一度は発見された!?樹海に眠る武田信玄の軍用金
埋蔵金研究の第一人者・八重野充弘氏のコラムをnoteで復刻! トレジャーハンティングの魅力と歴史の奥深さをご堪能ください。3回目は〝最強〟と謳われた甲斐・武田氏の軍用金です。
甲斐の武田氏は、信玄亡きあと勢力が衰え、哀れな最後を迎えるが、全盛期には戦国一といわれる強大な兵力を誇っていた。その支えとなったのが、領内各地で採掘した金である。
武田軍団の中には「金山衆」という鉱山開発のプロ集団がいて、甲州金と呼ばれる良質の金貨を鋳造し、それを軍用金として軍事的要所にあらかじめ埋蔵していたらしい。
そのうちのいくつかはまだ掘り出されていないといわれ、トレジャーハンターたちのターゲットとなっている。日本の埋蔵金伝説の中でも、徳川、秀吉、結城のビッグ3に次ぐくらいの知名度があり、信ぴょう性の点でも指折りだ。実際に探索を行った人物の数も相当数にのぼるし、テレビ番組などで取り上げられる機会も多い。
昭和46(1971)年に発見された時価1億円の甲州金
筆者自身もテレビの企画で2つのポイントをそれぞれ4度ずつ、計8度探索をやっている。1か所は、武田領最大の金山として名高い黒川金山の近くの一之瀬渓谷で、人気グループのV6を連れて行ったこともある。
50メートル以上の切り立った崖のどこかで、明治の終わりごろに金の延べ棒が10本ほど見つかったという話があり、発見者が残したメモにある通りの小規模の洞穴が点在していることから、筆者もまだ可能性があると思っている。
谷底を流れる一之瀬川
しかし、甲信地方でも有数の難所で、延べ棒の発見者を含め遭難死した人も多く、筆者も滑落して頭を負傷したことがある。現在、日本トレジャーハンティング・クラブでは、調査を安全に進めるため、ドローンの使用を計画中である。
もう1か所、並行して調査継続中の場所は、山梨県富士河口湖町(旧上九一色村)の青木ヶ原の樹海の中だ。武田軍団が甲州各地に隠したという軍用金のうち、もっとも信ぴょう性の高い場所だといわれている。
その最大の根拠は、黄金の目撃談が残っていること。今から100年以上も前というから、話にあいまいな点があるのは否めないが、次のようないきさつらしい。
地元の男が、あるとき樹海の中の1つの溶岩洞穴の底に、金貨が詰まった壺があるのを見つけた。ひとつかみでも持ち帰っていれば、もっとリアリティがあったと思うのだが、気が動転していたのか、いったん村へ帰り、村人数名を引き連れて現場へ戻った。ところが、あたりは同じような形、大きさの穴だらけで、場所がわからず、以後何度行ってもたどり着くことができないまま、今日に至っているというのだ。ここには武田時代に築かれた、敵の侵入を防ぐための石塁が残り、軍事的要所に軍用金を隠したという伝説と一致する。
不思議な目撃談は、1993年、テレビ朝日の「水曜特バン!」のリサーチ中に、本栖湖畔に住む老人から聞き出したもので、番組では視聴者から募った100名を5チームに分け、ロープを張った200メートル四方のエリアを調べてもらった。地上からの目視と、穴に潜り込んでの手探りだけだったし、このときは成果はなく、以後数年おきに金属探知機や地中レーダー、はてはダウジングまで持ち込んで調査した。
樹海を調査する筆者
最近は日本トレジャーハンティング・クラブの仲間とともに時折出かけていて、地元の男が壺を発見したときの状況を細かく分析した結果、可能性のある場所がかなり絞られてきた。そこで、深い穴の底を探ることのできるファイバースコープを用意して、次の機会をうかがっているところだ。
樹海の中の無数の穴は、周りが崩れ落ち葉が積もっているので、調査は難航している
「甲州露一両金」の骨董価値は約500万円。目撃談の通りに壺いっぱいの金貨があれば、値打ちは計り知れない
やえの・みつひろ 山に、海に、眠れる財宝を探して47年!のトレジャーハンター、作家。日本トレジャーハンティング・クラブ代表。1974年、熊本県天草下島での財宝探しを開始。以後、日本各地の埋蔵金伝説を求めて全国30数か所を歩き、これまで実際に発掘を行った場所も10か所以上にのぼる。財宝探しや埋蔵金に関する著書多数。公式HPでは徳川埋蔵金を題材にした小説「リカバリー」も公開されている。