【ダイアモンド✡ユカイ×森重樹一 対談・前編】
はじめに
「レッド・ウォーリアーズ」のボーカル、ダイアモンド✡ユカイが、ゲストを招いて昭和の終わりに巻き起こった日本のロックムーブメントをひもとく。今回からは、大ヒット曲「GLORIA」でも知られる「ZIGGY」のボーカル、森重樹一が登場! 2人の出会いから、当時の日本のロックを振り返っていく。レッズがZIGGYに与えた影響とは?(企画構成=どんぴしゃ世代F)
出会いは〝バンドブーム前夜〟
森重 ユカイ君、久しぶりだね~。
ユカイ 久しぶりだね~。元気そうで何よりだよ。
――さっそくですが、お2人の接点は?
ユカイ バック・トゥ・80s! 30年以上前だな。覚えているのは、俺たちがデビューしたころ(1985年)、レッズと同じように派手なZIGGYってバンドがいるぞ、って話を聞いてさ。でも俺よりもシャケ(木暮武彦=レッズのギター)の方が先に知り合ってたんだよね。
森重 ZIGGYがよく出てたライブハウス「渋谷ラママ」にシャケが見に来てくれてね。「俺、レッド・ウォーリアーズってバンドやってるんだけど」「知ってる知ってる」って、電話番号交換して。ユカイ君と会ったのは対バンの時かな。
ユカイ シャケと森重は好きなアーティストが一致してたから、しょっちゅうつるんでた。
森重 エアロスミスとかデヴィッド・ボウイとかね。
――当時、どちらもファンとして聴いてましたが、そんな接点があったとは意外です。
ユカイ すごい接点あったよ。
森重 イベントとか、分け隔てなく一緒にやってたよね。ユニコーンとかパーソンズとかもみんなで。ちょうど“バンドブーム”前夜あたりの時代だね。
ユカイ 俺たちはひとつ前だから、ラフィンノーズとかブルーハーツとかね。
レッズのデビューアルバムはレンタル屋で借りた
――音楽的な印象はいかがでしたか?
森重 ZIGGYを始めて何年かしたころにレッドがデビューして、当時レッドのデビューアルバムはレンタルレコードで借りたんだよね。
ユカイ 買ってくれなかったんだ(笑い)。
森重 ん…(笑い)。
ユカイ まあ、あのアルバムに関しては、買いにくかったんだよね。ジャケットがちょっとエッチな感じで、女の子のオッパイが出ちゃってるから、女性ファンにも「恥ずかしくて買えない」ってよく言われてさ。
レッズの1stアルバム「LESSON 1」は86年10月に発売された
森重 そういう部分も含めてバンドのカラーとして打ち出してたじゃない。あのころのロックンロールバンドって、ポップさを否定するところがあったんだけど、レッドの1枚目はビートルズ的なポップな要素が入ってて、メロディーに広がりを感じてね。ZIGGYはギター2人をイメージしてたんだけど、1本ギターでこういうサウンドできるんだ、俺がやりたいのこれだよ、と思って1本ギターにしたんだ。
――レッズのデビューアルバムが影響を与えたんですね。
森重 1曲目に「ショック・ミー」を持ってきて脅かすあの感じとか、ZIGGYでもやったよ。「アウトサイダー」はポップだなと思ったし、「バースデーソング」みたいな叙情性のあるバラードも入ってる。ロックンロールの打ち出し方として、俺がやりたいのはこれだ!と思ったんだよね。
ユカイ そうなんだ。
森重 シャケはシングルコイル(古くからあるエレキギターのピックアップの種類。歯切れがいい音が特徴)使ってたじゃない。当時のアマチュアギタリストで、シングルコイルでがっしり音を出すやり方は誰もやってなかったから、こういうサウンドもいいなと思ったよ。
ユカイ なぜシャケがその選択をしたかというと、当時はレベッカとBOØWYが主流で、シャケってまさにその中(レベッカ)にいたんだよね。その流れがあってから、俺と一緒に対極なロックンロールバンドをやることになって。他のバンドとは違う、自分の音を追求していく中であそこにたどりついた。
――ZIGGYの印象はどうでしたか?
ユカイ 当時、森重はポップで売れそうな曲をいっぱい書いてて、ああいう曲が書けるの、実はうらやましいと思うところもあったんだよ。初期のアルバムなんてほんとポップだよね。あとすごく貪欲だったイメージ。ライブハウスでいろんなバンドを見て、吸収してたんじゃない?
森重 そう、外タレも含めていろんなバンドを見たよ。レッドもだし、デビルズとか、SIONさんなんかも大好きだった。
ユカイ 当時はヒッピーみたいな過激な衣装を着て、“ゾンビの十二単”なんて言われてたSIONね(笑い)。でも歌の説得力がすごかった。
「歌謡曲幕府」の時代で日が当たらなかった和製ミック・ジャガー
森重が大好きだったという山本翔さん
森重 で、いろいろ見て、「こういうのアリなんだ!」と驚いたんだよね。俺の前にデビューした人たちが、好きな音楽をすっげー自由にやっててね。これいいの? アリなの? ここ自由で最高だなって思ったんだ。だってその当時って「歌謡曲」が圧倒的な存在としてあって、ロックは何をやっても売れない時代でね。山本翔さんとか大好きだったけど…。
ユカイ (記者に向けて)山本翔さん、知ってる?
――知らないです…。
ユカイ 矢沢永吉さんの「キャロル」と同じ時代に「パフォーマンス」(1972年結成)っていうストーンズみたいなバンドをやってて、あるロックフェスで一時はキャロルを食ったとまで言われた。解散後、翔さんはソロデビュー(78年)し、「日本のミック・ジャガー」と呼ばれてた。もう亡くなって20年以上だね(95年没。享年45)。
森重 ミックにそっくりだったよね。大好きだったよ。でも日が当たらなかったんだ。あのころは、ロックをやりたい人も「歌謡曲」のカテゴリーに入ってやるしかない時代でね。
80年代前半は中森明菜(左)や松田聖子を中心とした〝アイドル歌謡〟全盛期でもあった
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