時価2千億!?旧日本軍が隠した巨宝
埋蔵金の第一人者・八重野充弘氏の元にはさまざまな情報が集まってくる。トレジャーハンターが心動かされるものはそれほど多くはないのだが…。
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旧日本軍の財宝といえば、フィリピンの山下トレジャーが有名だが、国内にも複数の場所に未発見のものがある。終戦間際に軍が処分に困って隠匿・埋蔵した貴金属などだ。30年以上前からそんな話を聞いてはいたものの、自分で探す気はさらさらなかった。確実性はあるかもしれないが、あまりにも生々しすぎて、幕末や戦国時代の埋蔵金と比べるとロマンに欠け、財宝としての魅力が感じられなかったからだ。
ところが、1997年の暮れに受けた1本の電話が、筆者の意識を変えさせた。相手は70代後半の老人。福井県敦賀市に置かれていた陸軍の歩兵連隊が、昭和15年に大陸から持ち込んだ美術工芸品と貴金属を、敗戦の色が濃くなってきた19年に、山中の洞窟に封じ込めたというのだ。将校の証言をもとに長年探索を続けてきて、もう一歩というところまできているが、歳も歳だし、家族が心配するので、最後の仕上げをやってほしいという依頼だった。
電話は上の空で聞いていたが、数日後に送られてきた詳細な探索記録と写真のスクラップを見て、筆者は仰天した。
(これは真実としか思えない!)
とにかく現場を見せてもらいたいと、翌年春の雪解けを待って老人の案内で現場へ向かった。山の斜面にぽっかりとあいた洞窟の入り口。中は人工的に掘られたものであることは確かだ。入り口は埋め戻されて巧妙にカムフラージュされていたのを、老人が昭和30年代に発見した。
中には昭和19年当時、時価3億円のお宝が眠っているはずだという。物価指数は当時の600倍以上になっているから、今だったらおよそ2千億円相当か。金額もさることながら、どういうものがあるのかを確かめたくなり、協力することを決心した。
その年の6月から開始した山中での財宝探しは、苦難の連続だった。奥行き約30mのトンネルのどこかに、4畳半くらいの宝蔵があり、莫大な価値をもつ美術工芸品と貴金属が眠っている確率は高いが、途中にある高さ5mほどの縦坑が、落盤で埋もれていた。そこで、再度落盤が起こらないように坑木を組み、身の安全を確保してから作業を進めなければならなかった。現場は標高約800mで、急な山道を毎日通うのはしんどい。3泊4日をワンクールとして、キャンプすることにした。現場近くに水場はない。水、食料、炊事道具、テントと夜具、工具、照明器具など、毎回5~6名のメンバーが担ぐ荷物は一人あたり30~40㎏に達した。
戦後処理の一翼を担おうと、20世紀中にやり終えるつもりだったが、再奥部までたどり着き、途中に宝蔵への入り口らしき部分が見つかってはいるものの、決定的な確証を得られないまま、調査は10年以上中断している。理由はいくつかあるが、第一に身の危険が多いことだ。最も怖いのは酸欠で、再奥部ではろうそくの火が消えることがある。よどんだ空気をビニール袋に詰めて地上に排出しながら作業していたが、あくまで一時しのぎ。また、トンネル内で新たな落盤が起こる危険性もある。加えて、途中の大木にクマの爪痕を発見。もろもろの要因で、筆者をふくめ調査隊の気力が萎えてきたこともある。
ここ5年ほど、いい知らせを聞かせることができなかったため、依頼人に連絡をとっていなかったのだが、最近になって電話が通じなくなってきた。健在ならばちょうど100歳のはず。何とか決着をつけてあげたいと、目下方法を検討しているところなので、元気で朗報を待っていてくれることを祈るばかりだ。