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ゴルゴ13をライバル視した青木篤志「特別仕様なのか?それともデューク東郷の腕がいいのか…」【豪傑列伝#25】

 狙った獲物は逃さない。誰からともなく“有明のゴルゴ13”“金髪スナイパー”と呼ばれるほど、独特の殺気を持った男がいる。ノアの青木篤志だ。リング上ではスピーディーな関節技を得意とする青木は、自衛隊時代は銃の扱いに卓越し、射撃の名手として知られていたという。

2009年9月には朝霞駐屯地で特訓も敢行。青木は射撃の名手だった

 青木が自衛隊に入隊したのは、高校卒業後の1996年4月。まず最初に埼玉・朝霞駐屯地で半年間の新隊員教育を受けた。予想以上に厳しい訓練が待ち受けていたが、青木は自分の特殊な能力に気がつく。

 銃は使った後に入念な手入れが必要となる。そのため64式自動小銃を分解、さらに結合する訓練があった。実戦を想定しているため、最も必要とされるのはスピードだ。青木は約30人のクラスの中で、常にトップグループにいた。遅い隊員には2~3分もの差をつけるほどだった。

【青木の話】もともと小銃に興味があったんです。高校生の時に「コンバットマガジン」を毎月買って、いろいろな種類の銃を調べていました。あと「ブロークン・アロー」(ジョン・トラボルタ主演の戦争映画)を見て「ベレッタM93R」っていうピストル型銃にひかれました。実はボクはレスリングをやりたくて自衛隊に入ったんじゃないんです。面接でも「不発弾の処理をやりたい」と言って、受かったくらいですから(笑)。

 射撃の成績もトップクラスだった。教官から「(的の)8割以上取ったらメシをおごる」と言われれば、しっかりおごってもらうことに成功した。射撃賞をもらったこともある。自衛隊で射撃の名手と呼ばれつつあった青木が当時、ライバル視したのが「ゴルゴ13」だ。ゴルゴ13が使用するのはアサルトライフル。いわゆる狙撃銃ではなく戦闘用の突撃銃。「普通は精度のいい射撃はできないハズなのに、特別仕様なんでしょうか? それともデューク東郷の腕がいいのか…」。青木の得意技であるアサルトポイント(変型岩石落とし固め)の語源も、こんなところからきている。

 2004年4月に青森駐屯地に転属された。当時は自衛隊のイラク派遣が行われていた時期。それでも同年の12月、青木は「プロレスをやりたい」と伝え、自衛隊を辞める決意を固めた。その時、当時の中隊長から出された交換条件が忘れられない。「夢を追うのはいいことだ。だけどプロレスの試験に落ちたら、レンジャー教育受けてから、イラク要員だな」

【青木の話】あの時はレンジャー部隊やイラクより、プロレスラーになりたい気持ちが強かったんです。でも、ノアに入っていなかったら、イラクに行っていたかもしれませんね…。

 とにかく銃を扱うときは、安全管理が厳しいんですよ。例えば撃つ直前まで弾を込めるのはダメとか、弾が入っていない状態でも銃口を振ってはいけないとか。その時は「(上官に)うるさいなあ。分かってるよ」って思っていたけど、今思えば、あれから何事にも念には念を入れて行動するようになりましたね。

 身の回りのことだけでなく、青木は日頃から体調管理も怠らない。そのおかげか、デビューしてから一度もケガで欠場をしたことがないと胸を張る。有明のスナイパーは今日も新たな獲物を探し、リング上で目を光らせている。 

追悼セレモニーで青木の遺影を持つ佐藤光留(2019年6月、後楽園ホール)

※この連載は2009年4月~2010年3月まで全33回で紙面掲載されました。東スポnoteでは当時よりも写真を増やしてお届けします。


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