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圧巻の警察ミステリー『インビジブル』の新聞記者の描き方がツボ

 ちょうど1週間前のこと。東スポ公式Twitterアカウントのリプライがちょっとだけ話題になりました。警視庁警備部災害対策課のアカウント(@MPD_bousai)が非常時における新聞紙の有効活用術を紹介したツイートに対して、「私の聞いた話では数ある新聞紙の中でも東スポはよく燃えるそうです」と30字で「ボケ」てみたところ、1000以上のリツイートといいねを頂いたのです。

「ボケ」がウケたのならうれしい反面、予想外の方向に「炎上」してしまったのなら大変だ~となるのが企業公式アカウントの宿命。リツイートが広がっていく様子を注意深く見守っていると、小説家の坂上泉さんのアカウント(@calpistime)が今回の「ボケ」を大きく広げる原動力となった気がします。なにせこちらは9000超リツイート、3.1万いいねがついていますから、エライこっちゃです。

「クソリプ」は「ボケリプ」「炎上力の高さ」は「話題提供力の高さ」なのだとポジティブに受け止めました。繰り返しになりますが、いくら東スポの公式Twitterとはいえ企業公式アカウントである以上、無用な炎上など狙うわけがございません。クスッと笑っていただければそれでお腹いっぱいです。

坂上さんは翌27日にこうつぶやきました。

「いつの間にか東スポでも警視庁でもなくワイが炎上していた件について、浅く思いを巡らせつつ、当アカウントは一応小説書きアカウントなので。警視庁は警視庁でも大阪市警視庁について不肖坂上が書いた作品「インビジブル」をここでご紹介せねばと思った次第です」

こうなったらもう『インビジブル』(文藝春秋)を読むしかない! 『半沢直樹』の大和田常務の「施されたら施し返す…恩返しです!」のテンションで、私は書店に飛んで行きました。普段はミステリーを読むことが少ないだけに何だかとても新鮮です。ネタバレしないようにミステリー小説の魅力を書くことができるのか甚だ不安ではありますが、結論から先に言うと、この本めちゃくちゃ面白いです。映画化してほしい!(※個人の感想ですが、お世辞ではありません)

読書って本当に楽しいですよね!

暴力が溢れていた戦後ニッポン

物語の舞台は警察法が改正される1954(昭和29)年の大阪。終戦から10年も経っていない日本は恐ろしいほど暴力が溢れています。

のちに法務省がまとめた資料によると、この年の殺人認知件数は三千八十一件と戦後最高を記録する。(38ページ)

坂上泉『インビジブル』(文藝春秋、2020年、38ページ)

私も新聞記者の端くれなので、殺人認知件数の推移を調べてみました。2000件を初めて割り込んだのが1974(昭和49)年、平成の前半には1500件を下回るようになり、2016(平成28年)に戦後最小の895件を記録。その後は横ばいで2019(令和元)年は950件。少なくとも統計上は「犯罪が増えて凶悪化している」というのは誤解であることがわかりますね。

データだけでなく、物語冒頭のルンペン狩りの描写も生々しいです。

「おらルンペン(浮浪者)、早よ行かんかえ」
 苛立った表情の制服警官が、浮浪者の鳩尾みぞおちを蹴り上げた。年老いた浮浪者は「ううう」と、目に涙を浮かべながらうずくまるが、別の警官がその丸まった背中に無表情で警棒を容赦なく振り落とした。
「ジジイがぴいぴい泣いとんどちゃうど、こら。殺すど」
 ヤクザ者ばりのドスの利いた言葉を、唾のように吐き捨てる。

前掲書、9ページ

ふと不朽の名作映画『仁義なき戦い』を思い出しました。『仁義なき戦い』の1作目は終戦直後の広島が舞台ですが、シリーズ2作目の『仁義なき戦い 広島死闘篇』が1950年代を描いているので、時代背景でいえば『インビジブル』とドンピシャです。

大阪市警視庁ってなんだ?

現在の大阪府警本部

この本を読むまで警視庁=桜田門のイメージしかありませんでしたが、戦後混乱期には警察機構が米国式の自治体警察(通称「自治警」)と自治警を置く財力のない零細町村部を所管する国家地方警察(通称「国警」)の二本立てになっていたという歴史的事実を初めて知りました。
 平成12年版警察白書には旧警察法から現行の警察法へ切り替わった経緯がわかりやすくまとめられていました。物語では大阪市警視庁が大阪府警と切り替わっていきます。

旧警察法は、警察の民主化を図るものとして画期的な意義を有するものであった。しかし、
○ 市町村自治体警察制度による警察単位の地域的細分化が,広域的な犯罪等に対処する について警察の効率的運営を阻害していたこと
○ 国家地方警察と自治体警察は、原則として独立対等の関係にあるため、国の治安に対 する責任が不明確であったこと などの制度的欠陥を有していた。
そこで、29年、旧警察法の優れた点を受け継ぎつつ、その制度上の欠陥を是正するため、 旧警察法が現行警察法に全面改正され、今日の警察制度が確立された。 現行警察法においては、警察の能率的運営の確保、国の治安責任の明確化等を図るため、国家地方警察と市町村自治体警察の二本立てを廃し、執行事務を行う警察組織を都道府県警 察に一本化するとともに、国の警察機関による都道府県警察の指揮監督等国の一定の関与を 認めることとされた。

平成12年版「警察白書」第1章

新聞記者はブンヤで羽織ゴロ

さて、ストーリーは実際に読んでいただいて手に汗を握ってほしいのですが、本書で興味深いのが事件を嗅ぎまわる新聞記者にかんする記述です。主人公の新城巡査とタッグを組むことになった守屋警部補がブンヤについてこう語ります。

「彼らは市民の代弁者のように振舞うが、治安の現場にあっては何ひとつ有益な存在ではない」
 エンジン音と砂利を跳ねる音が響くなかで、守屋は淡々と持論を展開した。
「社会の木鐸ぼくたくだ何だと名乗りながらその実、己の新聞の売り上げのために耳目を集めるニュースを求め、他人を出し抜いたことで得られる仮初かりそめの栄誉を独占したいだけだ。羽織ゴロとはよく言ったものだ。あんな連中にいい顔をする必要などない」(98ページ)

『インビジブル』、98ページ

もうボロクソです(苦笑い)。新聞記者がブンヤと(警察関係者の方に)呼ばれることは今でもたまにありますが、「羽織ゴロ」と呼ばれることはほとんどありません。私も初めて「羽織ゴロ」というワードを耳にしたときに、「一体どういう意味なんでしょう?」と聞き返してしまったくらいです。明治期の評論家、内田魯庵の小説『社会百面相』(岩波文庫)には新聞記者がこう描かれています。

世の中に新聞記者ぐらい愉快なものは無い、先づ俺も此位置に有附いたのが幸ひ、表面には縦横に勝手な議論をして盛んに自分の名前を売出し、裏向では社会せけんに羽振の好い権門貴戚に出入りして自分の人物を広告し、甘い儲け口があつたら首尾よくかっさらうみたいなもんぢゃ。それ迄は当分毎日腕車くるまを乗回して社費で勝手に遊び歩くのぢゃ」

内田魯庵『社会百面相(上)』(岩波文庫、1953年、47ページ)

このあとアルジェリアとアルメニアの国名を間違えた新人記者が紋付羽織袴の先輩記者から説教を食らう…という流れなのですが、とにかくちゃんとした服装をしているのに他人の弱みにつけこんで嫌がらせをしたり恐喝したりするゴロツキが「羽織ゴロ(羽織破落戸)」と呼ばれていたのです。ちなみにこの言葉を教えてくれたのは1934(昭和9)年生まれの俳優さんで、飲んだくれの私をとてもかわいがってくれています。

朝刊紙とは違う夕刊紙ならでは性格

『インビジブル』では夕刊紙の性格まで鋭く分析されています。

太秦刑事部長が、在阪の日刊紙と夕刊紙、合わせて十近い紙面のスクラップを広げて捜査員に見せてくる。情報を先に掴んだであろう三紙が《頭に麻袋刺さる》《共通の手口、同一犯か》などと報じていた。朝刊紙以上にセンセーショナルな記事が多い夕刊紙は《自治警間の連携不足露呈》《警視庁の特権意識が影響か》などと早くも攻撃的な書きざまだ。
 駅や街中の売店で売られる夕刊紙は労働者が主な購読層だ、大阪は戦後、無数の夕刊紙が創刊し、警察をはじめとする官公庁の不祥事を面白おかしく書き立てることで購読者層の鬱憤を晴らして部数を増やしている。現場からしたら面白くはない。

『インビジブル』、146ページ

東スポは1960(昭和35)年、大スポは1964(昭和39)年創刊なので、当時の大阪には存在していませんでしたが、夕刊紙を的確に表していると思います。
駅の売店で買っていただくためには目立ってナンボですが、時代は移ろい昨今では東スポのニュースもWeb上のあらゆるニュースプラットフォームに配信しているため、Web記事については見出しの取り方にも細心の注意を払っているのが実情です。どれだけ独自の取材をできるのか、そしてウィットとユーモアに富んだ原稿で東スポらしさを出せるのか。ぜひ一度、『インビジブル』の著者、坂上さんに〝悩み相談〟をしてみたいものです。(東スポnote編集長・森中航)




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