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サラ金、センターマン、ウシジマくん…借金について考えて思い出したこと

 小さい頃に「サラ金は怖いところ」と親から教えられた記憶がある。「駅前に行けば笑顔でポケットティッシュをくれる人なのになぜだろう?」と子供ながらに不思議だった。

 1990年代、サラ金は大量のテレビCMを流していた。宇宙人が地球に寄ってお金を借りていく設定のアコムのCM「ラララむじんくん、ラララむじんくん」というフレーズは強烈な印象を残した。アイフルの「お自動さん」、武富士の「¥enむすび」、レイクの「ひとりででき太」などサラ金各社はキャッチーなネーミングの自動契約機で新規顧客を増加させ発展を遂げた。

 もちろん当時はそんな背景などつゆ知らず、武富士ダンスをパロディーにした『笑う犬の冒険』のコント「センターマン」を見てゲラゲラ笑っていただけだった。その後、大人になるにつれて〝いつの間にか〟自動契約機は目立たなくなり、〝いつの間にか〟サラ金のCMからキテレツ感もなくなり、〝いつの間にか〟サラ金はメガバンクを含む銀行に取り込まれていた。90年代のギラツキはどの時点で消えたのだろうか?

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 中公新書の『サラ金の歴史 消費者金融と日本社会』(小島庸平著)はこれらの〝いつの間にか〟を丁寧にひもといてくれる。

個人への少額の融資を行ってきたサラ金や消費者金融は、多くのテレビCMや屋外看板で広く知られる。戦前の素人高利貸から質屋、団地金融などを経て変化した業界は、経済成長や金融技術の革新で躍進した。だが、バブル崩壊後、多重債務者や苛烈な取り立てによる社会問題化に追い詰められていく。本書は、この一世紀に及ぶ軌跡を追う。家計やジェンダーなど多様な視点から、知られざる日本経済史を描く意欲作。

 借金の落とし穴を学ぶには最適なマンガ『闇金ウシジマくん』(小学館)も引用されている。ひとつめはタクシー運転手が月6%の金利を取って同僚に金を貸すシーン。同僚なら毎日顔を合わせるし給料日も把握しているから回収が不可能になるリスクも少ない。これが戦前期の「素人高利貸」の本質を突いているのだと著者は指摘する。

 もうひとつは強引な債権回収に罪悪感を覚えた社員に対し、ウシジマくんが「後味の悪さを金に換えたンだ。受け入れろ。それが俺たちの仕事だ」と言い放つシーン。債権回収を効率的に進めるために、取り立てる側が職務を「脱人格化」させて精神的負荷を軽減していたというリアルな証言も明かされていて興味深い。

 サラ金がメガバンク傘下に入った現在、小口信用貸付の主流は銀行カードローンであり、著者はこんな視点も提供する。

銀行は、サラ金などの貸金業者と異なり、貸付金の原資として一般の個人からも預金を集めている。つまり、銀行カードローンで貸し付けられている金は、元をたどれば私たち自身の預金に他ならない。(313ページ)

 ごく普通に振り込まれた給与を預金している私自身が銀行カードローンの〝金主〟かもしれないと思うと不思議な気分になる。とはいえ、貸付金利と預金金利の差額で経費をまかなった上で利益を計上し、金利として投資家に配当するのが銀行であることを考えれば当然であるし、借金が悪なのではなく、経済を回すエッセンスであることも自明だ。

 銀行カードローンやリボ払いも使い方を間違えれば〝沼〟となりえるし、コロナ禍で生活困窮者が増える現在、将来受け取る予定の給与を担保にする「給与ファクタリング」も問題視されている。借金とは何か、大人になってもそれを理解するのは難しい。(デジタル・事業室 森中航)

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