ウソ!?ホント!?2000年の徳川埋蔵金空騒ぎ
埋蔵金という言葉には大きな魅力と魔力がある。だからこそこんな騒ぎもあったという。第一人者・八重野充弘氏に綴ってもらった。
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2000年1月17日、南アルプスの麓の山梨県増穂町(現在の富士川町)で、埋蔵金騒ぎが巻き起こった。ボーリング調査中、小判と刀幣(中国の昔の貨幣)が1枚ずつ出土し、それは幕末の徳川埋蔵金の一部とみられるので、これから本格的な発掘調査を行うと、あるグループが東京のマスコミを現地に集めて、記者会見を開いたのである。
その日の昼前から筆者は大忙し。マスコミ各社が「なんか怪しいぞ」と、見解を聞きにやって来たからだ。実は「怪しい」どころの話ではない。あるテレビ局が会見の録画テープを持参したので、目を通したところ、見覚えのある顔があり、「ようやくこぎ着けました」と、感慨深げに語るようすが映し出されていた。幕末の勘定奉行、小栗忠順の子孫と自称するK氏だ。
その父親も、昭和の初めに小栗の家臣が書き残したという文書をネタに発掘資金を集め、警察沙汰になったことがある。その後、発掘は実行されたが、どこまで本気だったか。今度も似たような経緯を辿ることが予想されたので、本当は「これはうそっぱちです」と言いたいところを少しやわらかく、そこが小栗とは無縁の場所で、信ぴょう性がゼロであること、地下70mから小判と刀幣がセットで、しかも無傷で出でくるなんて考えられないことなどを、民放5社、新聞3紙、週刊誌2誌に伝えた。
その一芝居が、金集めのためのデモンストレーションであることはまちがいない。そこで探りを入れてみると、案の定、それから2、3日後に、ある人のところへ3000万円の出資依頼がきていた。結局、土地の所有者が「もうだれにも掘らせない」と宣言をしたため、騒ぎにケリがつき、その後被害者が出たという話は聞かない。