武藤敬司が語るマサ斎藤&藤波辰爾【スーパースター烈伝#5】
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武藤敬司が語るマサ斎藤&藤波辰爾【スーパースター烈伝#5】

はじめに

 九スポ(九州スポーツ)でしか紙面掲載されなかった好評企画がnoteで復活!「武藤敬司のプロレススーパースター烈伝」では〝プロレスリングマスター〟武藤敬司が歴史に名を刻んだレジェンドレスラーたちをタブーなしで語ります。パーキンソン病を患い2018年にこの世を去ったマサ斎藤さんは武藤にとって公私とも多く行動した〝戦友だった〟。そして今年デビュー50周年を迎えたドラゴンとは再びの対戦を熱望した。(運動二部・前田聡)

猪木と斎藤さんの巌流島対決(87年10月4日、山口・下関)

巌流島対決で猪木を攻めるマサ斎藤(87年10月)

マサさんはすごいよ、シカゴでカクテルの名前になったから!

 亡くなってもう3年か…。選手としてのマサさんは、アマレスでオリンピックまで行った実績(64年東京五輪出場)と基礎があって、パワーもすごかったよ。プラスあの容姿ですからね。

アメリカで売れっ子だった斎藤さん、右はミスター・サト(後のザ・グレート・カブキ)、中央はドン・ジャーデン(78年9月、米フロリダ州タンパ・スポーツアリーナ)

米国で売れっ子だったマサ斎藤。中央はドン・ジャーデン、右はミスターサト(後のザ・グレート・カブキ、78年9月、米フロリダ州タンパ)

 アメリカで活躍した(日本人)選手って、数人しかいないじゃん。その1人ですよね。マサさんはAWA地区、ミネアポリスとかシカゴとかで強いんだよ。だからシカゴのナイトバーには「ミスター・サイトー」っていうカクテルがあった。味? 甘くて強いと、マサさんが自分で言ってた(笑い)。

 武勇伝も多いな。マサさんが現役だった頃のアメリカは、ファンの中にリングに上がってくる輩がいてさ。そういうの、マサさんがみんな〝いてこましてた〟から、アメリカのレスラー仲間からも一目置かれていた。

斎藤さん(下)と初対戦した武藤(90年4月27日、東京ベイNKホール)

マサ斎藤と対戦する武藤(90年4月、東京ベイNKホール)

 実は、俺とマサさんの最初の接点はいいものではなかったんですよ。87年8月19、20日の両国国技館2連戦。初日の「ナウリーダー(旧世代)VSニューリーダー(新世代)」の抗争で、どういうわけか俺はナウリーダーの方にいて…。2日目は「藤波、長州組VS猪木、X組」だった。本当はその「X」はマサさんだったんだけど、パスポートなくして来日できなくなって。代わりに俺が出たら、すげぇ「帰れ」コール。

 実はその日、当時気をもんでた女の子を会場に招待してたんですよ。そこで帰れコール浴びて負けたんだから、その子と連絡とれなくなっちゃった。散々だよ(笑い)。

マサ斎藤さんを語った武藤(21年4月21日、神奈川・江田)

マサさんとの思い出を振り返った武藤(21年4月、神奈川)

 ただその後、交流していくうちに感性がすごい合ったんだよね。マサさん、当時の新日本で渉外担当もしてたからアメリカで一緒になることも多くなったりして。先輩だけど仲間というか。とにかく一緒にいたら楽しかった。いろいろ相談することもありましたよ。nWoの頃は俺と蝶野で意見が割れたらマサさんに意見を聞きに行ったりとかね。

 なんて言っても世話になったのは90年代、俺のヒザが調子悪くなってからですよ。ヒザの〝潤滑油〟の注射で当時、週に1回のペースで3回打ったら、その後、半年~1年は持つっていうのがあったんです。でも日本ではまだ認可されていなかったからアメリカまで打ちに行くしかなかった。それを世話してくれて。ミネアポリスで手術もしたけど、それもマサさんの紹介だった。

豪傑だったマサさんが唯一ブチギレた〝橋本放屁事件〟

 初対戦は2回目の凱旋の時に蝶野(正洋)と組んでIWGPタッグ王者だった橋本(真也)とマサさんにNKホール(千葉)で挑戦した時だと思う。もちろん横に並ぶ(タッグを組む)こともあった。特にアメリカで横に並んだ時は楽しかったなぁ、自由で。マサさんも先輩後輩を気にしない人だったから。非常にチャーミングな人でしたしね。

橋本さん(左)とのコンビでIWGPタッグ王者だった斎藤さん(90年4月13日、東京ドーム)

橋本真也とのコンビでIWGPタッグ王者となり、ベルトを掲げるマサ斎藤(90年4月、東京ドーム)

 そういえば、そんなマサさんでもメチャクチャ怒ったことがあったな。いつだったか冬の体育館で、みんなでストーブに向かって雑談してたら、橋本がわざわざマサさんの目の前に行って屁をこきやがったんですよ。そしたらマサさんすげえ怒って殴りかかって、みんなで止めたんだよ。

 あとはやっぱり向こうの刑務所での話かなぁ。マサさんから聞いた話だと(同じ部屋にいた)ケン・パテラがコンビニかどっかでモメて帰ってきた後、ノックされてドア開けたらいきなり目つぶしのスプレーされて、警察がなだれ込んで来て、わけわからないからみんなぶん殴ったんだって。

刑務所に服役中の斎藤さん(85年9月28日、米ウィスコンシン州ホーキンスの「フランブル・コレクショナル・センター」)

刑務所に服役中のマサ斎藤(85年9月、米ウィスコンシン州)

 そしたらその中にいた婦警が偉い人の娘だったとかで、刑務所に入れられて。でもアメリカの刑務所の中では警察を殴ったっていうのが一番〝名誉ある犯罪〟みたいで、おかげで中では料理の配膳係みたいなおいしい仕事が割り当てられたって言ってたなぁ。しかもアメリカの刑務所はトレーニングするところもあったから、すげぇいい体になって出てきたよな。マサさん本人にとってすごい大変なことだったろうと思うけど、はた目から見るとなんと豪傑な人なんだと思うよ。

「マサ斎藤特別激励会」で斎藤さんと握手をかわす武藤(16年12月2日、大阪・城東区民センター)

マサ斎藤特別激励会で握手を交わした武藤(16年12月、大阪)

中学生のときからあこがれだった〝和製ブルース・リー〟

 俺が一番最初に藤波辰爾という人を知ったのは、中学生くらいの時ですね。テレビで見て。その時の藤波さんって、それこそバッキバキでかっこよかった。ドラゴンロケットとかドラゴンスープレックスとかやってさ。ブルース・リーみたいな体で、本当に衝撃を受けましたよ。そういえば、俺が新日本に入団した時(1984年)は(アメリカ車の)赤いカマロに乗っててね。それもかっこよかったな。

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