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「ウマ娘」では浪速の白い稲妻!タマモクロスの連勝と芦毛三番勝負を「東スポ」で振り返る

「ウマ娘」では関西弁のチビッ娘。コミカルなツッコミキャラはゲームではまだ育成できない実装前なのに多くのファンを獲得していますが、史実のタマモクロスも競馬ブームを牽引したスーパーホースでした。急覚醒した〝白い稲妻〟の連勝街道と、オグリキャップとの「芦毛三番勝負」を「東スポ」で振り返りましょう。連載中の漫画「ウマ娘 シンデレラグレイ」でも触れられたジャパンカップの豪華な〝競馬五輪〟感も伝われば幸いです。(文化部資料室・山崎正義)

突然の目覚め

「ウマ娘」の公式HPによれば、タマモクロスは身長140センチ。実際、ゲームやアニメで見てもちっちゃいのですが、リアルのタマモクロスも決して大きな馬ではなく、440~450キロで走っていました。サラブレッドは500キロを超えると大型馬といわれますから、やや小柄な部類ですが、めちゃくちゃ小さいわけではありません。ただ、とにかく食いが細く、陣営は常にその少食ぶりに頭を悩ませていたそうです。

 デビューは遅く、3歳になってからの3月。非力そうに見えたのと、父が芝で活躍した馬なので芝2000メートルを使いましたが、7着。2戦目はダート。3戦目に同じくダートを走り、勝ち上がったものの、再び芝に戻した4戦目で落馬をしてしまいます。その後はダートを4戦して、6、2、3、3着。ぶっちゃけ目立たない条件馬だったのですが、10月になって久しぶりに芝(2200メートル)を使ったところ、2着に7馬身差をつけて圧勝したから陣営もビックリ。

「ホンマかいな」

「フロックやないか?」

 というわけで、確認のために11月にもう一度、芝(2000メートル)を走らせてみました。すると今度は8馬身差!

「フロックやないで!」

 タマモクロスがそう言ったかどうかはさておき、レース後はこんな声も上がったそうです。

「菊花賞に出た方がいい」

「西(関西)の秘密兵器や!」

 この年のクラシック、特に菊花賞は主役不在の混戦でした。加えて、10月のレースの勝ちタイムが菊花賞トライアルの京都新聞杯より上だったこともあり、そのような期待が膨らんだのでしょうが、菊花賞は翌週。つまり連闘(2週続けてレースに出ること)になります。マスコミにあおられた陣営…その判断はこうでした。

「無理はさせられない」

 英断だったのでしょう。タマモクロスはしっかりと1か月の間隔を空けて使った次走・鳴尾記念(GⅡ=芝2500メートル)を快勝します。

87年鳴尾記念

 まだ3勝しかしておらず、クラス分け的には重賞を走るような立場ではありませんでしたから、格上挑戦という形。しかも、先ほど話に出た菊花賞で2着に入ったゴールドシチーや前年の菊花賞馬メジロデュレンも顔を揃えたなかなかの好メンバーの中、2着に6馬身差、稍重馬場なのにコースレコード更新ですから誰もが目を丸くしました。

「夏までは何だったんだ」

「めちゃくちゃ強いやん!」

 突然の覚醒新星登場に今度はこんな声。

「この勢いで有馬記念だ!」

「同じ距離だし、いけるんちゃうか?」

 3週後にやってくる「年末の大一番に挑戦しては?」というわけです。しかし、管理する小原伊佐美調教師はレース後、きっぱりこうコメントしました。

「グランプリにはいきません」

 そう、まだまだタマモクロスは成長途上。何より食が細く、レース後の反動(疲れ)が他馬より大きかったので、無理をさせないようにしたのです。で、年明け初戦に選んだ「金杯」(2000メートル)で、とんでもないレースを見せます。やや距離不足だったのか、前半からついていけず最後方。4コーナーでも後方2番手という絶望的なポジションから、直線だけで前にいた15頭を差し切ってしまうのです。

88年金杯

 これには鞍上の南井克巳ジョッキーも「まさか」だったそうで、翌日の本紙紙面にはこんなコメントが載りました。

「4角ではもう観念した」
「インを突いたのは苦しまぎれ」
「それでもあれだけの脚を使えるんだからすごい」

 白い馬体が馬群を縫っていくさまは、白い稲妻が走ったかのよう。そう、このあたりで、いよいよニックネームも定着しはじめます。

 白い稲妻――。

 これ、パパのニックネームでもありました。父シービークロスも、多くのファンを獲得した芦毛の追い込み馬。GⅠ勝利がなく、種牡馬になったことを知らなかった人もいたので、その子供が彗星のごとく頭角を現し、レースぶりまでそっくりなのですから往年のファンは大喜び。もう一度、「白い稲妻」というカッコイイあだ名を口にできるのを喜ぶ人、「稲妻2世」と呼ぶ人…タマモクロスは、実力と戦法に血統背景も加わり、一気に人気ホースとなったのです。

止まらない

 勢いに乗るタマモクロスは、天皇賞・春に狙いを定め、前哨戦として阪神大賞典(GⅡ=3000メートル)に出走しました。

88年阪神大賞典・馬柱

 単勝は1・7倍ですから圧倒的。しかし、レースでは苦戦します。超スローペースとなった上に、最後の直線では進路がなくなり、大ピンチ。誰もが届かないと思ったところから、逃げ馬に追いつき、何とか1着同着に持ち込むのですが、天皇賞・春に向けて評価は分かれました。

「負けなかったのも強さ」

「あの逆境をはね返す勝負根性はすごい」

 その一方で…

「思ったほどじゃないのかも」

「GⅠに出たこともないし」

「大本命とまではいかないね」

 また、陣営には、解消されないアノ悩みがありました。これは天皇賞ウイークの月曜日に本紙に載った厩務員さんのコメント。

88年天皇賞春・月曜コメント

 やはり、食が細いのです。レース前日に載った小原調教師のコメントはこうでした。

「5連勝中だが、すべての面で未完成の馬。もう少しカイバを食い込み、びっしり追えたら(調教できたら)と思うが、底なしに強いという期待もある」

 不安と期待半々というのが伝わってきますよね。それは記者もファンも同様で、まず、印はこんな具合。

88年天皇賞春・馬柱

 単勝は1番人気ながら4・4倍で、長年競馬をやっている人には、この数字だけで、タマモクロスの立ち位置が伝わると思います。競馬初心者の方はピンとこないと思いますのでご説明しますと、4倍を超える1番人気はハッキリ言って「信頼されている」とは言えません。ある意味、数字ほどリアルなものはないというか、先ほど言った〝不安と期待半々〟というのがバッチリ反映されたオッズでした。また、そんなオッズになった要因のひとつに南井ジョッキーの存在もありました。ちまたではこんな声が飛び交っていたのです。

「GⅠだからなあ」

「南井はここ一番のヒキが弱いから…」

 実は南井騎手、前年には関西リーディングに輝くなど誰もが認める存在ながら、どうしてもGⅠに手が届いていなかったのです。キリがいいことにこの時点でGⅠは40連敗中でした。

「タマモクロスは本当に強いのか」

「南井騎手は大丈夫だろうか」

 心配そうに見つめるファンの前で、タマモクロスはいつものように後方を進んでいきます。3~4コーナーではまだ中団でしたが、4コーナーを回りながら外から内へ切り込んでいくさまはまさに…

 稲妻一閃!

 アッという間に最内を突き抜けると、グングン後ろを引き離します。

「強ぇ…」

「強ぇえええええええ!」

88年天皇賞春1

 2着に3馬身差をつける完勝、いや、圧勝でした。「ウマ娘」の彼女ならこんな感じでしょうか。

「どうや!」

「ウチが浪速の白い稲妻やーっ!」

 不安を払拭するどころか、想像を超える強さ。そして、ファンは改めて確認したその戦績に刮目します。わずか半年前、タマモクロスは3勝目を挙げたばかりの条件馬だったのです。それがトントン拍子の重賞4連勝で気が付けばGⅠ馬なのですからまさに日の出の勢い。しかも、続く宝塚記念では、当時、マイル~中距離路線で抜群の強さを誇っていたニッポーテイオーさえも寄せ付けませんでした。

88年宝塚1

 タマモクロスはスタミナを感じさせる馬だったので、よりスピードを求められる2200メートルではニッポーテイオーに分があるという意見も多く、2番人気だったのですが、力の差を見せつけるような2馬身半差。翌日の本紙はこうです。

88年宝塚記念・結果

 まさに敵なし。記事ではニッポーテイオー陣営が白旗を掲げていました。

「理想的な展開で負けたのだから相手が強い」

 誰もが認める強さ。GⅠ2連勝を含む驚異の7連勝にファンも沸きました。

 怒涛

 破竹

 昇竜

 この勢いがどこまで続くのか、ファンは楽しみで仕方ありません。

「底なしだ」

「どこまでいくんだ」

「秋も連勝街道だ!」

 しかし、もう一度先ほどの紙面をご覧ください。よく見ると見出しは「最強!」と断定していません。古馬の王道GⅠを連勝したのに…

「最強なのか?

 疑問形の理由は、この年、地方競馬から中央入りし、春から重賞4連勝を飾っていた、同じく日の出の勢いの3歳馬でした。

 オグリキャップ――。

 同じ芦毛の2頭が秋に激突します。

第1ラウンド

 ほとんどがダート戦で、レベルが低いとも言われる地方競馬には、時々、化け物級の馬が現れ、中央に移籍してきます。ただ、芝のレースに挑戦して結果が出るのはひと握り。だから、笠松競馬場(岐阜)に所属していたオグリキャップが中央入りしたときも最初は誰もが半信半疑だったのですが、その実力は陣営や関係者、ファンの想像をはるかに超えるものでした。3歳馬同士の重賞を4連勝し、タマモクロスが宝塚記念を勝った後の7月には高松宮杯(GⅡ)で古馬も撃破。秋初戦は毎日王冠(GⅡ)もぶっこ抜きます。

88年毎日王冠・結果

 レース終了時点で、早くも続く天皇賞・秋で実現するタマモクロスとの初対戦に焦点が移っているのが紙面からも分かります。一方、まだまだ食が細いままだったタマモクロスは、前哨戦を使っての反動を考慮し、ぶっつけ本番を選択。どこまで強いか分からない2頭が未対戦のまま大レースで雌雄を決するなんて、こんなに面白いことはありません。1988年の天皇賞・秋は次のフレーズで空前絶後の盛り上がりを見せていました。

「芦毛頂上決戦」

 毛色にスポットが当たっているのは、芦毛自体が珍しい(全体のおよそ7%)のと、ひと昔前は「芦毛の馬は走らない」と言われていたことも関係していたはずです。灰色で年齢とともに白くなっていくとっても魅力的な毛色なのに、GⅠを勝った馬が少なく、スーパーホースといわれる馬が出ていなかったんですね。そんな状況でしたから、1頭でも強い馬が現れると目立ちます。それが2頭、しかも同時期に、同じように連勝街道を突き進んでいたというのは、もはや奇跡的だったのです。

 さらにこの2頭、「応援したくなる」という共通点がありました。どちらも血統的にエリートではなく、平均より安い値段で取引されたといわれる完全な叩き上げ。オグリは地方出身で、中央のクラシックには登録すらしておらず、外国産馬でもないのに、どう見ても世代最強なのに、皐月賞もダービーも出られませんでした。タマモクロスに関しても、生産した牧場が既につぶれてしまっていたこと(「ウマ娘」のタマモクロスは「金銭的に恵まれない環境で育った」という設定)や、母が前年に急死したことも報じられていました。そんな2頭が、値段の高いエリートたちを次々となぎ倒していくだけでも痛快なのに、無事に秋を迎え、無事に大一番で対決するのですから、ファンが熱狂するのも当然です。時はバブル。踊りたがる人々の心情とも重なり、さらに前年、アイドルジョッキー・武豊がデビューしていきなり勝ちまくったことで女性ファンも増えつつありました。そんな競馬熱の火種を、芦毛2頭が燃え上がらせたのです。日本における第2次競馬ブームの端緒とも言えるこの天皇賞・秋、メディアも踊りました。週明けから名ジョッキーや名伯楽に、「勝つのはどっち?」という質問を投げかけ、両派の主張を載せていきます。調教速報は当たり前のように2頭が中心。

88年天皇賞秋・追い切り

 枠順が決まった後の1面も、馬柱の上に2頭の写真が並んでいます。1歳年下のオグリはまだ黒っぽい灰色で、タマモクロスは徐々に白くなりつつありました。

天皇賞秋・確定1面

 2頭とも絶好調。オグリキャップの河内洋ジョッキーが最終追い切り後に「やることはすべてやった」と自信の表情を見せれば、タマモクロスにいたっては小原調教師がこう話しました。

「すべて良すぎて怖いくらいや。これで負けたら仕方ないで」

 記者の評価はこんな具合。

88年天皇賞秋・馬柱

 今見返してみても、オグリやや優勢のこの印は怖いぐらいファン心理とマッチしています。どちらも強いですが、地方出身者票や圧勝続きだった化け物感の強さから、「どちらかというとオグリ」という人が多かったのです。また、タマモクロスにはひとつだけ、「ぶっつけ本番」という懸念事項がありました。記者やファンが思い出すのは3年前の天皇賞・秋。「ウマ娘」の生徒会長にして史上最強馬の誉れ高いシンボリルドルフがぶっつけ本番で2着に敗れていたのです。

「皇帝でさえ負けたんだから」

 もう1つ、ありました。

「皇帝でさえ、天皇賞の春秋連覇はできなかったんだから」

 天皇賞の春と秋を勝つことに関してはルドルフどころか、史上1頭も越えていないハードルでもありました。で、これらの要素が反映された単勝オッズは…。

 オグリキャップ 2・1倍

 タマモクロス  2・6倍

 ただ、何度も言いますが、この2頭は1回も戦っていません。

「どっちが勝つんだ」

「どっちが強いんだ」

「怒涛の8連勝か」

「破竹の重賞7連勝か」

「分からない」

「本当に分からない」

 だからこの目で見届けたいというファンで競馬場はあふれました。にわかに信じられないものの、唯一分かっているこの事実を胸に秘めて集まったのです。

「どちらかが負ける…」

 片方の白に黒がつく一戦のゲートが開きました。外の方から逃げ宣言をした馬が果敢に先頭を奪い、グングン飛ばしていきます。

「2頭の位置取りは…」

 確認しようと2番手以降に目を凝らしたファンが声を上げました。

「え?」

「あれ?」

 逃げ馬から5~6馬身離れた2番手グループに白い馬。最初は「オグリかな」と思ったはずです。差してくるレースが多かったものの、先行することもできて、同じ芝2000メートルの高松宮杯で2番手から抜け出すような自在性を持っていたのがオグリでした。一方、タマモクロスはいつも後ろからで、最後の最後で稲妻を炸裂させるのがお決まり。そういった刷り込みがある中、前の方に見つけた白い馬をオグリだと思うのは当然で、だからこそ誰もがそのゼッケン番号を見て「違うじゃん」と驚き、声を上げたのです。何と、追い込み馬のタマモクロスが大方の予想を裏切る先行策に出たのでした。

「おいおい」

「大丈夫か?」

「ひっかかってる(ムキになってる)んじゃないか?」

 ザワつく場内。鞍上の南井騎手がテンパッているんじゃ…と心配している人もいましたし、中団の内で虎視眈々のオグリから見て、格好の目標になってしまってもいます。また、逃げ馬がよどみのないペースで走っていたので、ペースも先行有利には見えません。だから、2番手のまま直線を向き、後ろにいるオグリがスムーズに外に出そうとしていたのを見てタマモクロスのファンは覚悟しました。

「差される」

「このままじゃバテる…」

 調教師席では小原調教師が叫んでいたといいます。

「あかん!」

 逃げ馬に並びかけようとするタマモクロス。伸びるのか。それとも普段とは違う戦い方でエネルギーを消耗しているのか。南井ジョッキーは満を持して追い出すとき、チラリと後ろを振り返りました。

「くるならこい!」

 振り上げたムチに迷いはありません。伸びないなんてこれっぽっちも思っていない叱咤。「俺たちなら大丈夫」と言わんばかりのムチでした。自分をGⅠジョッキーにしてくれた絶好調の愛馬が好スタートを切った。やる気満々で行く気になっていた。だから行く気に任せた。信じた。信じて先行した。今まで何度も何度も馬群で包まれ、最後の最後で勝ってきたが、今回の相手は少しでも不利があったら勝てる相手ではない。せっかく最も不利のない場所に収まったのだから、最も力を出し切れるその場所で勝負に出たのでした。地味ながら努力で這い上がった男・南井克巳。エリートではなく、スマートではなく、若くして頭角を現したわけでもないのはタマモクロスと同じでした。名パートナー、名コンビ。ファイターのムチに、か細い体がこたえます

「負けへん…」

「負けへんでー!」

88年天皇賞秋1

 白い稲妻が走りました。馬場の内から中央へ。ものすごい勢いで伸びてきたオグリの前に立ちふさがるかのように斜めに走ったタマモクロス。「なんなら馬体を併せるか!」とでも言いたげな迫力満点のサンダーボルトが炸裂した瞬間、競馬場はまさに落雷のような大歓声。

「差せ!」とオグリファン。

「残せ!」とタマモクロスファン。

「負けるな!」と両馬のファン。

 残り100メートル。オグリがタマモクロスに追いつきそうになった時、再びファイターの猛ムチが飛びます。か細い体でこたえるタマモクロス。私には歯を食いしばっているように見えました。

「負けへん!」

 並ばせない。

「負けへんでーーー!」

 並ばせませんでした。

88年天皇賞秋2

 漢字2文字で表すとこうです。

 完封――。

 白×白がまさかそんな答えになるとは思わなかったのでしょう。競馬場には何とも言えない空気が漂い、数秒後、いたるところで声が上がりました。

「強い」

「強すぎる…」

「こんなに強かったのか…」

 はい、強すぎました。それはタマモクロスファンも戸惑うほどの強さで、オグリファンも、ショックは受けつつも勝者をたたえました。何せ、3着とは3馬身も離れているのです。

「仕方ない」

「タマモクロスが強すぎた」

 どちらのファンも後悔はありません。

「すごい対決だった!」

 そして、多くのファンが、本当に多くのファンが、払い戻しの列に並びました。この当時、2頭の組み合わせを当てる馬券は枠連(枠番連勝複式)しかありませんでした。それは現在の馬単(馬番連勝単式)のように着順通り当てるものではなく、2頭が1-2着でも、2-1着でも的中になります。この日、1枠のオグリキャップと6枠のタマモクロス、その「1―6」という組み合わせに投じられた金額は何と50億6834万9500円。2・4倍にしかなりませんでしたが、総売り上げがおよそ166億円ですから、とんでもない割合です。それぐらい多くの人に的中の喜びをプレゼントしたとも言える白と白は、1か月後、再び、東京競馬場で対峙します、世界の強豪を迎えて。

第2ラウンド

 ジャパンカップを前に、タマモクロスとオグリキャップの立場は大きく変わっていました。2頭の比較だと、断然、タマモクロス。天皇賞・秋の完勝に加え、距離延長も問題ありません。対してオグリキャップはマイルチャンピオンシップへの出走も視野に入れていたほどで、2400メートルに不安を持っていました。なので…

「日本の総大将はタマモクロス」

 これは皆が一致していた意見で、誰も異論はありません。問題は外国馬。実はこの年は、かつてないほど豪華なメンバーが世界各地からやってきたのです。バブルに沸く日本の〝強い円〟を求めて、10頭が参戦。この数字は過去最多タイでした。また、当時のジャパンカップは現在に比べて圧倒的に外国馬が強く、過去7回で5勝。前年と2年前も、ともにワンツーでした。当然、ファンとしてはどの外国馬が強いのかを知りたいのですが、当時はネットなどありません。こうなるとスポーツ新聞の出番ですよね。本紙も徹底的に特集しました。まずは月曜日、いきなり写真付きで全頭を紹介しつつ、相撲のような番付形式にしています。

88年ジャパンカップ・番付

 今見てもなかなか面白いつくりです。で、横綱の右側、トニービンという馬がこの年の目玉。ジャパンカップ史上初めて、その年の凱旋門賞馬が来日したのです。馬の横についている文章の冒頭にはこう書いてあります。

〈ついに来た!世界最強馬〉

 もう一頭の横綱・シェイディハイツは欧州トップレベルのGⅠインターナショナルステークスを勝っているイギリス馬。大関のアワーズアフターはこの年のフランスダービー馬で、欧州の同年クラシック馬の参戦は初でした。イギリスのムーンマッドネスもGⅠ2勝で前年のジャパンカップでは途中から暴走して逃げたものの5着に粘っており、鞍上の名手エデリーも不気味。関脇のコンドルも西ドイツの実力馬ですから、相当な猛者がヨーロッパから大挙押し寄せてきたことが分かります。

 残りの半分も多士済々。関脇のボーンクラッシャーはニュージーランドの英雄で、2年前にこのジャパンカップにやってきたものの熱発で回避、雪辱を期しての再来日でした。アメリカの3頭もGⅠ実績は乏しいながら侮れません。その名の通り雄大な馬体のマイビッグボーイ、全米で5本の指に入るマッキャロン騎手が乗るペイザバトラー、さらにセーラムドライブは当時、ジャパンカップ招待馬や帯同馬向けのレースとして設けられていた直前の富士ステークスを4馬身差で圧勝していました。その2着、スカイチェイスはオーストラリアの新星です。とにかく、目移りするようなメンバーで、出走馬のプロフィールを読んでいるだけでワクワクしたはずで、「情報がこれしかない」というのが逆に正体不明感をあおり、想像力をかきたてました。

「ジャパンカップってこんなに面白いのか!」

 折からの競馬ブームに乗り、芦毛頂上決戦で競馬にハマりつつあったファンは、きっとそう感じたでしょう。ネットが普及した今では味わえませんが、あの頃のジャパンカップは本当に面白かった。やってきた馬の戦績は分かるものの、日本の馬場でどれだけの力を発揮できるか、体調がいいのか悪いのか、全く分からないのですから(苦笑)。で、時に、タイトルホルダーがあっさり負け、実績のないノーマークの馬がとんでもない勝ち方をしたりする。あの〝未知〟っぷりには、スポーツ漫画の全国大会で田舎からやってきた無名のチームが主人公チームの前に立ちはだかったり、ヒーロー漫画や冒険漫画でよく知らない国からきたヤツがめちゃくちゃ強かったりするのと同じ面白さがありました。しかも、初心者の方は、こんな裏読みにも驚いたはずです。

88年ジャパンカップ・火曜日

 トニービン、シェイディハイツ、ムーンマッドネスは既に日本人に売られることが決まっている…。「だから何?」と思うかもしれませんが、それが「目一杯の勝負を仕掛けてこない」につながるという読みが記事化されていました。

「日本の牧場が購入し、日本で種牡馬入りする予定のトニービンの来日は、あくまで〝顔見せ〟で本気度は低い」
「ムーンマッドネスも翌年から日本で種牡馬になるし、調教師が日本びいき」
「英国側がシェイディハイツを手放したのはその実力を評価していないから…」

 もはや推理小説であり(苦笑)、「なんじゃそりゃ」と一笑に付す人もいた一方で、この楽しさに目覚めてしまった人も多かったと思われます。で、そんな人々を巻き込んで、このジャパンカップの存在はどんどん大きなものになっていきました。日本をどう数えたかは微妙ですが、「4大陸決戦」、また、参加国が7つと多かったこともあり「競馬オリンピック」とも呼ばれたのですが、あの年のあのレースが持っていたものをもっと端的に言えばこうでしょうか。

 お祭り感――

 はい、やっぱりバブルだったんだと思います。踊りたがる人にとって、世界から強豪が集まるこの華やかな舞台は、格好のお立ち台。踊らにゃ損、損ですよ!といった雰囲気がありました。何せ、あの頃のジャパンカップは東京競馬場で行われる調教がファンにも公開されていたのですが、朝5時半に行われたタマモクロスの最終追い切りに1000人が駆け付けたのです。始発の時間を考えると徹夜組がたくさんいたはずで、もう、完全に踊りまくってますし、メディアも一緒になって踊りました。見てください、決まった枠順を載せた本紙のこの浮かれた紙面。

88年ジャパンカップ・枠順確定1面

 さあ、みんなで踊り、みんなで騒ぎ、みんなで予想しましょう!という週末がやってきます。できれば最後は日本馬が勝ってハッピーに終わりたい――。そんな誰もが応援するのがタマモクロスでした。

88年ジャパンカップ・馬柱

 単勝オッズ3・2倍の1番人気で、くしくも同じ3枠に入ったトニービンが3・9倍の2番人気。オグリキャップが少し離れた6・9倍の3番人気で続いていましたが、構図としては「白い稲妻VS外国馬」

「このまま連勝街道バク進だ!」

「外国馬なんてやっつけろ!」

 非エリートの叩き上げが凱旋門賞馬を倒すのも、日本人には大好きなストーリー。大きな大きな期待を一身に背負ってスタートを切ったタマモクロスは天皇賞・秋とは違い、いつもの後方待機策を取りました。思わぬスローペースとなったことで馬群は一団のひとかたまり。こういう時、内で包まれると出られなくなったり、いつまでも後ろにいると届かない危険性があるのですが、南井ジョッキーはさすがでした。早々に外に出すと、3~4コーナーで早くも稲妻炸裂。「行くでー!」とばかりに一気に外を上がっていき、4コーナーでは先頭をうかがいます。見るからに手ごたえ十分、全馬をのみこまんばかりのその勢いに、誰もが踊りました。

「いっけーーーーー!」

 耳をつんざく大歓声。4コーナーを回ったタマモクロスが大外から先頭に立ちます。その後ろからオグリキャップが追い込んでくるのが見えたので、さらにボルテージが上がりました。

 世界を相手に芦毛対決、再び――

「そうか!」

「そういうシナリオだったのか!」

 しかし、狂喜乱舞のファンの前で繰り広げられたのは別のシナリオでした。タマモクロスのすぐ隣にいた馬が、内へ内へ、それこそ稲妻のように切れ込んでいきながら先頭を奪ったのです。ピンクの帽子。それがトニービンではないことは分かりましたが…。

「誰だ!」

「誰だ!」

「誰なんだ!」

 ペイザバトラー!

 レースに向けてひそかに調子を上げていた9番人気の伏兵の上で、アメリカの名手・マッキャロン騎手は秘策を練っていました。1着だけを見ていた世界的ジョッキーは、ライバルの特徴を事前に頭に叩き込み、タマモクロスを最大の敵だと確信。天皇賞・秋でオグリに迫られた時の「負けへんで!」もチェック済みで、あの勝負根性を発揮させないようにするにはどうしたらいいか考えていたのです。4コーナーでは一緒に上がっていったのに、直線に入ってから、内に内に、斜めに走りながらゴールを目指すという奇襲がその答え。タマモクロスの近くで競り合ったり、後ろから追い付こうとしたら突き放されるので、離れたところでほんの少しだけ先に前に出て、あとは何とか粘り込むという作戦でした。

「差せ!」

「タマモクロス!」

「差せーーー!」

 勝負師の賭けにこたえて内ラチに向かいながら逃げ込むペイザバトラーを追いかけるように白い稲妻が迫っていきます。ファイター南井のムチ、ムチ、ムチ。

「負けへん!」

「負けへんでーー!」

 歯を食いしばり、タマモクロスも伸びていました。しかし、ペイザバトラーとの差は最後まで縮まりませんでした。

88年JC1

「負けた…」

「タマモクロスが負けた…」

 9連勝ならず――。競馬場はため息に包まれましたが、ファンの多くはなんだか負けた気がしませんでした。

「そうだ…」

「ジャパンカップだもんな」

 はい。未知なる馬が未知なる馬鹿力を発揮するのがジャパンカップ。想定内でもあり、世界の技に〝うっちゃられた〟だけ。横綱相撲をしたのは明らかにタマモクロスの方でしたし、3着のオグリには1馬身4分の1差をつけてもいました。踊るだけ踊った満足感もあったファンは再び前を向きます。

「やっぱりタマモクロスは強い」

「タマモクロスは日本最強」

「ラストレースも楽しみだ」

 そう、白い稲妻は次の有馬記念での引退を予定していました。そこには未知なる外国馬はいません。対するは3度、あの芦毛です。

第3ラウンド

 天皇賞・秋→ジャパンカップと、レースが行われる東京競馬場で調整を続けていたタマモクロスは、1か月後の有馬記念に向けて、茨城の美浦トレーニングセンターに入ります。関西馬なので、本拠地は滋賀県の栗東トレーニングセンターなのですが、有馬記念が関東圏の中山競馬場で行われるため、わざわざ西に戻らず、東の拠点で調整することにしたのです。現在はあまり見られない方法ですが、当時はよくあるパターンで、この時は同じ関西馬でもあるライバル・オグリキャップと一緒に移動したと、記事にはあります。

88年有馬記念・美浦へ

 そのオグリキャップの鞍上は、今まで乗ってきた河内洋騎手から、関東の名手・岡部幸雄ジョッキーに変更されることになりました。中山競馬場を知り尽くした騎手に手綱を託し、タマモクロスに一矢報いる算段でしょう。その岡部騎手を背にした1週前追い切りを本紙は1面に写真を載せて速報しています。

88年有馬記念・オグリ1週前

 面白いのは、調教を行った場所。美浦トレセンでやればいいのに、わざわざ中山競馬場に移動して行っているのです。これはまだ中山競馬場を経験していないオグリに予行演習をさせる意味と、もうひとつ、体重を減らす目的がありました。もともと大食いのオグリキャップは環境が変わっても食欲が全く落ちず、ベストよりやや〝太め〟の状態。競走馬は輸送をすると体重が落ちるのが普通ですから、茨城から千葉にある中山競馬場に移動することで、体重を減らそうとしたんですね。残念ながら、たいしてダイエット効果がなかった(苦笑)という逸話も含め、「ウマ娘」のオグリが大食いキャラになっているのを証明するお話でほほ笑ましい限りなのですが、実は同じころ、タマモクロスは正反対の状況に陥っていました。もともと環境の変化に弱く、レースの後に食欲が落ちる馬でもありましたが、激闘の反動か、ジャパンカップ後に美浦トレセンに入厩して5日間、5升5合がベストのカイバが4升に減ってしまったのです。競馬マスコミの間では、「あれじゃ厳しいかも」「タマモクロスは有馬記念を回避するらしいぞ」という噂が駆け巡り、実際、臆測の記事も出ました。すかさず、厩務員さんが反論します。

「確かに食いは落ちたが今は5升食べているから大丈夫」
「たまにボロ(糞)が臭くなるときがあるので、獣医に頼んで鼻から整腸剤を入れてもらった。それが〝カイバ食いが悪くて流動食を注ぎ込んだ〟という報道になってしまった」

88年有馬記念・タマモ回避否定

 回避なんてしません!ということでしたが、オグリが意気揚々と行ったものとは裏腹に、タマモクロスの1週前追い切りはこうでした。

88年有馬記念・タマモ1週前

 人間で言えばジョギング程度の調整で、ハッキリ言って物足りません。ようやくカイバ食いが戻ったところでガッツリ練習してしまうと、また食べなくなってしまう可能性もありますから陣営にとっても仕方のないところでした。「カイバ食いでヤキモキするのはいつものこと」とは小原調教師。「タマモクロスのような体つきの馬は1本時計を出せば仕上がる」とも言っています。確かに小さい体でムダ肉がつかない馬には、ハードな練習をしなくてもきっちり仕上がる利点があります。ただ、どう見ても「順調」とは言えませんよね? そんな状況はレースの週も続きました。ファンが3度目の芦毛対決を楽しみにしていたので、本紙も水曜の最終追い切りでは、1面に写真を載せていますが…。

88年有馬記念・タマモ追い切り

 誰がどう見ても「何とか間に合った」という内容。ムチを入れられるまでに回復したとはいえ、小原調教師のジャッジはこうでした。

「伸び脚というか切れ味がいまひとつかな」

 調教に乗った助手さんは、こんなコメント。

「秋の天皇賞が11、ジャパンカップが10とすれば、今度は8~7だろう」

 イマイチさを隠さない情報提供には頭が下がりますが、ファンからすると不安は募るばかり。この週、陣営がよく発した「春の天皇賞のときはもっと悪かった」というコメントも、気分をスッキリさせるまでの効果はありませんでした。何せ、ライバルのオグリが絶好調宣言をしていたのです。

88年有馬記念・オグリ追い切り

 モリモリ食べて、バリバリ練習。助手さんはキッパリ言い切っています。

「ジャパンカップを100とすると今回は120点をやってもいい」

 しかも、この有馬記念にはイキのいい3歳馬が他にも2頭、エントリーしていました。天才・武豊を背にした菊花賞馬・スーパークリークに、類いまれなスピードでマイルチャンピオンシップをぶっちぎったサッカーボーイ。後者にいたっては、オグリやタマモクロスと同じく、JRAが有力馬と認める単枠指定となりました。

88年有馬記念・馬柱

 他紙でもタマモクロスよりオグリやサッカーボーイに◎が目立っていたと記憶しています。現場で取材する記者には、黙っていてもタマモクロスの体調に関する情報が耳に入ってくるのですから重い印は付けづらかったのでしょう。オグリには天皇賞・秋でもジャパンカップでも1馬身4分の1という簡単にはひっくり返らない差をつけていたものの、体調のプラスマイナスで、十分、相殺できる。関東所属の岡部騎手に対し、関西が主戦場の南井騎手は中山競馬場に慣れていない…。様々なファクターがはじき出したムードはこれです。

 王者に隙あり――

 ジャパンカップで3・2倍VS6・9倍だったタマモクロスとオグリキャップの単勝オッズが、2・4倍VS3・7倍になっていたのがその証明。しかも、秋1戦しかしていない余力十分のサッカーボーイ株も急上昇しており、4・8倍という高い支持を集めていました。タマモクロスのファンは気が気じゃありません。ひしひしと感じるのは、激戦の勤続疲労を感じさせる王者に忍び寄る若い力、そして、あふれんばかりのエネルギー。そんな状況で見つめるパドックのタマモクロスからはどうしても覇気を感じることができません。もともと細い体がさらにか細く見えます。

「元気がなさそう」

「やっぱり体調が悪いんじゃないか」

「気のせいならいいけど…」

 ゲートが開き、その不安はさらに大きくなります。スタートの出があまり良くなかったタマモクロスはトボトボと後方2番手。もともと追い込み馬ですし、レース前から南井騎手も後ろからいく戦法を示唆していたのですが、そんなことも忘れて、ファンは不安ばかりを募らせます。

「大丈夫かな…」

「大丈夫じゃないかも」

 向こう正面でもまだ後ろから2頭目。いつもより頭が高い走りは、いつもより苦しそうに見えるから不思議です。もはや、このまま一度も見せ場なく終わってしまうんじゃないか…と思うほどの行きっぷりでした。

「やっぱり完調にはほど遠いのか」

「厳しいか…」

 ファンは昨秋からの連勝劇を思い出します。細い体で毎回毎回、必死に首を前に出し、どんな逆境もはね返し、常に1番でゴールを駆け抜けてきました。

 怒涛

 破竹

 昇竜

 すごかった。ものすごかった。見ていて本当に気持ち良かった。

「でも…」

「だから…」

「もしかして…」

 そう、ここでファンは一つの仮説を立てます。

「あそこまで頑張ったら誰でもバテる」

「ガソリンが切れても仕方ない」

「もしかして燃え尽きてるのでは…」

 競馬は時代を映す鏡です。タマモクロスの勢いは、まさにこの時代そのもの、バブルのようでした。しかし、ファンはこの3コーナーで、やがて訪れるバブル崩壊の怖さを一足先に体感しました。泡ははじける。いつかは終わる…

「ダメなのか…」

「今日で稲妻伝説は終わりなのか…」

 誰もが覚悟したそのときでした。3コーナーを回り終えたタマモクロスに、南井騎手が闘魂を注入すると、白い馬体がとんでもない勢いで上がっていったのです。仕掛けどころで言えば早すぎます。しかも、馬群の大外。距離ロスもハンパじゃない。なのに、なのに、天皇賞・秋のスタート直後と同じように、南井騎手は行く気になったタマモクロスを行かせました。

「負けへん…」

「負けへん…」

「負けへんでーーー!」

 中山競馬場に炸裂した白い稲妻。タイミングとしてはめちゃくちゃです。勝負どころとしては常識破りです。でも、ファンは燃えました。

「そうだ」

「これがタマモクロスだ」

「これに俺たちは熱狂してたんだ!」

 そうです。エリートらしいスマートなレースではない、泥くさくて不器用で、ドキドキハラハラさせてくれる馬こそ南井克巳とタマモクロス。叩き上げの名コンビが引退レースでも、それを見せてくれたことに、ファンは感謝しながら、声がかすれんばかりの声を張り上げました。

「いっけーーーー!!!」

 4コーナーも超大外。ロスなんてありまくり。でも、そんなの関係ありません。

 怒涛

 破竹

 昇竜

 すべての馬をのみ込みながら直線を向いた真冬のサンダーボルトが、先に抜け出したオグリに並びかけます。

 白VS白

 3度目の芦毛頂上決戦

「うちが稲妻や…」

「うちが白い稲妻やーーーー!」

 まさに、噛みつかんばかりでした。闘志をむき出しにしたタマモクロスがすさまじい勢いで前に出たのが、直線半ば。その瞬間、オグリが満を持して追い出します。名手に操られ、完璧に、ロスなく回ってきた後輩の白にはまだパワーが十分に残っていました。グンッと先輩の白を突き放します。そこは急坂。さすがにタマモクロスの脚が鈍りました。脚色的には圧倒的にオグリ。さらに突き放しにかかった絶好調の若者に、調子を落としたチャンピオンが気合だけで食らいついた姿は、今見ても感動的です。

「負けへん…」

「負けへん…」

「負けへんでーーーー!」

88年有馬1

88年有馬2

 あの闘志、あの負けん気を受け継いだオグリは、翌年以降、競馬界をますます盛り上げていきます。南井ジョッキーもキーマンとなるのですが、それはまた別の話として、最後に改めてタマモクロスの功績を。

 初めての芦毛連勝馬対決(天皇賞・秋)

 未知なる強豪との競馬五輪(ジャパンカップ)

 さらに、本来なら「1強」で迎えるはずだった続く有馬記念が、漏れ伝わる不穏情報によって図らずも新旧対決に変貌したことで、秋の王道3連戦は、競馬の醍醐味がたっぷり詰まった極上のエンターテインメントになりました。バブルに浮かれ、ブームに乗り、踊らにゃ損!とばかりに首を突っ込んだだけのファンも、まさに稲妻に打たれたように競馬の面白さに目覚めたのです。あの3戦には、それぐらいの魅力があった。魔力があった。だから、タマモクロスが空前の競馬ブームを巻き起こしたと言っても過言ではないでしょう。そして、その魅力にとりつかれたファンが、今でも競馬を支えているのです。あの秋、落ちた稲妻は、まだバリバリと私たちの心の窓を揺らしています。

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