引退試合で送りバントした〝男の美学〟【野球バカとハサミは使いよう#10】
自分の役割に誇りを持ち、分をわきまえることがいかに美しいか
本来、プロ野球選手の引退セレモニーは一部のスター選手だけに許された特権であった。しかし、近年は微妙な選手にまで引退セレモニーを催すことが増えた気がする。
昨年、ヤクルトの石井弘寿やソフトバンクの柴原洋に引退セレモニーが用意されたときは驚いた(失礼)。おそらく興行として儲かるからだろうが、引退セレモニー安売り時代の到来を実感したものだ。
その点、1994年の阪神・平田勝男の引退は、地味ながらも胸に迫るものがあった。平田といえば84~87年に4年連続でショートのゴールデングラブ賞を獲得した守備の名手だ。とはいえ、決してスター選手だったわけではなく、送りバントの技術に秀でた名バイプレーヤーという位置付けだった。
かつての球界では、そういう選手が引退する場合、セレモニーなどあり得ない。平田も引退を決意した94年、最後に1試合、しかも1イニングだけ出場して終わりという、寂しい幕引きが予定されていた。
最後の試合、平田は2番ショートでスタメン出場。そして1回表の守備を無難にこなし、裏の阪神の攻撃となった。
すると、無死二塁のチャンスが生まれ、平田に現役最後の打席が回ってきた。客席には平田の最後の雄姿を見届けようと満員の観衆が詰めかけており、中には平田の夫人や子供たちの姿もあった。時の中村勝広監督も「思いきり振ってこい」と平田にハッパをかけて送り出したという。
ところが、平田はその打席でノーサインの送りバントを決めたのだ。繰り返すが、これは平田の現役最後の打席である。
確かに平田は1試合4犠打という日本記録も樹立したバントの名手だった。しかし、それでも野球選手には、許される場面ならバットをフルスイングしたいという本能があるもので、最後の打席くらいはその本能に従いたいところだろう。
それにもかかわらず、平田は自己判断でバイプレーヤーの役割を選び、そのまま静かにユニホームを脱いだ。そこにあるのは、地味ながらも分をわきまえた男の美学である。
これはサラリーマンにも通ずる極意だ。組織の中で仕事をしていると、誰でも一度は花形に憧れるものだが、現実は地味な脇役として生きていく人がほとんどだ。
しかし、それでも自分の役割に誇りを持ち、常に分をわきまえることが、いかに美しいか。たとえサラリーマン人生で“主役”になれなくとも、そういう美意識だけは守りたいものである。
上司と自分の短所が重なっていたら危険信号
日本社会がバブル景気に沸いた1980年代。球界を彩った個性派選手といえば、南海ホークスの捕手として活躍したドカベンこと香川伸行が印象深い。身長は172センチとプロ野球選手にしては低いものの、体重は最盛期で140キロにも到達。ご存じ、球史に残るデブ選手である。
香川は80年に南海に入団すると、1年目のプロ初打席でいきなりレフト場外にホームランをかっ飛ばすなど、圧倒的なパワーを見せつけた。一方で太りすぎによりスタミナに不安があり、一年を通して安定した活躍はできなかった。
それでも香川は多くのファンに愛された。コーラの瓶を“両手”に持ちながらグラウンドを歩いていたり、腹が出すぎていたため平凡な内角球が死球になったり、監督からのダイエット命令中に食堂でステーキを食べているところを週刊誌に激撮されたり、とにかく笑いのネタには事欠かない選手だった。
おそらく首脳陣にとっても憎めないキャラクターだったのだろう。80年代後半に入ると故障が多くなり、成績が下降してきた香川だったが、それでも時の南海監督・杉浦忠は彼をかわいがっていたものだ。
ところが89年に杉浦監督が勇退すると、香川に転機が訪れた。新監督に就任した田淵幸一が香川について「太りすぎ」「打つだけの捕手はいらない」などといった正論を振りかざし、香川はこの年限りで戦力外通告を受けることに。ファンに愛されたドカベンは27歳の若さで現役を退くことになったのだ。
正直、あの田淵がデブ選手に厳しいとは驚いた。「打つだけの捕手」とは自分のことじゃないか。田淵は香川に近親憎悪を感じていたのかもしれない。
この田淵と香川の関係は実に興味深いもので、サラリーマン社会にも通ずる意外な真理かもしれない。
例えば、上司にとって最も鼻につく部下とは何か。それはきっと自分と同じ欠点を持つ人間だろう。上司にしてみれば自分が直したいと思っていた部分だからこそ、その欠点を直せないでいる部下が必要以上に気になってしまう。これは人間の性である。
そう考えると、サラリーマンは上司の顔色だけでなく、その短所も把握しておいたほうがいい。その結果、上司の短所と自分の短所が重なっていたら危険信号だ。一刻も早く克服しないと、上司に目をつけられる可能性が高くなる。上司と部下はキャラがかぶってはいけないのだ。
※この連載は2012年4月から2013年9年まで全67回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全33回でお届けする予定です。