飲みに行こうがカノジョの家に泊まりに行こうが、練習は欠かさない【高橋慶彦 連載#7】
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飲みに行こうがカノジョの家に泊まりに行こうが、練習は欠かさない【高橋慶彦 連載#7】

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年俸アップした〝日本一のオフ〟は副業も充実

 初の日本一に輝いた1979年のオフには、楽しみなイベントが待っていた。球団からプロ野球選手としての評価を金額で提示してもらえる契約更改のことだ。以前にも書いたように、俺の入団時の年俸は120万円。そこからジワジワと上がっていって、78年オフの契約更改では650万円だった。

 事前に番記者の人たちに話していた希望額は1500万円。2年連続の3割で初タイトルとなる盗塁王も取っていたし、それなりの評価をしてもらえる自信はあった。ちなみに当時は1000万円の大台が一人前の選手の証しみたいなところがあって、山本浩二さんのような一流の中心選手で3000万円台。今とは貨幣価値が違うから一概には言えないけど、プロ野球選手の年俸の相場は、今の10分の1ぐらいの感覚だね。

契約更改の高橋慶彦(79年12月、広島球団事務所)

契約更改した高橋慶彦(79年12月、広島球団事務所)

 交渉日に設定されたのは、ハワイへのV旅行から帰ってきた直後の12月19日。期待に胸を膨らませて球団の役員室に入っていった。交渉は30分ぐらいだったかな。球団の人といろいろ話した上で提示額に“いろ”までつけてもらい、サインした金額は140%増の1550万円。浩二さんの4000万円や江夏豊さんの3600万円には遠く及ばなかったけど、不本意なシーズンだった衣笠祥雄さんが2000万円どまりだったことを考えれば、最高の評価をしてもらったと言える。

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日本シリーズMVPに輝いた高橋にはマツダ賞として真っ赤なルーチェが贈られた

 このオフは副業も大忙しだった。年内限定ながらクイズ番組や歌番組などのテレビ出演が12回に、サイン会が15回。その間を縫って自動車の教習所にも通ったりした。地元の教習所のCMに出ていたのに運転免許は持っていなかったから、慌てて取りに行ったんだ。日本シリーズのMVPの副賞で真っ赤なマツダ・ルーチェをもらったから。

「君の声がきこえる」っていうタイトルのドーナツ盤を出したのも、このころだった。広島ではけっこう売れたんだよ。発売から数日で5万枚売れたとかで、市内のレコード店では売り切れも続出したそうだ。有線で8位に入ったなんていう記録も残っている。

球場入りする山崎隆造(左)、高橋慶彦(81年2月、日南・天福球場)

球場入りする高橋(右)と山崎隆造(81年2月、宮崎県日南市)

 オフの副業も充実していたから、羽振りも良かった。細かいことは覚えていないけど、当時の記事によると、副業での稼ぎと年俸が同じぐらいだったらしい。そのせいか次第に金銭感覚も変わっていった。財布の中にはいつでも現金で150万円入っていたし、広島最大の繁華街、流川ながれかわでも肩で風を切って歩いてた。クルマもちょっとだけルーチェに乗って、80年のシーズン中には真っ赤なポルシェ911SCに乗り換えた。値段は1000万円弱だったかな。

 それこそ当時は怖いものなしだったし、生意気盛りでもあった。知り合いの社長さんに「いいかヨシヒコ、『人』という字は人と人の支えあう姿から生まれたんだぞ」って説教されても「何を言ってるんですか。倒れそうになっても、自分の右足を前に出せば『人』になるじゃないっすか」なんて減らず口を叩いたりしてね。

 そうそう、年俸とかの金額は全て推定なんで、あしからず。

歓楽街で遊んでいても素振りは欠かさない

 自分で言うのもなんだけど、2年連続で日本一になって盗塁王も2年連続で獲得した1979、80年ごろの俺は本当に生意気だった。言うこともやることも好き勝手だったし、年俸も副業で稼ぐ小遣いも増える一方。そりゃあ、勘違いもするよ。

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79年オフに1000万円プレーヤーの仲間入りをした高橋は契約更改後も上機嫌だった

 ただ、一つだけ自分に言い聞かせてたことがあった。「高い給料もらって、女の子にもモテたりして好き放題にできるのは、野球で結果を残しているからだぞ」って。ワガママに振る舞えるのも野球があればこそ。その意識だけは、どれだけチヤホヤされても失うことはなかった。むしろ「これで成績が落ちるようなら、必ずシッペ返しを食らう」という恐怖心のようなものさえあった。

 だから、飲みに行こうがカノジョの家に泊まりに行こうが、練習は欠かさない。それこそカノジョの家にもバットを置いといて、いつでも素振りできるようにしていた。広島の歓楽街、流川なんかで飲む時だってそう。自分から知り合いを食事に誘っといて「ちょっとばかりバットを振ってきま~す」って、2時間ほど席を外したりね。

 別に格好をつけているわけじゃなくて、習慣みたいなもんなんだ。やらないと気持ち悪いっていうか。チームメートだった達川光男さんには「ワシにはそれだけの練習はできん。イヤミか」とも言われたけど、それが俺のスタイルだったんだ。実を言うと一度だけ「しんどいから、今日は寝ちゃおう」って練習をサボった日があった。でもダメだった。夜中にうなされたんだ。起きてバットを振った後は、熟睡できた。

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