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「ウマ娘」の勝負服が大反響!?〝幻の3冠馬〟フジキセキを「東スポ」で振り返る

 先週、ゲーム「ウマ娘」にヒシアマゾンが実装された午後、「フジキセキ」がトレンド入りしました。どうやらアレがすごいらしい…。すぐさま確認し、「あわわわ…」となったんですが、その瞬間、私は四半世紀前にタイムスリップしました。あの感覚、現実のフジキセキの姿やレースを見たときに感じたものに似ていたのです。見てはいけないものを見てしまった気がする。でも、目をそらすことができない…。それを丁寧に説明することで、たった4戦、GⅠは1勝のみなのにウマ娘にも登場するぐらい名馬として認知されている理由が伝わるのではないか…と私はキーボードを叩きはじめました。レース数が少ないのでいつもより短くなっています。気軽にお読みいただければ幸いです。(文化部資料室・山崎正義)

父から受け継いだ青鹿毛

 ユーザーがくぎ付けになったのは、ヒシアマゾン姐さんのストーリーに登場するフジキセキの衣装。実は、リアルのフジキセキも見た目が強烈でした。青鹿毛(あおかげ)という全競走馬の3%にしか出現しないやや珍しい毛色。「青」といっても青いわけではなく、真っ黒なのが特徴です。中でも、フジキセキは他を威圧するような黒光りする馬体の持ち主でした。それはもう迫力ありまくり。思わず息をのみ、ひれ伏したくなるような漆黒だったのです。

朝日杯1

馬体


 毛色は父であるサンデーサイレンスから受け継いだものでした。アメリカの2冠馬で、普通は日本にはこない実績馬でしたが、米では血統や気性的に種牡馬(しゅぼば=後世に血を残していくために多くの馬の父親となる馬)としての魅力が薄かったのか、日本の大牧場が白羽の矢を立て、熱意を持って輸入にこぎつけました。日本で種牡馬生活を始めたのは今からちょうど30年前の1991年。その初年度産駒67頭のうちの1頭がフジキセキです。

 94年、サンデーサイレンスの子供たちはデビューするや否や、勝ちに勝ちまくります。当時競馬を見ていた私の感覚としては〝出てくる馬はどれも勝つ〟ぐらいのイメージ。ハズレがほとんどなく、軒並み勝ち上がってみ~んな強いんです。それほど血統に詳しくなかった私でも、明らかに何かが起きているのが分かりました。サンデーサイレンス旋風と呼ばれたその現象は今後も起こらないかもしれない大革命で、日本の競馬界の血統地図は完全に塗り替えられました。サンデーサイレンスを父に持つ名馬が次々と誕生し、その馬たちが種牡馬になるので、倍々ゲームどころの騒ぎじゃありません。聞いて驚いてください。30年たった今年のダービーに出走した17頭み~んなにサンデーサイレンスの血が流れているんです。それほど強烈な「血」でした。

衝撃のデビュー戦

 で、革命第1世代のエースだったのがフジキセキです。見た目が父に似ていることに加え、デビュー前の調教の動きも良く、大きな期待を背負って8月の新潟でデビューします。

新馬

 芝1200メートルの新馬戦というのは、素質で多少見劣ったとしても、仕上がりとスタートの良さ、ダッシュ力でカバーできます。練習不足の素質馬がモタモタしているうちに逃げ切ってしまえばいいのです。だからこそ、これとは真逆のレースをして勝つと「おっ」となります。レース的には負けパターンなのに素質だけで勝利してしまう…はい、これこそ競馬ファンの大好物。「うわっ、これはGⅠ級だ」「この馬、ヤバイかも」。お宝発見の楽しみが新馬戦にはあるわけです。そして、時に名馬のそれはかなりの衝撃を与えてくれます。

 フジキセキはスタートが悪く、3馬身ほど立ち遅れてしまいました。かなりの不利は不利ですが、途中から騎手に促されて次第に上がっていくと、4コーナーで先頭に並びかけます。ヤバかったのはその後です。直線で仕掛けると後続をアッと言う間に引き離し、8馬身差。1200メートルの新馬戦で起こるぶっちぎりはほとんどが逃げ切りなのに、フジキセキは道中後ろから進んで、直線だけで大きな差をつけたのでした。以下は、週明けに載った、本紙の記事。前週の新馬勝ち馬をチェックするコーナーです(今でもあります)。

新馬結果

 記事のほとんどをフジキセキに費やしています。勝ちっぷりはもちろん、数字でも強さを証明しており、レースの前半3ハロン(600メートル)は34秒7というなかなかのハイペース。出遅れた後に、その激流を上がっていっただけでもすごいのに、最後に突き放しているわけです。手綱を取った蛯名正義騎手はこう語っています。

「これは新潟限定じゃなく全国区レベルです」

 きました、太鼓判。さらに…。

「追ってからの脚もしっかりしているし、距離延びて楽しみです」

 というわけで、次は1600メートルのレースに出走します。10月、阪神で行われた「もみじステークス」。ここでもあまりスタートがいいわけではなく、道中は中団。徐々に外を回って進出し、4コーナー手前で前を射程圏に収めました。で、直線を向き、持ったままで先頭に立ったところを外から2着馬が迫ってくるんですが…ここからが強かった。かわされそうになったとき、軽く騎手が押しただけで、さっと突き放したのです。しかもタイムはレコード。競馬を長く見ている人はすぐに気づきました。「この馬、本気で走ってない」「奥がありそうだ」「モノが違うかもしれない」。ウキウキとは違う、怖い物見たさに近い心持ちだったのを覚えています。正体が見えてこない怪物…。これはもう相手が強くなるGⅠで確認するしかありません。

朝日杯3歳ステークス

 12月11日に行われる若駒ナンバーワン決定戦「朝日杯3歳ステークス」(GⅠ)には、フジキセキ以外にも2戦2勝の馬が4頭、出走を予定していました。中でも注目は、本紙の追い切り速報でフジキセキ以上のスペースを割かれているこの馬。

朝日杯・追い切り


 スキーキャプテン。当時、猛威を振るっていた外国産馬であり、2歳年上のお姉さん・スキーパラダイスはこの年の京王杯スプリングカップ(GⅡ)に外国馬として参戦して勝利。朝日杯の2か月前には、フランスのムーラン・ド・ロンシャン賞を武豊騎手を背に勝っていました。これは日本人騎手による初めての海外GⅠ制覇であり、弟であるスキーキャプテンの鞍上も武ジョッキーなんですから、〝いかにも〟です。翌年には米国のダービーに挑戦するプランもあり、かなりの注目度だったことがうかがえます。今考えると、米ダービー馬サンデーサイレンスの初年度産駒が初めて出走するGⅠで、米ダービーを目指す馬と対決しているのですから、不思議な因縁。しかもこの2頭、見た目が正反対でした。漆黒のフジキセキに対し、スキーキャプテンは灰色よりも白に近い芦毛(基本はグレーですが馬や年齢によって白さが変わる毛色)だったのです。

朝日杯・馬柱

 単勝オッズはフジキセキ1・5倍、スキーキャプテン4・3倍。スキーキャプテンが後ろからいく馬だったため、直線が短い中山に向いていないことで差が開いていましたが、素質的には魅力十分で、黒いフジキセキに白いスキーキャプテンがどこまで迫れるか…という構図でゲートが開きました。

 1枠1番から好スタートを切ったフジキセキ。何となくムキになっているような…、う~ん、でも、ハッキリ見えませんでした(苦笑)。実は当日の中山は9レースぐらいまで冷たい雨が降っており、その後も上空には厚い厚い曇。最も日が沈むのが早いこの時期に曇天ですと、メインレースが行われる15時半ごろは既に競馬場がかなり暗くなります。あの雰囲気はそれはそれでまたいいんですけど、朝日杯のときは雨後のモヤが出ており、スタンドから遠い向こう正面を走っていく一頭一頭は見えにくく、中でも闇に同化する真っ黒い馬体はカメラを通してもちょっと確認しづらい状況でした。一方、白いスキーキャプテンは光っているかのようによく見えて、予想通り後方で脚をためているのが確認できます。

 3コーナーから4コーナーを回り、徐々に近づいてくる馬群。スタンドからライトが降り注いでいるため、だんだんと馬の様子がハッキリしてきました。直線に入り、内からするすると伸びていくフジキセキ。ゴールが近づくにつれて照明の明るさが強くなり、その光の中を、漆黒の馬体が真っすぐにゴールに突き進んでいきます。大外からはスキーキャプテン。内と外、白と黒。2頭だけにスポットライトが当たっているような舞台は、なんだか遠くの世界で行われている出来事のようで、現実味のない風景に映りました。

朝日杯・ゴール前

 薄暗さ、底冷え、淡々としたレース展開。午前中の未勝利戦で1番人気の馬が2番人気の追い上げをクビ差だけ軽くしのいだかのように見えたのは私だけでしょうか。それぐらいあっさりと、何事もなく、GⅠが終わった気がしました。派手な勝ち方ではありません。時計も平凡でした。でも、勝つのが当たり前のような、決まっていたかのような、なんなんでしょう、あの感じ。ワクワクじゃないんです。本当に強いのか。いや、強いに決まってる。でも、どれぐらい強いのか分からない。どこまで強いのか分からない。そして何より今日が本気だったかが分からない不気味さを感じながら、コートの襟を立てて競馬場を後にしたのでした。

朝日杯・結果

 翌日の本紙です。記事の中に、不気味さの正体が潜んでいました。2戦目から主戦となった角田晃一ジョッキーから若さや反省点、課題点が次々と飛び出していたのです。

「もう少し後ろから行きたかった」

「道中はかかり気味(ムキになってスタミナを浪費すること)だし、直線は内にささった(突然内に斜走した)」

「やっぱり太かった」

「道中の走りもピンと来なかった」

「ゴールした後もポケット(スタート地点)へ向かって突進するぐらいで、息もすぐに入った(乱れた呼吸が整った)」

「まだ気持ちが競馬に向かってない」

 それでも勝った――。若さを見せながら、本気さえ出さずに勝った――。角田騎手は最後にこうも付け加えたそうです。

「いい勉強になりました」

 GⅠですらお試しの場だったとも聞こえるコメントに、記者も底知れなさを感じたのかもしれません。記事の最後、この年、ぶっちぎりの3冠を決めた名馬を引き合いに出し、こう締めています。

「(見た目や数字的には)ナリタブライアンより弱い3歳チャンピオンが、ナリタブライアンより強いダービー馬になる可能性はまだ残っている」

 そう、まだ分からない。結局、GⅠ馬になっても、フジキセキがどこまで強いのか、誰も分からないままだったのです。

弥生賞

 陣営がクラシックシーズン初戦に選んだのは3月5日の「弥生賞」。数々の名馬がここをステップにした王道のGⅡです。この頃になると、強さが徐々に表に出てきていました。調教タイムです。これは弥生賞の追い切り速報紙面。

弥生賞・追い切り

 51・4秒というのは、関西のトレーニングセンターの坂路(急坂を上らせることで鍛える練習場)800メートルを走った数字で、かなりの好タイム。それを馬なりでマークしている時点で相当の脚力を持っているのですが、なんとこの馬、2週間前には49・9秒という全調教馬のトップタイムを叩き出していました。角田騎手が記事の中で「エンジンが違う」というのも納得です。せっかくなので、日曜の競馬欄に載った記事も。

弥生賞・コメント

 開業17年目を迎える調教師が「これまで手掛けた男馬の中で一番」と口にしています。当然、印はこんな具合。

弥生賞・馬柱

 単勝オッズ1・3倍。先ほどの記事で騎手が「一段とたくましくなり成長している」とも語っていた通り、プラス16キロの馬体は、筋骨隆々、黒光り。漫画「北斗の拳」のラオウの愛馬・黒王号を彷彿とさせるもので、そのオーラは他を圧倒していました。そして、昨年まで上手ではなかったスタートをきれいに切ると、雨で重くなった馬場をものともしないパワーで突き進んでいったのです。

 1コーナーに向かいながら先頭をうかがおうかという黒い馬に、スタンドのファンから歓声。やや前進気勢は強いものの、1コーナーを回ったところで折り合い、2番手に落ち着きます。4コーナー手前で早くも一番前、直線で悠々と先頭。「ああ、今日も何事もなく、当たり前のように勝つんだな」。そう思った時、〝何事〟が起こりました。大外から2番人気のホッカイルソーが飛んできたのです。フジキセキのデビュー戦で手綱を取った蛯名騎手を背にし、フジキセキぐらい真っ黒な馬体が、外から猛然と襲い掛かりました。

「差される!」

 その勢いやすさまじく、フジキセキに並び、誰の目にもハッキリとかわしました。しかし、次の瞬間、競馬ファンは世にも恐ろしいものを目にします。

 ぐわんっ。

 追いつかれたことで騎手が静かにGOサインを出すと、黒い馬が突然、跳ねるように脚を前に出し、アッと言う間に前にワープしたのです。ホッカイルソーが止まったかに見える、時空が歪んだかのような出来事でした。黒が黒に並ばれ、いや、一度はかわされたのに、そこから残り100メートルで2馬身半差をつけて、王たる黒は悠々とゴールを駆け抜けました。

「あっ」

 私だけじゃなかったはずです。

「まさか今…」

 そう、ほんの数秒だけでしたが、フジキセキが本気を出したように見えました。そして、ほんの数秒の本気で伝統のGⅡを勝ってしまった馬の底知れなさに誰もが震えたのです。

弥生賞・結果

 紙面では角田騎手が突然のギアチェンジについて生々しく証言しています。

「ずーっと(他の)馬を見ながら走っていたせいか、追い出す直前は何か手ごたえがあやしかった。でも競る形になって馬が急にやる気になった」

 やる気になったのはあの数秒だけ。じゃあ、もっと強い敵が現れて、数秒が数十秒になったらどうなるのか…。ファンのその想像にフジキセキの敗北は前提となっていません。もっと本気を出したらどれだけ強いのか。もしかして史上最強なのではないか。

 見たい。

 フジキセキの本気をもっと。

 どこまで強いのか見てみたい!

 これこそ、未知なる強さを前にした、競馬ファンにとっての至福の時。しかし、その時間は長くは続きませんでした。皐月賞を前に、競走馬にとって不治の病である屈腱炎を発症し、電撃引退――。私たちがフジキセキの本気を再び見ることはありませんでした。

引退記事


 フジキセキが抜けたクラシック戦線は一転して混戦となりましたが、サンデーサイレンス旋風は続いていました。皐月賞を勝ったのはエアグルーヴの回で登場したサンデー産駒・ジェニュイン。そしてその皐月賞で2着に入ったこれまたサンデー産駒がダービーを勝ちます。タヤスツヨシ。フジキセキが2戦目のもみじステークスであっさり退けた馬だったことに、ファンは戦慄したのでした。

〝幻のダービー馬〟

いや

〝幻の3冠馬〟

いや

〝幻の史上最強馬〟

 フジキセキがどれほど強かったのかは、いまだに漆黒の闇の中です。


馬名

 底知れぬ強さの魅力は馬名にも起因していたと、私は勝手に思っています。日本一の山「富士」に、様々な意味が込められた「キセキ」。調べないと意味が分からない外国語もオシャレですが、みんなが分かる日本的な言葉2つを組み合わせ、それなのに5文字と短いのがカッコイイです。これがまた黒い馬体と合うような…気のせいですかね(苦笑)。 

ホッカイルソーの悲劇

 弥生賞でフジキセキに一瞬だけ追いつき、追い越したホッカイルソーはその後、多くのファンを獲得する馬になります。皐月賞とダービーで4着、菊花賞で3着。古馬になった96年は、サクラローレル→ナリタブライアンで決まった天皇賞・春でも3着に突っ込んできました。

天皇賞のホッカイルソー

 ただ、この馬、〝スタミナ満点のナイスネイチャ〟的なところがあり、GⅠ以外の重賞でも3着ばかり…そんな彼を見て、一部のファンは「あの弥生賞のせいだ」と言っていました。直線を向き、自信満々に「よっしゃー!」と勢いよく中山の急坂を上り、前にいる馬をかわした瞬間、ギロリとひと睨みされ、「お前ごときが何の用だ?」とばかりあっさり突き放されてしまったことで、自分より圧倒的に強い馬がいるという残酷な事実と、他馬を追い抜く怖さを知ってしまったため、先頭に立つのを避けるようになったのでは…というわけです。そんなバカなとも思いますが、こんな説がささやかれるのも、あのときのフジキセキがヤバすぎたからでしょうね。

サンデーサイレンスの凄さ

 本文で軽く説明したように、サンデーサイレンスは世界の競馬史においても大大大種牡馬です。2007年まで13年連続でリーディングサイアー(子供たちが1年間に稼いだ金額の合計ランキングで1位)となり、43頭のGⅠ馬を輩出しました。中央、地方を合わせた産駒の合計勝利数は3721、総賞金獲得額は約800億円! おかげで、1回の種付け料が、一時2500万円にまで高騰しました(下品な言い方をすると1発2500万円ということです)。

 産駒の特徴は「早い時期から活躍できる(産駒が晩成タイプの種牡馬もいます)」「気性の激しさを能力に転化できる」、何より「速い時計の勝負に強く、瞬発力がある」ことでした。ちょうど1990年代後半から、日本の競馬界ではどんどん馬場が改良され、タイムの速さや瞬発力を求められる路面になっていったんですが、見事にマッチしたわけです。その完成形が爆発的な瞬発力を見せたディープインパクトであり、引退後はサンデーサイレンスの後継種牡馬にもなりました。

 これだけの馬ですから、天国に旅立った時は大ニュースになりました。まず、2002年7月26日付で本紙はこんな1面。

サンデー重体

 引退した馬が重体になるだけで1面になるのは「競馬の東スポ」だけでしょう。その後、8月19日、永遠の眠りにつきました。

サンデー死去

 ちなみに、ウマ娘に登場するサンデーサイレンス産駒はスペシャルウィークサイレンススズカ、マンハッタンカフェ、マーベラスサンデー、エアシャカール、アドマイヤベガ、ゼンノロブロイ、アグネスタキオン、フジキセキ。「そんなにいるんだ!」と驚く人もいるかもしれませんが、実はゴールドシップダイワスカーレット、スマートファルコン、キタサンブラック、ナカヤマフェスタ、サトノダイヤモンドはです。いやはや、どんだけなんでしょう。


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