松井、清原、江藤らが並んだミレニアム打線で臨んだ〝ONシリーズ〟はプロ野球人生最高の1年【仁志敏久連載#8】
日本一の達成感の後に来たのは…
20世紀最後の2000年、世紀の名選手同士が監督として激突。野球界ではこれ以上はない監督対決でしょう。
巨人・長嶋茂雄監督とダイエー(現ソフトバンク)・王貞治監督。ONと呼ばれたスーパースターが日本シリーズという大舞台で向かい合うことになったのです。
長嶋監督と握手するダイエーの王監督。ON対決に日本中が注目した
第1戦は東京ドーム。4年ぶりの日本シリーズに燃え上がる思いで臨みました。第1打席で二塁打を放ち個人的にはいいスタートを切りました。しかし、2点を先制しながらも3―5で逆転負け。続く第2戦も先制しながら3―8とまたも逆転負け。重い空気の中、第3戦、福岡ドーム(現ヤフードーム)へ移動したのです。
実はこの年の日本シリーズ、異例の日程になっていました。日本シリーズが行われる時期に福岡ドームは学会を入れてしまっていたのです。そのため、1、2戦東京ドームの後、3戦目は移動日なしで福岡ドーム、2日置いて4、5戦という日程だったのです。
第3戦、2回に3点を先制し、「今日こそは」のムードが漂います。しかし、この年状態がいまひとつだった先発上原浩治君は、この日も波に乗り切れない様子。先制したその裏に同点に追いつかれました。
なおも二死二塁。打席には村松有人君。苦しみながらもなんとか追い込みカウントは2ボール2ストライク。
この時、いろいろなことを考え守っていました。二塁ランナーをかえさないことを前提に考え、基本的にはやや深め。ただ、この状況では思い切り打ちにくるのか、引き付けてミートに徹するのかで対応はまるで変わってしまいます。従って、より観察しました。
そしていよいよの時、真っすぐに合わせたタイミングで打ってくると感じ、上原君の手からボールが離れた瞬間、スルスルッと一、二塁間へ位置を変えていきました。
村松君のスイングの特徴から1、2の3で打った場合、一、二塁間方向へ行くと感じたのです。深い位置で一塁方向へ寄っていけば、多少いい当たりをされても止めることはできます。
パカ~ン。いい音が響き渡り、強烈なゴロは予測通り一、二塁間へ。
必死に飛びついて一応、一塁へ送球する形を取り、「三塁を回らないかな」と三塁方向を横目で見ると、なんと回ってくれた。「しめた!」。思惑通りにランナーをホームで悠々と刺し、このピンチを切り抜けました。この後チームは加点し9―3で快勝。第4戦は2―1で接戦を制し、第5戦は6―0でまたも快勝。そして第6戦。勢いは止まらず9―3で勝ち、見事ON決戦を制したのです。優秀選手賞ももらい、最高の充実でした。
日本シリーズで盛り上がる東京ドーム(2000年)
この年は東京ドームMVP、OB会からチームMVPとして銀バットも頂きました。
ここがプロの頂点とも感じています。この達成感が、その後、目標を見失わせることになります。
優勝ビールかけを楽しむ清原和博(右)と高橋由伸(左)
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