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仕事優先の美学とは、あくまで自己犠牲においてのみ成立する【野球バカとハサミは使いよう#26】

プロ入り時は守備を評価されていた池山

 元ヤクルトの池山隆寛といえば、ブンブン丸の愛称で親しまれた豪快な長距離砲というイメージが一般的だろう。1990年代のヤクルト黄金時代を支えた中心選手の一人だった。

ヤクルトの池山隆寛

 全盛期の池山は守備の負担が大きい遊撃手というポジションながら、5年連続30本塁打以上を記録するなど、強打が売りの選手であった。常にフルスイングだったため、三振も多かったものの、それを補って余りあるだけの長打力があった。同時代に巨人・川相昌弘や阪神・久慈照嘉などのような超守備型の遊撃手が活躍した一方で、池山は超攻撃型の遊撃手として一時代を築いたわけだ。

 そんな池山だが、入団時は決して打力重視の選手ではなかったから意外である。83年ドラフト2位でヤクルトに入団したときの池山は「守備ならプロでも通用するだろうが、打撃は非力なため、時間がかかる」と評されており、どちらかというと守備型遊撃手だった。その証拠に、池山は2年目から一軍で起用されたものの、最初はもっぱら守備固め要員であった。

ヤクルト・池山の華麗な守備。ランナーは巨人・吉村禎章(1990年9月、東京ドーム)

 すなわち、ブンブン丸・池山の長打力とは決して天性だけのものではなく、後天的につくられたものでもあったのだ。だからこそ、池山はどれだけ本塁打に注目が集まり、華やかなスター選手になっても、ともすれば地味な守備練習に重点を置くことを忘れなかった。90年代を代表する大打者・池山は、実は守備こそが自分の原点だと、謙虚に認識していたのである。

 全盛期の池山にはチャラついたアイドル選手というイメージもあったため、これを意外に思う方もいるだろう。しかし、池山の本質がそうではないということは、晩年の彼が遊撃の他に二塁、一塁、外野も守ることができるユーティリティープレーヤーとして活躍したことからも証明できる。池山は守備の名手であったからこそ、打力が衰えて以降も、貴重な戦力として現役を続けられたのだ(現在はヤクルト打撃コーチ)。

 この池山のように、サラリーマンの世界でも、入社時と入社後で評価されるポイントが変わっていく人がたまにいる。例えば入社時は真面目で誠実なことが売りだったのに、入社後は企画力や営業力といった華やかな能力を高く評価されるようになったというケースだ。

 そういうとき、人はつい思わぬ評価に有頂天になり、自分本来の原点を忘れてしまいがちだが、それではいけない。池山のように、いかなるときでも謙虚に原点を見つめることが、より高い評価につながるのだ。


時と場合を考えたい仕事優先主義

 一般的に日本人は仕事優先を美徳とするところがある。たとえばお笑い芸人が近親者の不幸に見舞われたとして、その葬儀より舞台の本番を取り、涙に堪えながら客を笑わせたなら、それはたちまち美談となる。

 これはプロ野球ではフォア・ザ・チームの精神に通ずる。自分に何が起ころうとも試合に勝つことを優先する。それこそが選手としての美徳なのだ。

 しかし、かつての球界にはこの美徳に新風を吹き込んだ外国人選手がいた。主に1970年代のロッテオリオンズなどで活躍したジョージ・アルトマンだ。

 アルトマンは現役バリバリのメジャーリーガーという触れ込みで68年に日本球界に入ると、期待通りの活躍を見せた。日本通算8年で打率3割以上を6回、20本塁打以上を7回、100打点以上を2回も記録。性格も実に紳士的で、人気も抜群だった。

ロッテのジョージ・アルトマン

 そして、そんなアルトマンの性格がよく表れたのが70年の日本シリーズ第5戦だ。

 この試合の前まで、アルトマンの所属するロッテは巨人に対して1勝3敗と後がない状況だった。そして、第5戦も2対2の同点で迎えた7回二死、巨人が勝ち越しの走者・黒江を一塁に出し、ロッテはピンチに陥る。

 すると、巨人の次打者・森の打球がレフトのアルトマンとショートの飯塚佳寛の間に上がり、両者が大激突。結局どちらも捕ることができず、打球は外野を転々としたのだが、アルトマンはそれを追わなかった。ショートの飯塚が激突の衝撃で失神しており、彼の介抱のほうが優先だと判断したからだ。

 かくして、一塁走者の黒江はその介抱の隙をついて本塁まで生還。これが巨人の決勝点となり、ロッテは日本一を逃した。

 あのとき、アルトマンが飯塚の介抱よりチームの勝利を優先して打球を追っていたら、もしやロッテの日本一もあったかもしれない。しかし、それを犠牲にしてまで仲間の介抱に走ったアルトマンの行動は当時のマスコミに大きく取り上げられ、巨人の日本一以上に美談としてたたえられたのだ。

 このように仕事優先の美学とは、あくまで自己犠牲においてのみ成立するものであり、仲間や家族を犠牲にするという意味ではない。したがって仕事中に見舞われたハプニングが、もし同僚の一大事に関わるようなことであれば、そのときは迷うことなく仕事を捨て、同僚のために奔走すればいい。時と場合によっては、仕事よりも仲間をとる。それはそれで美談であり、自分の評価を上げることにもつながるだろう。

談笑する(左から)ロッテ・アルトマン、南海・野村克也、東映・張本勲と大杉勝男、阪急・長池徳二(オールスター第2戦、1970年7月、大阪球場)

山田隆道(やまだ・たかみち) 1976年大阪府生まれ。京都芸術大学文芸表現学科准教授。作家、エッセイストとして活躍するほか大のプロ野球ファンとして多数のプロ野球メディアにも出演・寄稿している。

※この連載は2012年4月から2013年9年まで全67回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全33回でお届けする予定です。

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