけられての完敗でした。そして、この決定的な差が関係したのかは定かではありませんが、リッキーはこの年の最優秀ダート馬のタイトルをタルマエに持っていかれてしまいます。GⅠの年間勝利数が同じ「3」なのに…タルマエは1歳年上でまさに完成期を迎えており、翌年も現役続行が決まっていました。同じ路線を歩むことになるリッキーとしては、この馬をやっつけなければナンバーワンは見えてきません。

 打倒ホッコータルマエ――

 そのために、翌年、強い味方が現れます。


天才に導かれて

 年が明け、リッキー陣営は新たなパートナーを迎えます。鞍上に指名されたのは天才・武豊ジョッキー。田辺騎手だって、全国リーディングで10位以内、関東なら5本の指に入るトップジョッキーですし、当時の年間勝ち星で言えば武豊騎手とそれほど差はありません。それでもチェンジしてきたことに、我々ファンはリッキー陣営の本気を感じました。そんな中、新たなコンビは、15年の初戦となる東海ステークス(GⅡ=中京競馬場1800メートル)を、2着に4馬身差をつけて圧勝します。

 あまりいいスタートじゃなかったのに、すんなり2番手につけて4角先頭。スムーズな手綱さばきは、正直、「どうして田辺を降ろしちゃったんだよ」というファンも納得さすが天才でした。父ゴールドアリュールの主戦でもあった武豊ジョッキーはレース後、こんなコメント。

「力強い走りは(ゴールドアリュールと)よく似ている。一定のリズムでバテずに走れるという感じとかがね」

 名コンビ誕生の予感にファンもメディアも盛り上がりました。続くフェブラリーでは、ホッコータルマエが不在だったので、完全に主役。追い切り速報は1面です。

 調教後に行われた武豊ジョッキーの会見が速報されています。

「自分の形になれば強い」

「昨年勝っている馬に乗れるのは光栄なこと」

 なかなか強気。ただ、こんなことも言っていました。

「昨年のような競馬をイメージしているが、今年は1番人気濃厚。(マークされて)同じ雰囲気のレースにはならないでしょう」

 確かに、ノーマークだった昨年と違い、今年はマークされる可能性があります。スンナリとした競馬にならない可能性があるのです。そんな中で発表された枠順は…。

 内枠でした。

「競りかけられるかもしれない」

「揉まれるかもしれない」

 少なからず懸念を抱いたファンがいました。リッキーがあまりスタートが上手ではないことも知られつつありましたから、「危ないかも」という声もありました。チャンピオンズカップのように後手後手の競馬になると、大敗の危険性があるのです。で、ゲートが開くと、本当に2・1倍の1番人気に支持されたリッキーのスタートがイマイチで、東京ダート1600メートルの名物でもある芝からダートに変わるあたりでまだ自分の右斜め前に7~8頭がいる状況になったから場内がザワつきました。

「おいおい」

「大丈夫なのか」

 正直、すんなり逃げられる気配はありません。逃げるならやや強引にいかないといけない状況になっていました。

「引くのか…」

「どうするんだ…」

 いきなりの勝負所。天才の判断は

 GO――

 引きませんでした。前へ前へ、リッキーを促します。幸い、逃げようとしていた馬が出遅れたこともあり、ガンガンいっている馬はいませんから猛ダッシュしなくても良さそうです。

「何とか先頭に立てそう…」

 そのときでした。大本命馬が予定通りのレースになっていないことを察知したもう一人の天才・横山典弘ジョッキーが大外枠から奇襲的に先頭を奪いにいったから、再び、場内がザワつきました。内に切れ込んできて前に入られたリッキーが少し頭を上げます。前に入った馬が蹴った砂をかぶったのか、嫌がるそぶり…。

「まずいんじゃないか…」

 ファンは不安になりました。しかし、こういうときに冷静に対処できるのですから、さすが武豊ジョッキーです。静かにリッキーをなだめ、砂をかぶらないやや外に出しつつ、2番手をキープする作戦に出ます。気付いた人はいたでしょうか。そのポジショニングは奇しくも昨年と同じ。そこまでの過程は全く違ったのに、たくさんの危険があったのに、行きついた先は連覇への最短距離だったのですから、競馬というのは面白いですし、リッキーは〝もっている〟のかもしれません。あとは昨年と同じく逃げ馬を交わし、長い直線を粘り込むだけ。打倒タルマエを掲げ、カイバを増やし、パワーアップを図っていたディフェンディングチャンピオンは、それを難なくこなしました。

 フェブラリーステークス史上初の連覇。しかも、それを成し遂げたのが天才ジョッキーで、オーナーが有名人なのですから、私はこう言いたくなりました。

「役者だな~」

 まさに千両役者盛り上がらないわけがありません。正直、ダート競馬というのは芝と比べて注目度が低く、メディアでの扱いも小さくなりがちなのですが、武豊ジョッキーとコパさんのおかげで、リッキーは他馬より明らかに大きく扱われました。そのことがダート競馬への関心度を高めたのは間違いなく、そういう意味でも、武豊ジョッキーへの乗り替わりは英断だったと言えるでしょう(先日のダービーの盛り上がりを見ても分かる通り、競馬界を盛り上げるのに武豊ジョッキーは欠かせません)。

 加えて、最低人気で勝った1年後に1番人気で同じレースを勝つという離れ業にも話題が集まり、ファンはニコニコしました。こういう面白いことをやってくれる千両役者が登場すると楽しくなってきます。ワクワクしてきます。コパさんだからというのもあり、見ているだけで自分たちの運気が上がってくる気もしたから不思議でした。

 残念ながらリッキーは再び骨折が判明し、秋までお休みすることになります。2度目の骨折ですからファンは心配しました。でも、復帰戦をひと叩き(3着)したリッキーは、JBCクラシック(大井競馬場2000メートル)で連覇を果たすのです。春にダートの世界一決定戦とも言えるドバイワールドカップで5着に健闘し、帰国して帝王賞を連覇していたホッコータルマエを破って。

 武豊ジョッキーもとっても嬉しそう。

 秋初戦が3着だったのでこのときは3番人気。タルマエの1・4倍から大きく離された6・2倍というオッズだったのですが、外枠から果敢に先頭を奪っての逃げ切りでした。おそらくこの時、ファンや関係者は完全に確信したと思います。

「人気とかは関係ないんだ」

「この馬は自分の競馬ができれば強い」

「すんなりだと…」

「めちゃくちゃ強い!」

 薄々気付いてはいましたが、もう、明らかでした。ただ、それは自分の特性がライバルたちにも明らかになったことも意味していました。リッキーの苦しくも長い戦いは第2章に突入します。


リッキー第2章

 競馬において、好走の条件は弱点の裏返しでもあります。リッキーが好走するのに必要な「すんなり」や「自分の競馬」というのは、ゴチャつかず、外めを走ること。馬主のコパさんが、先日ツイッターで、こんなふうに明かしていました。

「リッキーは
 砂を被ると、外に他馬がいると走る気をなくす、と言う
 弱点があった」

ツイッター「Dr.copa」から

 砂を被るとは、前の馬が蹴り上げた砂を浴びてしまうこと。それにひるんでしまう競走馬はリッキーに限らず非常に多く、状況回避のための最善策は逃げることです。リッキーにとっても、JBCクラシックを逃げて完勝していましたから、おそらくベストの選択になるのですが、問題は、前述のように、そうなったときのリッキーの強さを他陣営が気付きはじめていたことでした。JBCクラシック連覇の後に向かったのはG1チャンピオンズカップ(中京ダート1800メートル)。

 スタートが切られると、武豊ジョッキーがすかさず先頭に立ちます。1番人気のリッキーがハナを奪ったことは、他馬にとっては脅威です。

「すんなり行かせるとマズイ…」

 そう思ったのでしょう。先行馬のクリノスターオーに乗っていたボウマン騎手と、外国馬のガンピットという馬に乗っていたパートン騎手が、ガンガン競りかけていきました。日本人ジョッキーに比べ、はるかに好戦的で、天下の武豊ジョッキーにも遠慮がありませんから、必死になって追いかけてきて、しかも、外から並びかけようとします。リッキー側からすると、俗に言う「つつかれる」「絡まれる」というやつで、そんな彼らを振り払うためにはペースを上げるしかありません。結果、砂はかぶっていなかったかもしれませんが、ハイペースに巻き込まれて失速してしまいます。

 武豊ジョッキーも言っていますが、競りかけられたからといって下げるわけにもいきません(下げたら砂をかぶるポジションになってしまいます)。これが、実力がバレた逃げ馬のツライところ。同じ「逃げ」でも、マークされているのといないのでは、状況は全く異なるんです。新聞の馬柱には各コーナーの通過順(下から2段目の四角に入った数字)が示されていますが、同じ「1」「1」「1」なのに、状況は同じではなく、結果も変わってしまうのです。

 年末の東京大賞典もこう。

 逃げることはできました。無謀に競りかけている外国人ジョッキーもいませんでした。でも、このときはホッコータルマエがぴったり後ろに張り付き、プレッシャーを与えつつ、ペースを落とさせないような徹底マークに出たのです。

 おそらく武豊ジョッキーも逃げることの難しさに頭を悩ませたていたのではないでしょうか。年が明け、3連覇を狙ったフェブラリーステークスでは、過去2年以上にスピードのある先行馬が揃っていたことから、無理に先手を奪おうとせず、控える競馬を試みます。リッキーは砂をかぶってもガマンしました(偉い!)。でも、いつもの強さは影を潜めてしまいます。

 逃げたらマークされる…

 控えたら砂をかぶる…

 天才は考えました。

 逃げなくても砂をかぶらない位置にいればいい――

 例えば、連覇したフェブラリーステークスでは逃げた馬の真後ろではなく、外めの2番手を追走して弱点をカバーしました。あのような柔軟な対応でリッキーを導けばいいわけです。続くかしわ記念(船橋競馬場1600メートル)がそうでした。

 絵にかいたような〝外めの2番手をすんなり〟で圧勝します。お次は帝王賞(大井競馬場2000メートル)。

 通過順をご覧ください。3番手の外を追走したリッキーは、4コーナー手前で後続が自分の外に並んでくるより先にスパート。4コーナーを先頭で回り、押し切りました。

「すんなりだとハンパじゃない」

「このパターンだと本当に強いなあ」

 かしわ記念が3番人気で帝王賞は5番人気ですから、やっぱりリッキーは人気を問わず、自分の競馬をしたときに力を発揮する馬なのでしょう。しかし、残念ながら勝ちパターンというのは、毎回、必ず実現するわけじゃありません。レースは生き物ですし、リッキーを負かそうとする騎手が外から並びかけてくることもあります。この年の秋から年末がまさにそう。

 南部杯(盛岡競馬場1600メートル)は得意のパターンでしたが、3連覇を狙ったJBCクラシック(川崎競馬場2100メートル)では出入りが激しくなったうえに、当時絶好調だったアウォーディーという馬に乗っていた武豊ジョッキー(リッキーは田辺ジョッキー)が外から交わしていくのですから心憎いです。チャンピオンズカップ(中京競馬場)でも、3番手でレースを進めますが、3コーナーで外から並びかけられて揉まれるような形にもなり大敗してしまいました。そしてこの連敗で少しリッキーも苦しくなったのか、年末の東京大賞典(大井競馬場2000メートル)では久しぶりに逃げられたものの失速してしまいます。そして、年が明けてフェブラリーステークス(東京競馬場1600メートル)。久しぶりに武豊ジョッキーが背中に戻ってきました。傑出馬不在で、それこそまさに「すんなりなら」という状況。速い馬が出てくるものの、「(それらに被されない)外枠でも引けば」とファンも期待したのですが…。

 内枠でした。そして、先行するものの、ハイペースに巻き込まれ、14着に大敗します。そして、この頃でしょうか。ファンの中からこんな声が上がり始めました。

「いい年だもんな」

 そう、リッキーは7歳になっていました。ダート馬は競走寿命が長い傾向があるとはいえ、さすがに高齢です。

「さすがに衰えてきているのかも」

「引退も近いかな」

 4戦続けての大敗ですから、こんな声も仕方のないところ。しかししかし、この馬は、ただじゃ終わりませんでした。終わらないどころか、とんでもないラストスパートと千両役者ぶりで、私たちを楽しませてくれるのです。


リッキー第3章

 4連敗で迎えるは、14年と16年に勝っている縁起のいいかしわ記念(船橋競馬場1600メートル)。

 逃げ馬なのにスタートがめちゃくちゃ上手いわけではないリッキーにとって、ダッシュがつかなかったときに砂を被る可能性のある最内枠は歓迎材料ではありません。そして、実際、飛び上がるようなスタートになってしまい、いつも以上に後方からになったのですから、前述の不安がファンの脳裏によぎります。

「年齢的にやっぱり…」

「厳しいか…」

 ポジションとしては前から6番手。ハッキリ言って嫌な予感しかしなかったのですが、ここで天才が魅せました。6番手とはいえ、馬群がやや縦長になっていたので、内で包まれていたわけではなく、自ら動ける状態だったリッキーを外めに出し、徐々に上がっていったのです。自分より後ろから上がってくる馬がいなかったのもチェック済みだったのでしょう。砂もかぶりませんから、リッキーは嫌がらず、前へ前へ進んでいきました。ただ、小回りの地方競馬場では、3~4コーナーで馬群の外を回るのはロスがあるため、今までの勝ちパターンのような途中で先頭に立つ状況にまでは前に進出できません。4コーナーを回ってもまだ前に5頭います。リッキーを追いかけてきたファンはやはり覚悟しました。何せ、これまでのダート重賞を勝ったときの4コーナー通過順は、「1」が6回、「2」が3回、「4」が1回。「6」なんてことはなかったのです。だから驚きました。

「え?」

「そこから…」

「くるの?」

 豪快な差し切りに口あんぐり。逃げ・先行馬として実績を積み上げてきた高齢馬が、まさか違った戦法で勝つとは思っていませんでしたから、誰もが目を丸くしました。武豊ジョッキーとしては戦法を変えたわけではありません。

 砂を被らず

 外めをすんなり

 はい、狙いは逃げ・先行のときと一緒。少しだけやり方を変えたのですが、ファンには〝変身〟に見えましたし、何より爽快。そして、久しぶりにこの感想。

「やっぱり強い」

「この馬は自分の競馬ができれば…」

「すんなりだと…」

「めちゃくちゃ強い!」

 今までは「人気なんて関係ないんだ」という声もありましたが、このときは別の声も。

「年齢なんて関係ないんだ!」

 船橋競馬場とリッキーに風水的な良い関係性もあったりするのでしょうか、これでかしわ記念は3勝目。当レースは毎年、ゴールデンウイークに行われ、多くの観客を集めるのですが、そういう目立つ場面で、劇的な復活勝利を挙げるのですから、ファンは改めて笑顔になりました。

「やっぱりこの馬は追いかけて楽しい

 そうなんです。ダート戦線というのは得てして同じようなメンバーで戦い続け、強い馬が出るとその馬ばかりが勝ち続けることがあり、ファンがやや飽きてしまうことがあるのですが、リッキーは違いました。めちゃくちゃ強いけど、弱点もあるから負けることもある。レースが生き物であることや競馬の難しさ、だからこその面白さも伝えてくれるから見ていて楽しいのです。だからファンが多かったのでしょうし、何より、ここぞ!という場面に強かった。だから応援しているとめちゃくちゃ気持ちがいい。

「千両役者!」

 リッキーが快勝すると、本当にこっちまで運気が上がる気がします。しかも、このかしわ記念のときは不安にさせておいての倍返し。で、しばらく休んだ後、秋になり、3倍返しが待っていました。田辺ジョッキーが乗った南部杯(盛岡競馬場1600メートル)では6枠からのスタートで、自分より外に速い馬がいない絶好の展開。2着を4馬身突き放す圧勝劇を見せるのです。

「すげ~」

「強ぇ~」

「すんなりだと本当に強いな~」

 ただただ感嘆。で、気付いていなかった人は、レース後の田辺ジョッキーのインタビューでハッとなりました。

「ホッコータルマエの記録に並ぶ10勝目というのがあったんで…」

「え?」

「10勝目?」

「GⅠを?」

「10個も勝ったの?」

 いやいや、気付くのが遅いだろ!といったところですが、やはり、芝のGⅠと比べると注目度はそこまで高くなく、実際にこういうファンもいたのは事実。逆に言えば、リッキーによって、ダートGⅠをたくさん勝つことのすごさを知ったファンも少なくありません。そして、そういった人、さらには記録を知っていた私のようなファンは同じように興奮していました。

「すごすぎる」

「というか…」

「タイ記録ってことは」

「次勝ったら新記録?」

「見たい」

「前人未到の記録を見たい」

「次は?」

「次のレースは?」

 ダートの猛者が歩むローテーションは例年、ほぼ決まっています。体育の日前後に行われる南部杯の後は、文化の日前後に行われるJBC。2000メートル前後の「JBCクラシック」だけではなく、短距離ダート王を決める1200メートルの「JBCスプリント」、牝馬だけが争う「JBCレディスクラシック」というGⅠ3つが同日同競馬場で行われる〝地方競馬の祭典〟です。リッキーも3年連続でJBCクラシックに出走していましたから、当然、そこに向かいました。向かったんですが、出馬表を見て驚いた人もいたでしょう。

「え?」

「マジで!?」

 はい、右端のレース名と距離をご覧ください。何と、リッキーは1200メートルの「スプリント」に出てきたのです。

「おいおい」

「大丈夫なのか?」

「1600メートルのGⅠをいくつも勝っているから」

「スピードはあるんだろうけど…」

 そう思って新聞の「当該距離の成績」欄をチェックしたファン。それは「このレースが行われる距離でのこの馬の成績」が載っている部分。東スポで言えばここです。

「え?」

「全部0って…」

「もしかして…」

「走ったことない?」

「1200メートル…」

「初めてじゃん!」

 ここまでファンをビックリさせるとはさすが千両役者。でも、いくら千両役者だからって、本当に大丈夫なのか、ファンは不安になりました。日本のダート界でもっとも速い馬が集まったレースです。スタート後のスピードでは自分より上の馬がたくさんエントリーしているわけですから、〝外めをすんなり〟なんて夢物語に見えました。好走パターンになるとは全く思えません。

「新記録どころじゃない」

「大敗もあるんじゃないか…」

 そんな中、ゲートが開き、やや遅れるリッキー。周りが速いので、気付けば後方2番手でした。

「ダメだ…」

「ついていけない…」

 絶望するファン。しかししかし、やはりこの馬は千両役者でした。レースの3分の1が過ぎたころ、大外を、猛然と上がっていったのです。確かに砂は被りません。ですが、距離的なロスもありますし、スパートのタイミングとしてはめちゃくちゃでした。というか、1200メートルのダートGⅠで、レース中盤にグングン上がっていく馬なんて見たことがありません。

「あわわわ…」

「さすがに…」

 3コーナーで5番手。

 止まりません。

 4コーナーで3番手。

 そのまま直線を向いたとき、誰もがバテると思いました。思っていたからこそ、リッキーがゴール寸前まで粘りに粘ったのに、誰もが仰天しました。そして、あることに気付きました。

「そうか!」

「めちゃくちゃだったけど…」

「外めだった…」

砂を被らない位置だったんだ!」

 千両役者の面白さに酔いしれつつ、変に納得した我々ファン。そして、1か月後、中央のGⅠチャンピオンズカップ(中京競馬場ダート1800メートル)に出てきたリッキーの村山調教師から出されたこんなコメントを見て、もう一度、納得しました。

「前走で短距離を使ったのは本来のスピードを取り戻させたい気持ちもあったから。今回はそのスピードを最大限に生かすレースをしてもらう」

 まさに「そうか!」でした。過去3年、先行できなかったり、絡まれたり、揉まれたりで結果が出ていなかったチャンピオンズカップ。スピード豊かな中央馬中心のメンバーだからこそ余計に苦しんだこのレースで結果を残すには、すなわちすんなり先行するためには、中距離に慣れてしまったことで眠りつつあったスピードをもう一度呼び起こす必要があったのです。ただ、狙いは分かったものの、うまくいくとは限りません。

「そんなことができるのか…」

「相手も強いのに」

「年齢も年齢なのに…」

 ファンでさえ半信半疑でしたから、そうじゃない人の心は「厳しいでしょ」。リッキーは9番人気にとどまります。1枠1番というのも、かしわ記念のところでも書いた通り懸念材料のひとつでした。だから、ファンは期待より不安を抱えてレースを待ちました。村山調教師の言う「スピードを最大限に生かすレース」が何を意味しているかは分かります。でも、それができるのか。すなわち…

「逃げるのか…」

「逃げられるのか…」

 ゲートが開き、リッキーが好スタートを切りました。1コーナーに向かうその姿に、私は「こんなにうまくいくんだ」と「へ~」となったのを覚えています。かつてないほどの前進気勢を見せたリッキーが前へ前へ。田辺ジョッキーが主張したこともあり、すんなり逃げることに成功したのです。ただ、2番手には1番人気のテイエムジンソクという馬がついてきていましたから、やはり半信半疑でした。軽快に飛ばしてはいるものの、4コーナーを回ると、そのテイエムジンソクが並びかけてきます。

「さすがに…」

「ここまでか…」

 そう思ったあの直線半ばの興奮を何と説明したらいいのでしょう。並ばれているのに抜かせず、リッキーが粘りに粘っていたのです。最低人気でフェブラリーステークスを勝ったあのときのように、止まると思いきや止まらなかったあのときように…。

「またやるのか」

「人気薄で…」

 残り100でもまだ粘るリッキーに、私は半信半疑だった自分を責めました。村山調教師は言っていた。そのコメントを見ていた。ヒントは出されていた。でも、信じられなかった自分に「バカバカバカ」とツッコミました。無謀とも思えたJBCスプリント挑戦が、しっかりと実を結ぼうとしていたのです。

「伏線だったんだ」

「チャンピオンズカップを勝つための…」

「ここで逃げるための…」

「逃げ切るための!」

「リッキー!」

 ゴール直前、テイエムジンソクに追いつかれ、外からゴールドリームに差された3着でしたが、やはりリッキーは千両役者でした。

 最低人気でGⅠを勝ち

 翌年、同じGⅠを1番人気で連覇し

 地方の同じGⅠを何度も勝ち

 初めての距離で常識破りのレースをして

 3連敗していた鬼門のGⅠでアッと言わせる

「面白すぎる!」

「やっぱりリッキーは最高だ!」

 大健闘に笑顔のファン。やはりこの時も自分の中で運気がどんどん上がっていくような気がしました。そして、目の前が明るくなりました。

「勝つ…」

「リッキーは勝つ」

 はい、勝つとしか思えなくなっていました。次走に予定していた東京大賞典はリッキーの引退レース

「この千両役者が負けるわけがない」

「リッキーが負けるわけがない!」

 あの確信はなんだったのでしょう。不思議なぐらい晴れ晴れとした気持ちで、私は年末の大井競馬場に向かいました。競馬ファンにとって、有馬記念の後に控えるこの地方版グランプリは一年の締めくくり。どうしても当てたいレースですが、この年はメンバー的に抜けた馬がいません。

 1番人気のケイティブレイブが単勝3・5倍。2番人気サウンドトゥルーが4・0倍。リッキーが4・7倍で続いた後も、インカンテーション5・9倍、ミツバ7・1倍と、稀に見る混戦模様に、誰もが頭を悩ませていました。でも、そんな中、リッキーを応援していたファンだけは…

「勝つよ」

「リッキーが勝つ」

「勝つに決まってる」

 信じ切ろうとした決意がそうさせたのか、それとも、リッキーにパワーをもらい続けたことで力がみなぎったのか。今思えば、あれこそ馬を信じ、馬にパワーをもらう競馬の素晴らしさだったのかもしれませんが、当時はそこまで気付かず、人ごみの中で、どこか悟り切ったような境地でスタートを待ちました。誰かが言っています。「そんなにうまくいくわけない」と。5日前、有馬記念ではキタサンブラックが引退の花道を勝利で飾っていました。逃げ切りで飾っていました。同じようなことが2回続けて、こんな短期間に起こるわけがないというのですが、地方競馬独特のファンファーレが鳴り響く中、私はつぶやいていました。

「いや、うまくいくんだよ」

「リッキーだもん」

 好スタートを切ったリッキーが、外から上がっていきます。その内からケイティブレイブが並びかけていきました。「競り合いになったらマズイ…」。誰もがそう思ったのですが、リッキーの田辺騎手の「俺が行く」という強い気持ち、そして何よりリッキーのダッシュ力が、ケイティブレイブを上回りました。

「あっ」

「伏線…」

「JBCはここにつながるのか」

「チャンピオンズカップじゃなく、こっちで全て回収するんだ!」

 壮大な陣営の狙いに気付いた私が喜びに浸る中、リッキーが1コーナーを先頭で回っていきます。隊列が落ち着きました。軽快に飛ばすリッキーをよそに2番手以降が不思議なぐらい静かにしているのを見て、周りにいたファン、おそらくリッキー以外を買っている人が吐き捨てます。「これじゃ有馬と同じじゃないか」。単騎でスイスイと逃げ切ったキタサンブラック。「そんなにうまくいくんだ」というぐらいの有終の美。同じことが続くと思えないのも分かりますが、私には続くとしか思えなかった。いや、リッキーが続いたんじゃない。キタサンブラックも、引退という場も、JBCも、だからこそのダッシュ力も、単騎の逃げも、すべてがリッキー勝利への伏線にしか見えませんでした。

「競馬って」

「面白いなあ」

 あまりに出来過ぎたストーリーに現実感もなくなっていました。そして、目の前では、その物語の主人公が、何かに導かれたように、先頭で直線に入ってきました。地方の深い砂を、歴史に残るダート王が、最後の力を振り絞って力強く進んできます。「そのまま!」という叫び声は出ませんでした。

「リッキーが止まるわけがない

「千両役者が引退レースで負けるわけがない!

 砂の上で演じられた美しすぎる引退劇。あまりの見事なフィナーレに酔いしれていた私を、誰かが現実に戻しました。

「新記録じゃないか?」

「11勝目…」

「歴代最多のGⅠ11勝!

 それすらも、なぜか当然の出来事のよう。

 前人未到の記録

 引退レースで達成! 

 やはり全てがつながっているとしか思えない。そして翌日の新聞記事を読み、私は笑うしかありませんでした。コパさんがレース後に語ったところによると、こんな事実があったというのです。

 GⅠ勝利の最初の1歩

 最低人気で勝った2014年フェブラリーステークス

 7枠13番

 GⅠ勝利の最後の一歩

 新記録の東京大賞典

 7枠13番

「よっ!千両役者!」

 空に向かって、競馬の面白さとコパノリッキーに感謝の掛け声を発したとき、私はその1年に起こった嫌なことをすべて忘れました。

「来年はきっといいことがある」

 運が開くとは、あのような瞬間を言うのかもしれません。


おまけ1

 引退レースの後、コパさんはインタビューでこう話していました。

「一番最初のフェブラリーも7枠13番。今日の引退レース、7枠13番って聞いたときに、フェブラリーのときと同じジャケットを着て同じパンツをはいて、そして同じネクタイをしてって思ったんです」

 最初のフェブラリーも抽選を突破しての出走でしたし、コパさんは常にいろいろな縁起担ぎや開運術を行っていたそうで、どうしてもそちらに目がいきます。しかし、あふれる馬への愛情も忘れてはいけません。まず、前述の縁起担ぎのコメントの前に、口にされたのがこの言葉。

「こういう馬が僕のところきてくれて、嬉しいよね」

 これもまた導かれたような話に聞こえますが、実はリッキーを誕生させたのはまぎれもなくコパさんの力です。以前、ご本人がツイッターで明かしていましたが、リッキーのお母さん・コパノニキータは脚が曲がっており、1歳のときに処分されそうになっていたそうです。それをコパさんが10万円で引き取り、デビューさせたのがすべての始まりで、新馬戦で3着し、3戦目で勝ち上がります。何千万円、何億円の馬だっている中央競馬で10万円の馬が1勝するだけでも奇跡的ですが、コパノニキータはその後、生命の危機に直面します。レースで心房細動(不整脈の一種で血液を全身に送りだせなくなる)を発症し、「ダメかもしれない」という状況に陥るのです。

「何とか助けて」

 コパさんの願いもあって一命を取りとめたニキータ。その後、レースに復帰したのも奇跡ですし、最終的には3勝を挙げ、牧場に戻ったのもある意味、奇跡の生還だったと言えるでしょう。そんな彼女が、3番目に産んだのがリッキーでした。

引退式のリッキー

おまけ2

 改めて「GⅠ」についてご説明します。競馬においては、国際的に認定されている(国際格付けを持つ)競走をグレードレースと呼び、その中の最高位が「GⅠ」です。日本の競走馬で最も多く「GⅠ」を勝った馬はアーモンドアイで、国内外合わせて9勝しています。一方で、日本の競馬には中央と地方があり、ダートが中心の地方競馬場では、中央馬と地方馬がともに戦う最高格付けのレースとして「Jpn1」というレースが存在します。で、こちらは国際的に認可されていないものの、ダート競馬界では、「ダートGⅠ」という扱いを受けているんです。厳密にはGⅠじゃないけど、GⅠとして数えられることもあるので、リッキーの勝利数「11」は「GⅠ級11勝」「GⅠ・Jpn1を11勝」などと表現されるわけですね。

 もちろん、これはアーモンドアイと区別する意味もあります。区別することによって、「どっちが上」論争にもならないので、これはこれで良いかと思うのですが、ひとまず今回のnoteでは、ダートGⅠ最多勝ホースとしてリッキーを紹介したかったので、この説明は後回しにさせていただきました。

 ちなみに、地方競馬場で行われるレースの中で唯一、「東京大賞典」のみは国際的に認められたGⅠです。というわけで、厳密に言うとリッキーはGⅠを3勝(フェブラリーS×2、東京大賞典)、Jpn1を8勝。当シリーズのサムネ的な見出し画像は以前もお話ししたように東スポnoteの編集長が作っているのですが、今回、そのカットにある星マークが上と下、3個と8個に分かれているのも、しっかり勝利数と格付けを反映しています。

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