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事件現場から逃走したホセ・ゴンザレスの目はブッ飛んでいた【ケイジ中山連載#2】

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【事件のあらまし】1988年7月16日、プエルトリコ・バイヤモン市のウアル・ラモン・ルブリエム・スタジアムの控室でホセ・ゴンザレスにブロディが刺殺された。多くの目撃者がいるのに、なぜかゴンザレスには無罪判決が下され、最近までレスラー、ブッカーとして活動していた。
 そもそもプライドの高いブロディは、世界中のプロモーターともめ事を起こしており、ゴンザレスの単独犯行なのか、それとも大きな力が働い阿多のか。今でも謎に包まれたまま、事件から40年がたとうとしている。


ブロディの傷口からどくどくと噴き出す鮮血と泡

 血生臭い出来事が頻発している世界プロレス史の中でも、最も残忍で謎に包まれているブロディ刺殺事件。

 犯人のホセ・ゴンザレスは裁判で無罪判決を得ているが、多くのレスラー、関係者が蛮行を目撃しているとおり、不可解極まりない。

 1988年7月16日、プエルトリコ・バイヤモン市のウアン・ラモン・ルブリエル・スタジアムは混乱していた。
 ラピッド(早く)! ドクトル(医者)! アンビュランシア(救急車)! ドレッシングルームには、スペイン語が飛び交い大騒ぎとなっていた。

 その頃、スタジアムは夕闇に包まれ生暖かい潮風が吹いていた。ナイター用ライトがともり、グラウンド中央のリングを浮かび上がらせた。観衆が続々と入場して、ラッパを吹き鳴らし、まるでお祭り騒ぎだ。

ブロディが刺殺されたウアン・ラモン・ルブリエル・スタジアム(プエルトリコ・バイヤモン市)

 客入りをチェックするために、外に出ていたブロディの僚友ダッチ・マンテルは、ドレッシングルームに戻ってくるなりとてつもない恐怖感に襲われた。

 地元プエルトリカンレスラー同士が激しく何かを言い争っている。アメリカ人レスラーには分からない。

 地元レスラーは英語も話せるが、仲間同士では母国語のスペイン語だ。

 しかし、何かのアクシデントが起こったことはわかった。マンテルはクリス・ヤングブラッドと目が合った。「何なんだ」と聞いた。クリスは「ホセがブロディを刺した」と叫んだ。

 マンテルは困惑した。

 プエルトリコでは誰もが「ホセ」と呼ばれている。首をかしげるマンテルにクリスは「インベーダーのホセが、ブロディに『ビジネスの話をしたいのでシャワールームへ来い』とリクエストした。そのときゴンザレスの手にタオルが巻かれていた」と続けた。

 それでも事態がのみ込めないマンテルの目に異常な光景が飛び込んできた。

 コンクリートフロアに横たわっているブロディを、みんなが取り囲んでいる。

 プエルトリコではプロレス会場に限らず、街中でも喧嘩と血は日常茶飯事だが、これは残酷な光景であった。

 ブロディは身長198センチ、体重135キロ。鍛え抜いた肉体を誇っている。病院で手当てを受ければ、助かるはず。カルロス・コロンがひざまずいてブロディのそばにいた。

ダッチ・マンテルは僚友・ブロディの状況を振り返った。顔丸はカルロス・コロン(上)とホセ・ゴンザレス)

 マンテルも近づいた。ブロディは意識があり「信じられないくらいの苦痛の様子」だった。腹部は大きく裂け、どくどくと鮮血が噴出していた。傷口からは泡が噴き出している。血が空気の玉と混じっている。内部で出血していることが分かった。

 マンテルはそれほど信心深い人間ではないが、それでもブロディへ祈りの気持ちをささげたくなった。

 シャワールームの前ですごい形相のゴンザレスと、あごヒゲをはやして精悍な顔のWWC副社長ビクター・ジョビカが怒鳴り合っている。ゴンザレスのランニングシャツは返り血で染まり、大きなジョビカを突き飛ばして立ち去ろうとしたが、ジョビカが立ちはだかり制止した。

 だが、必死に逃走を図ったゴンザレスは、スキを突いて事件現場から逃げ出した。その目は空をさまよい、ブッ飛んでいた。

 ドレッシングルームには、救急車の到着を「今か、今か」と待つ者たちが残された。

救急車が来ない!ブロディは40分間も冷たい床に放置されていた

 ビクター・キニョネスはアブドーラ・ザ・ブッチャーとカメラマンを乗せて、スタジアムに向かっていた。プロレス会場に通じる市道は一本道。大渋滞に巻き込まれたが、やっと正面ゲートに到着した。

 葉巻をふかしたブッチャーはガードマンに護衛されて、悠々と三塁側の悪党用ドレッシングルームへ消えた。キニョネスは一塁側の正統派用ドレッシングルームに向かった。WWCオフィシャルカメラマンのファースト・エディは一目散にグラウンドのリングに向かった。

 ドレッシングルームに入ったキニョネスはあぜんとした。ブロディが苦悶しながら血を流し、冷たい床に横たわっていた。

会場入りしたキニョネスの眼前に驚くべき光景が

 容体は刻一刻と悪くなっているようだ。駆けつけたばかりのリングドクターが、懸命に助けようとしていたが、手のほどこしようがなかった。オフィスの人間が公衆電話で救急車を呼んでいたが、なかなかサイレンが聞こえてこない。公式な通報で救急車を要請しなかったからだ。

 しびれを切らしたキニョネスが地元のラジオ局に電話して「大至急、スタジアムに救急車が必要だ」と放送してもらった。何と救急車の隊員は、近くのファストフード店で食事をしていたという。やっと出動した。

 ブロディは40分以上もそのままにされていた。タンカが運ばれてきたが、救急隊員はブロディを持ち上げることができなかった。怪力のトニー・アトラスが手伝いタンカに寝かせた。

 アトラスは救急車に乗り込み、ブロディに付き添って病院に向かった。白色の救急車はサイレンを鳴らし、赤ランプを回転させて、市内最大の病院に到着した。

 ブロディは直ちに手術室へ運ばれた。アトラスは入室が許されなかったのでタクシーで会場へ舞い戻った。

トニー・アトラス

 その時、午後8時30分。最初の試合が開始されようとしていた。悪党控室は、ほぼ全員が顔を揃えていた。ダニー・スパイビーは、ブロディとの一戦に備えて、準備をしていた。

「スーパー・ブラック・ニンジャ」こと武藤敬司と「ケンドー・ナガサキ」の桜田一男、「ミスター・ポーゴ」関川哲夫の日本人3人は、小さな鏡の前で、顔に黒のペインをほどこしていた。

 1988年1月からプエルトリコ遠征に来ていた武藤は、半年後にはプエルトリコ・ヘビー級チャンピオンとなっていた。7月2日には橋本真也と蝶野正洋がカナダから飛んできて、闘魂三銃士を結成したばかりであった。

 この3か月、カリビアンTV王者インベーダー1号のホセ・ゴンザレスと抗争していた。この日はゴンザレスの弟とシングルマッチが組まれていた。

 武藤の試合が始まる前に「ブロディが誰かに刺された!」という第一報が飛び込んできた。そして「ファンに刺されたらしい」となった。実は深刻な事態だとは誰一人、思っていなかった。

 治安の悪いこの国では、刃傷ざたはしょっちゅう。「きっとカスリ傷程度」と考え、誰も気に留めなかった。何と、その夜のビッグマッチは、いつものように行われた。

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ブルーザー・ブロディ 本名=フランク・ドナルド・ゴーディッシュ 1946年6月18日、ニューメキシコ州出身。NFL、新聞記者を経て72年プロレスデビュー。79年全日初来日。82年スタン・ハンセンとの超獣コンビを日本で復活させた。85年新日移籍。87年に全日にUターンした。198cm、135kgの巨体を生かし、インターナショナルヘビー級王座などのタイトルを獲得した。

ケイジ中山 1949年、神奈川県川崎市出身。明大時代からアマレスで活躍。全日本学生選手権、全米学生選手権で優勝。75年に渡米し写真家&雑文家として活動。プロレスからディープな米文化を取材し、個展もしばしば開いている。ニューヨーク在住。

※この連載は2007年10月6日から2008年3月5日まで全22回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全12回でお届けする予定です。


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