「ベンツと交換してほしい」と言われたほどの秘密メモ【野球バカとハサミは使いよう#12】
〝世界の代打男〟はクセを見抜く達人
今週から連載タイトルに「DX」の文字がついた。これはもちろんデラックス、すなわち本連載のリニューアルを意味している。連載開始から半年がたったところで、今後のさらなるパワーアップを誓ったわけだ。
さて、そんなリニューアル1発目に取り上げる野球人は元阪急の高井保弘である。1960~80年代に主に代打として活躍し、通算代打本塁打27本という今も不滅の世界記録を樹立した「世界の代打男」。入団当初のパ・リーグではまだ指名打者制度がなかったため、守備に難があった高井はレギュラーを獲得できなかったが、その打撃センスはずぬけていた。
なお、パ・リーグでは75年から指名打者制度が導入されており、高井はそれを機に指名打者のレギュラーを獲得すると、78~79年に2年連続で打率3割以上、本塁打20本以上を記録した。さすがである。
高井の打撃の神髄は、類いまれなる観察眼を生かして相手投手のクセを見抜くことにあった。代打稼業のため、試合中ベンチにいる時間が長く、その間に相手投手のクセをノートにメモ。時には頭からジャンパーを羽織るなどの変装をして、バックネット裏の関係者席に向かい、打者目線から相手投手の分析をすることもあった。いつしか高井メモはオープン戦ぐらいでしか対戦機会のないセ・リーグの投手にまで及び、他の打者から「ベンツと交換してほしい」と言われるほどの評判を呼んだ。
かくして高井はその膨大なメモを最大限に活用し、数少ない代打の場面でことごとく快打を放った。74年に出場した最初で最後のオールスターでも見事な代打本塁打。相手投手のヤクルト・松岡弘のクセを完全に見抜いた末の「らしい一発」だった。
こういった観察力は、ビジネスシーンでも非常に役立つ極意である。例えば営業で口説き落としたい相手がいるとき、自分の能力にばかりに目を向けるのではなく、相手の個人データや性格を細かくチェックし、それをノートにメモしておく。そうやって敵のことを知り尽くしたうえで対策を立てれば、おのずと結果は変わってくる。
そもそも周囲を見渡してみれば、仕事ができる人ほど観察眼や洞察力に優れており、普段から観察メモを習慣化しているケースも少なくない。人間の記憶力なんて曖昧なものであり、だからこそ何かとメモをするクセを身につけておくと絶対に損はしないだろう。メモした分だけ、成功に近づくのだ。
部下の能力だけでなく性格も把握すべし
球界の定説のひとつに「投手出身監督は成功しない」というものがある。投手は他のポジションに比べて特殊な役割を担うため、野球全体を見渡す能力に欠ける、という理屈だ。
しかし、そんな投手出身監督の中にも安定して好成績を残した名将もいる。1980~90年代にかけて、巨人軍の監督を2期にわたって務めた藤田元司が代表的だ。通算7年間で4度のリーグ優勝を果たした。
藤田は自分も現役時代は巨人のエースだったためか、投手力の整備にたけた監督だった。81~83年の第1次政権時には江川卓と西本聖の2枚エース、89~92年の第2次政権時には槙原寛己、斎藤雅樹、桑田真澄の3本柱を確立。これだけの名投手が同時に揃ったのだから、そりゃあ強いはずである。
しかし、こういった複数エースの存在は、監督にとって悩みの種にもなりがちだ。特に栄えある開幕投手を誰にするかというのは、大きな問題だろう。
それについて、藤田監督ならではのファインプレーを見せたのが81年の開幕戦だった。当時の巨人は江川・西本の2枚エースの時代だったが、マスコミの開幕投手予想は江川が優勢。春季キャンプのとき、西本の夫人が自宅のガス爆発により重傷を負ったため、西本の仕上がりが不安視されていたのだ。
ところが、藤田監督はあえて西本を開幕投手に指名した。ドラフト外入団から巨人のエースにまで成り上がった西本の雑草魂は、こういう逆境時にこそ力を発揮すると考えたからだ。
実際、この開幕戦で西本は見事な完投勝利を挙げた。逆境に強い西本もさることながら、その性格を見抜いて難しい判断を下した藤田監督も圧巻だ。組織を率いる者は普段から部下をよく観察し、その性格をきちんと把握することが大切なのだ。
当然、これはサラリーマン社会にも通ずる話だ。上司たるもの、それぞれの部下の能力だけではなく、その性格をも熟知しておく必要がある。そのためには日頃から広くアンテナを張り、社内での部下の言動はもちろん、社外での部下の評判やプライベートでの様子など、部下に関するあらゆる情報を収集しておくといい。一見、仕事に関係なさそうな情報でも、いつかどこかで仕事上の重要な判断材料に化ける場合があるからだ。
特に社外での部下の評判、つまり他社からどう思われているかは重要だ。社内では見抜けなかった、意外な部下の性格を知ることができるに違いない。
※この連載は2012年4月から2013年9年まで全67回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全33回でお届けする予定です。