ゴルゴ13をライバル視した青木篤志「特別仕様なのか?それともデューク東郷の腕がいいのか…」【豪傑列伝#25】
狙った獲物は逃さない。誰からともなく“有明のゴルゴ13”“金髪スナイパー”と呼ばれるほど、独特の殺気を持った男がいる。ノアの青木篤志だ。リング上ではスピーディーな関節技を得意とする青木は、自衛隊時代は銃の扱いに卓越し、射撃の名手として知られていたという。
青木が自衛隊に入隊したのは、高校卒業後の1996年4月。まず最初に埼玉・朝霞駐屯地で半年間の新隊員教育を受けた。予想以上に厳しい訓練が待ち受けていたが、青木は自分の特殊な能力に気がつく。
銃は使った後に入念な手入れが必要となる。そのため64式自動小銃を分解、さらに結合する訓練があった。実戦を想定しているため、最も必要とされるのはスピードだ。青木は約30人のクラスの中で、常にトップグループにいた。遅い隊員には2~3分もの差をつけるほどだった。
射撃の成績もトップクラスだった。教官から「(的の)8割以上取ったらメシをおごる」と言われれば、しっかりおごってもらうことに成功した。射撃賞をもらったこともある。自衛隊で射撃の名手と呼ばれつつあった青木が当時、ライバル視したのが「ゴルゴ13」だ。ゴルゴ13が使用するのはアサルトライフル。いわゆる狙撃銃ではなく戦闘用の突撃銃。「普通は精度のいい射撃はできないハズなのに、特別仕様なんでしょうか? それともデューク東郷の腕がいいのか…」。青木の得意技であるアサルトポイント(変型岩石落とし固め)の語源も、こんなところからきている。
2004年4月に青森駐屯地に転属された。当時は自衛隊のイラク派遣が行われていた時期。それでも同年の12月、青木は「プロレスをやりたい」と伝え、自衛隊を辞める決意を固めた。その時、当時の中隊長から出された交換条件が忘れられない。「夢を追うのはいいことだ。だけどプロレスの試験に落ちたら、レンジャー教育受けてから、イラク要員だな」
身の回りのことだけでなく、青木は日頃から体調管理も怠らない。そのおかげか、デビューしてから一度もケガで欠場をしたことがないと胸を張る。有明のスナイパーは今日も新たな獲物を探し、リング上で目を光らせている。
※この連載は2009年4月~2010年3月まで全33回で紙面掲載されました。東スポnoteでは当時よりも写真を増やしてお届けします。