「ウマ娘」でぶっちぎり伝説再び!〝史上最速〟サイレンススズカを東スポで振り返る
最多得票
ツイッターで行ったアンケートへご投票ありがとうございました。名馬が多すぎて迷ってしまったので、皆さんの声を聞かせていただきました。最も票を集めたのは、アニメ「ウマ娘」の第1期で〝もう1人のヒロイン〟とも言える存在だったサイレンススズカ。いつものように東スポで振り返ってみたいと思います。(文化部資料室・山崎正義)
何がすごかったのか
「今までで一番強いと思った馬は?」と聞かれた競馬ファンは悩みます。強さには様々な要素があるからです。でも、「今までで一番速かった馬は?」と聞かれたら「サイレンススズカ」と答える人はかなり多いはず。そう、サイレンススズカは「速い馬」でした。
その速さを、なるべく競馬初心者の人にも分かりやすく説明するにはどうしたらいいだろう。私も含め、数字が苦手な人もいるでしょうから、まずは、できるだけタイム的な話を避けて説明しようと…う~ん、かなり難しいんですが、こんな表現で伝わるでしょうか。
ずーーーーーっと速い。
他の馬よりも「速い」を維持できる、それがサイレンススズカでした。
表現がバカっぽくてすみません(苦笑)。何て言ったらいいのでしょう、短距離走みたいなスピードを中距離で維持することができたんですね。人間だと100メートル走は言いすぎですが、200メートル走を走るぐらいのスピードを800メートルとか1000メートルでも維持できてしまう。ウサイン・ボルトがあのスピードを800メートル走で維持できたら圧勝してしまうでしょうが、それを競馬でやったのがスズカです。スタートから誰よりも速く先頭を走り、そのスピードを最後まで続けるんですから追いつける者はおらず、数々のぶっちぎり伝説を作ります。スズカに乗っていた天才ジョッキー・武豊は、ディープインパクトという競馬史上最強ともいわれる馬の騎手でもあったのですが、2018年、本紙のインタビューにこう答えています。
「どっちが勝つか?」ってよく聞かれますが、別に両方に気を使って言えないとかじゃなく、本当に分からないんですよ。まあ、間違いなく言えることは、2頭とも当時の世界ナンバーワンの馬だったと思いますよ。
説得力ありまくりです。というわけで、強さに関して武騎手の証言以上の説明は不要な方、スズカの速さを理解している競馬ファンの皆さん、1998年の7戦のみを振り返りたい方は、目次から「始まりはバレンタイン」に飛んでください。なぜかというと、最初から「速い」を維持できたわけではなかったスズカの葛藤(アニメやゲームにもつながります)、さらにその速さについてなるべく競馬を知らない人にも分かるように私なりに数字も使って詳しく説明しようと試みたら長くなってしまったのです。競馬好きなら、伝説の毎日王冠、天皇賞・秋の馬柱だけで十分楽しんでいただけると思います。時間がある方は、このままお付き合いいただければ幸いです。
スズカ夜明け前
競走馬が皐月賞、ダービー、菊花賞という3冠レースを目指す3歳の2月にスズカはデビューしました。練習でものすごい動きをしていたので評判になっていたんですが、それにたがわぬ圧勝。持って生まれたスピードが違うので、普通に走っているだけで勝手に先頭に立ってそのまま逃げ切りました(2着に7馬身差)。陣営は4月の皐月賞に出走させようと、次走にGⅡの弥生賞を選びます(3着以内に入れば皐月賞に出走可能)。キャリア1戦でのチャレンジは〝飛び級〟のようなものでしたが、見てください、この印を。
いかに才能を買われていたかが分かりますよね。実際、2番人気に支持されます。しかし、スズカはスタート直前、まだ開いていないゲートをくぐって飛び出てしまいます。完全にパニックになっており、その後、大外枠に移動させられて仕切り直しますが10馬身近い出遅れで、8着に終わりました。明らかに脚は速いのですが、気性が子供だったんですね。
その敗戦で皐月賞には出走できなくなり、今度はダービーを目指すため、まずは弱い相手と1戦します。これがまた明らかにスピードが違うという逃げ切り、2着馬にこれまた7馬身差をつける楽勝で「やっぱりすごい」となるんですが、ダービーへの道はすんなりいきません。出走を予定していた青葉賞(GⅢ)の1週間前に脚を痛め、翌週の別のトライアルへ。そこで勝利するものの、ローテーション自体は厳しくなっており、なおかつ前記のような気性の幼さは続いていました。ただし、それを分かっていても、「何とかしてしまうんじゃないか」という魅力がスズカにはあったのでしょう。ダービー時の新聞では結構な印がついています。皐月賞上位馬や重賞勝ち馬がいる中、4番人気に支持されました。
結果は9着。2400メートルという距離を考えて、2~3番手に控えるレースを試みたんですが、もともとが一生懸命になりすぎる気性だったので、「ヤダよー」「走りたいように走らせてくれ~」と怒りながら走ってしまうのです。競馬においてそのような「ひっかかる」「かかってしまう」状態はスタミナのロスにつながりますので、大敗もやむなし。ストレスもたまってしまい、この後、スズカは自らのスピードと「前に行きたい!」という気持ちの折り合いをつけるのに苦労することになります。
競馬を知らない人からすると、「なぜスズカの好きなように走らせないんだ!」と思うかもしれません。しかし、不思議なもので、あまりに好きなように走らせても競馬というのはダメなんです。ざっくりとした説明になりますが、競走馬の能力(スピードとスタミナのバランス)にはある程度の限界があります。「だいたいこの距離を何分で走るか」の限度があるんですね。好きなように走らせてしまい、例えば2分ぐらいで走る距離を1分40秒で走ろうとしてしまったら、オーバーペースになってしまい間違いなくバテバテになってしまうので、どこかで力をためて、調整せざるを得ないのです。ゲームアプリ「ウマ娘」のサイレンススズカのストーリーの中にも、こんな表現が出てきます。
「スピードを出すためのエネルギーには限りがあるから温存する走り方が必要なんだ」
分かりやすいですよね。逆に言えば、温存しないと勝てない。1200メートルのレースでは何とかなることもありますが、1600メートルや2000メートルになったら絶対に無理。スピードがあるからといって最初からダッシュしてはエネルギー切れになってしまうので、陣営は2~3番手でエネルギーを温存させようとしたわけです。
ただ、スズカはまだ素直にガマンができるほど大人になっていませんでした。秋にかけて、人間で言うところの〝心身のバランスを崩した〟状態になってしまいます。控える戦法を教えようとするのですが、練習でも競馬場でも常にイライラしており、レースになると力んだ状態でダッシュしてしまうのです。ゆっくり走らせようとしてもスイッチが入ってしまったり、「ヤダヤダ」と怒りだしたり…当然、エネルギー切れを起こし、天皇賞・秋6着、マイルチャンピオンシップ15着と大敗します。陣営も悪くないし、スズカだって悪くありません。大人たちに交じっても圧倒的に脚は速いんです。速いのですから前に出たかったのでしょう。でも、一生懸命になりすぎて暴走してしまう。完全にスピードをもてあましていました。
救世主登場
そんなスズカに救世主が現れます。冒頭でもコメントを引用した天才ジョッキー・武豊です。スズカの天性のスピードに魅力を感じていた名手は、マイルチャンピオンシップ後に行った香港遠征で初めてタッグを組み(自ら鞍上に名乗りを上げたそうです)、それを生かす操縦法を模索していきます。基本は「無理に抑えず逃げちゃおう」。スズカの意思を尊重するわけですが、さらにもう1つ、レースの途中でも、「無理にスピードを落とさない」ようにしたのです。
競馬において、逃げ馬が好走するためのセオリーがあります。逃げてリードを作り、途中でペースを落としてエネルギーを温存し、最後までバテないように走って最初のリードを守る作戦です。スタートしたら一生懸命走って時速70キロで先行し、途中で時速50キロぐらいにスピードを落として、最後は時速60キロぐらいで頑張り切るイメージでしょうか。途中の減速でエネルギーを温存し、70キロのときのリードを守り切るわけです。
しかし、もともと脚が速いスズカが50キロへの減速をするのは、「宝の持ち腐れ」になります。そもそも、普通の馬が100%の力で走って時速が70キロになるところを、スズカは同じか95%ぐらいの力で75キロぐらい出せてしまいます。そして、その次の段階、他馬が時速50キロにするために力の入れ具合を80%に温存したとしましょう。スズカは同じ80%でも時速60キロは出ちゃいますから、50キロにするにはもっとブレーキをかけないといけません。おそらくそれはスズカのストレスになりますし、「もったいない」とも言えます。60キロ出ちゃってるけどパワーはあくまで80%なんだからいいじゃないか。むしろ50キロに落とすより、後続との距離が縮まらないんだから得じゃないか、ということです。しかも、最初のスピードも他馬より速いのですから、リードはどんどん広がっていきます。そしてストレスがないぶん、スズカはリラックスもできており、温存できるエネルギーも増えていき、最後の減速もどんどんなくなっていくのです。
普通の逃げ馬の時速 70キロ→50キロ→60キロ
スズカの時速 75キロ→60キロ→65キロ
ぶっちぎるのも当然ですよね。これが冒頭で私が言った「ずーーーーーっと速い」ということです。時速の数字はあくまで目安ですが、伝わりますでしょうか。馬にストレスをかけず、気持ち良く走らせることで精神を安定させ、そのスピードを殺さず、長く維持させる…並のジョッキーだったら他馬の常識にあてはめて中だるみをつくり、スズカのスピード能力を消してしまった可能性がありますが、やはり武騎手は天才でした。才能を最大限に引き出し、開花させていくのです。
それにより、スズカはかつてどの馬もできなかった「ハイペースでの逃げ切り」を可能にします。競馬を知らない人にも分かるように、これまた超ざっくり説明してみましょう(玄人の皆さん、ツッコミどころもあるかもしれませんがスズカのすごさを伝えるためにチャレンジしてみました、ご容赦ください)。
ペースというのは、最初の1000メートルのタイムが「60秒」だと「ミドルペース」です。61秒とか62秒になると「スロー」。59秒台で「ちょっと速いかな」となり、58秒台だと完全な「ハイペース」で、逃げたり先行している馬は最後にバテてしまい、後ろの方で体力を温存していた馬に差されるのが普通です。いわずもがな57秒台なんていったら「超ハイペース」。〝玉砕必至〟が常識になっています。で、前記の時速で言えば、ハイペースになるには馬が75キロを出す必要があります。普通の馬がそのスピードを出すには100%以上のエネルギーを使ってしまうので最後にバテてしまうわけです。しかし、スズカは57~58秒台で飛ばしても、最後にバテなくなります。天性のスピードがあるので、100%を超えるエネルギーを使わずとも最初の75キロを出せる。なおかつ中盤はエネルギーを温存しつつ他の馬より速く走ることができて、リラックスもしているので最後の減速幅も少ない。レースを見ているファンは、最初の1000メートルの通過タイムを見て「58秒台だから先行馬はキツいな」なんて判断するのですが、スズカは58秒台どころか57秒台(頻出しないタイムです)でも止まらないのです。普通ならバテて止まるハイペースなのに、スズカにとってはハイペースではないんです!
競馬において、「速さ」が「強さ」であることは分かっているのですが、必ずしも速い馬が勝つわけじゃないのが競馬です。セパレートコースや直線を走るわけではなく(直線コースも存在しますがメジャーではありません)、他の馬が邪魔だったり、馬場が良かったり悪かったり、騎手同士の駆け引きがあったり…様々な要素が関係してくるからこそ、「能力を表すものではあるがタイムが全てではない」という意見も少なくありません。なのに、スズカはそんな不確定要素の多い競馬をタイムトライアルにしてしまいました。逃げ馬なので、誰にも邪魔されませんから、確実にそのタイムで走ることができる上、そのタイムは他馬が出せるものではないのです。一番前で走っている馬が最速タイムで走れば負けるわけがありません。スズカは競馬の常識を完全に覆したのです。
始まりはバレンタイン
1998年、競馬界で起こったその奇跡を馬柱とともに振り返ってみましょう。始まりは、1998年2月14日。バレンタインステークスというレースで、重賞ではありませんでした。関東で行われる重賞以外のレースに、トップジョッキーの武豊が遠征してくることはほとんどないのに、わざわざ乗りにきたことが期待の表れ。しかも、重賞ではないので相手も強くありません。新聞にも◎が並びました。
単勝は1・5倍。ただ、前年秋がスランプだったので、誰もが「速いのは分かってるけどまた暴走するんじゃ…」と半信半疑だったと思います。しかし、抑えられることなく、気分良く走らせてもらったスズカは2着に4馬身差をつけて楽勝します。前半の1000メートルは57・8秒。多少ムキにはなりましたが、途中で落ち着き、最後に力を残しました。「おっ、今年のスズカはちょっと違うかな」と感じたファンも多かったはずで、1か月後の中山記念(GⅡ)で重賞初制覇を飾ります。前半1000メートルは58・0秒。馬場が悪かったので、これでも十分ハイペースです。ただ、前回よりもムキになってしまい、武豊が少し不安を感じていることを翌日の本紙は報じています。
だから、続く小倉大賞典での記者の評価は微妙なものです。前走より相手が弱いので大丈夫だろうけど、少し不安もあるといった感じ。ただ、それは杞憂に終わります。思った以上に走るのが楽しくなってきていたのでしょうか、スズカは1000メートルを57・7秒という超ハイペースで飛ばしながらも最後もバテず、3馬身差で快勝。そして、ここまで1800メートルを3回続けて走ったスズカは次走(5月末)で久しぶりに2000メートルのレースに出走します。スピード馬にとって距離の延長は歓迎材料ではなく、なおかつその金鯱賞はGⅡでメンバーも強くなっていました。
◎は並んでいますが、評価を下げている記者もいますよね。ファンの懸念も単勝オッズに反映されます。1倍台ではなくなるのです(2・0倍)。「2000メートルでも同じように走れるのか…」。しかし、スズカはまさに階段を上がっている途中。グングン成長していた天才ランナーは、見ている者の度肝を抜きます。馬場をちょうど1周するコースで、前半1000メートルの通過は58・1秒。2000メートルでは超ハイペースと言える時計で飛ばしたので、2コーナーを回るころには既に2番手に6馬身ほどの差をつけていました。向こう正面を過ぎ3コーナーにかかるころには8馬身ほどになり、その差がまったく縮まらずスズカが4コーナーを回ってきたとき、競馬場が一瞬、「あわわわ…」「いったいどうなるんだ…」といった空気になったといいます。そして、スズカの勢いが全く衰えず、後続との差が縮まるどころか広がっていくにつれ大歓声が巻き起こるのです。何と2着に11馬身、1・8秒差をつける大差勝ち。スズカが完全に覚醒した瞬間でした。
大差勝ちになったのも納得の数字を確認しておきましょう。スズカのゴールまでのラスト600メートルのタイム(上がり3ハロン)は36・3秒。出走馬中2位で、1位とは0・1秒しか差がありません。バテるどころか、再加速とも言えるレベルでした。その成長ぶりは同じ2000メートルだった前年の天皇賞・秋と比較すれば一目瞭然。当時は前半1000メートルが58・5秒で、最後の600メートルは37・0秒(バテています)。この金鯱賞では58・1―36・3でした。
ちなみに私はWINSにいたんですが、ゴール前の定番、「差せー!」なんて声は聞こえてきませんでした。2着との差があまりに広がったため、映像ではゴールが近づくにつれてカメラがどんどん〝引き〟に…画面上で馬がめちゃくちゃ小さくなっていたので2着争いが見えなかったんですね(苦笑)。あまりのぶっちぎりに館内はザワザワ、隣のオジサンは「あ~あ~」とあきれたような声を出していました。スズカがゴールし、しばらく間があいて他の馬がゴールし、「で、2着は?」「いや、見えない…」といったコントみたいな状況が起こっていたのです。そして、このレースは土曜日だったため、翌日、WINSや競馬場のいたるところで「昨日のサイレンススズカ見た?」という会話があいさつ代わりに繰り広げられたのでした。
初GⅠ制覇
秋までお休みするはずだったスズカは、あまりに体調が良かったので、急遽、上半期の総決算・宝塚記念でGⅠ初勝利を目指すことになりました。しかし、ここで問題が起こります。予定を変更したローテーションだったので、武豊ジョッキーが空いていなかったのです。〝女帝〟エアグルーヴ(ウマ娘では生徒会の副会長として登場します)というお手馬の名牝にして先約に乗らざるを得なかったんですね。しかも、あのころ競馬を追いかけていた人には懐かしいと思いますが、なかなか鞍上が決まりませんでした。当時の新聞を引っ張り出すとよく分かります。これはレースの週の水曜日の紙面。本紙は夕刊なので当日朝の状況も反映できるのですが、出走予定馬のサイレンススズカの欄は「――」となっていますよね? 水曜朝の段階でまだ決まっていなかったんです。GⅠで1番人気になろうかという馬の騎手がここまで決まらないことはめったにありません。
で、結局はこの紙面のサイレンススズカの右隣、同じ馬主のゴーイングスズカに乗る予定だった南井克巳騎手がスズカに乗ることになります。馬柱はこんな感じ。
あれだけのぶっちぎりをしたのですから最終的には1番人気になるのですが、心配材料もありました。まず、GⅠだから今までにないぐらい相手が強いこと。そして、距離が2200メートルに延びること。騎手が替わっていること…でも、ベテランである南井ジョッキーが武騎手のやってきたことを無にせず、馬に気分良く走らせたことで、初タイトルをもぎとるのです。前走のような「大逃げ」まではいきませんでしたが、前半1000メートルを58・6秒のハイペースで飛ばし、最後も36・3秒でまとめました。ついにスズカはGⅠ馬になったのです。
伝説の毎日王冠
秋の大目標は2000メートルの天皇賞・秋でした。夏を順調に過ごしたスズカは、前哨戦として毎日王冠(GⅡ)を選択します。競馬ファンの皆さん、お待たせしました。はい、あの伝説の毎日王冠です。今見てもゾクゾクする馬柱をどうぞ。
注目は1歳年下のグラスワンダーとエルコンドルパサー。グラスは前年に4勝4勝、GⅠを含むその4戦ともに圧勝で「怪物」と呼ばれていましたが、年明けに骨折をしてしまいます。対するエルコンドルはグラスが不在の間に登場したもう1頭の「怪物」。5戦5勝でGⅡやGⅠをグラス同様、圧勝していました。若い上に、いまだ負け知らず。どこまで強いのか分からない、もしかして現役最強の可能性もあるこの2頭が直接対決するだけでも世紀の一戦なのに、そこにリアル現役最強のスズカが加わったのですから盛り上がらないわけがありません。東京競馬場にはGⅡなのにGⅠ並みの13万人超の観衆が集まりました。
単勝オッズはスズカ1・4倍、グラス3・7倍、エルコンドル5・3倍。もう一度、馬柱をご覧ください。騎手の上に記されている数字、スズカは59で、グラスは55、エルコンドルは57です。これは騎手も含めた馬が載せている重さで、単位は「キロ」なんですが、実績や年齢によって変わります。同じGⅠ馬でも少年時代(2歳)に勝っただけのグラスはエルコンドルより少し軽くなっており、既に大人同士のGⅠを勝っていて年齢的にもピーク(4歳)を迎えつつあるスズカが最重量。59キロというのは競走馬のスピード能力に関係があるほどの〝酷量〟です(59キロというだけで出走をやめる馬もいます)。競馬場やWINSにいた人間の肌感覚ですと、単勝オッズ以上に、「さすがのスズカも怪物に差されてしまうかも…」と思っていたファンは多かった気がします。スズカを打ち負かす「新たなスター誕生の瞬間を見たい」というファンもいたでしょう。
そんな中、最強の挑戦者2人に対し、先輩は真っ向勝負を挑みます。重い斤量を背負っているから普段よりペースを落として…なんて考えません。いつものようにダッシュを決め、「来るなら来い」とばかりに1000メートルを57・7秒で通過しました。59キロの馬とは思えないハイペースに、さすがの名手もほんの少しだけスピードを緩めて体力を温存しようとします。そこにグラスがぶつかっていきました。4コーナーを前に一気に2番手に上がっていったのです。大歓声。競馬場が揺れました。でも、骨折明けのグラスはここで息切れ。直線を向いたところでスズカがグラスを振り切ります。
その直後でした。今度は4番手で鳴りを潜めていたエルコンドルが満を持して襲い掛かるのです。一の矢も怪物、二の矢も怪物。しかし、それ以上の怪物がいました。再び加速したスズカは、エルコンドルに影さえ踏ませず、2馬身半差をつけてゴールを駆け抜けたのです。
強い。強すぎる…。最後の600メートルは35・1秒で出走馬中2位。最速だったエルコンドルが35・0秒なのでほとんど変わりません。理屈的に勝てるわけがないのです。
翌日の紙面でグラス陣営も白旗、エルコンドルの騎手は「相手の方が一枚上」と力負けを認めました。加えて、興味深い記事が載っています。4着に敗れたプレストシンボリに騎乗していた百戦錬磨の大ベテラン・岡部幸雄(超名手です)がこんなふうに言ったというのです。
「あれだけのラップで走ったら普通の馬なら止まるよ。それが、反対にしまいは伸びてるんだもんな。あれを何とかするには5ハロンとか6ハロン(1000メートルや1200メートル)の馬を用意して競らせるとかしないと、どうしようもないな。久々だからどうかと思ったけど、スタートしてすぐリラックスして走ってたから〝ああ、やられたな〟と感じたよ」
この発言を受けて、武騎手はこう返しました。
「(5ハロンの馬で競られたら?)それでも大丈夫でしょう。この馬についてこようとしたらみんなつぶれちゃうからね」
結果的に、毎日王冠はスズカの独壇場で幕を閉じることになりました。あまりに強すぎたので、何も知らずにレースの映像を見ると〝劇的感〟はありません。しかし、このレースの価値は、その後、ぐんぐん上がっていきます。エルコンドルは続くジャパンカップで歴戦の古馬を一蹴し、翌年、日本馬で初めて〝世界一決定戦〟凱旋門賞で2着に入ります。グラスもこの年の有馬記念などGⅠを3勝…2頭が走れば走るほど、あのマッチングが奇跡だったこと、そしてスズカがいかに強かったかが浮き彫りになっていくのです。競馬ファンにおける「どの馬が最強だったか」論でスズカを挙げる人が多いのも、この伝説の毎日王冠があったからこそなのです。
天皇賞・秋
心技体、すべてが揃ったスズカは万全の状態で天皇賞・秋に歩を進めます。調教の動きを報じた水曜日の紙面では、毎日王冠時を上回る絶好調ぶりに他陣営を「絶望の淵へ追い落とす」という見出しが…。
さらに注目は左下にある武騎手のインタビュー。「他馬のことは気にしない。オーバーペースでいきますよ」と口にしています。「スズカのペースでいけばついてこれる馬はいない」という自信の表れです。実際、メンバーを見渡しても、強敵になりそうな馬はいませんでしたし、そもそもスズカを避けたのか、出走馬自体、12頭と少なめでした。雨が降ってスピードを生かせなくなる心配もない天気予報でしたし、ダメ押しは枠順です。東京競馬場の2000メートル戦は外枠が不利な上に、このころの東京競馬場は芝の状態が非常に良く、圧倒的に内枠が有利。スズカが大外枠になったりしたら少しは波乱の目が出てくる可能性もあったんですが、引いたのは1枠1番でした。当然、印はこうなります。
私は30年以上競馬をやっていますが、GⅠにおいて、このときのスズカ以上に勝つ条件が揃った馬、死角がなかった馬を見たことがありません。おそらくほとんどの人もそう感じていたのでしょう、単勝オッズは1・2倍でした。史上最も勝ち馬の分かりやすいGⅠともいわれ、おそらくスズカから馬券を買えば何かしら当たるのでしょうが、そのどれもがとんでもなく低倍率。売り上げは前年の天皇賞・秋と比べて88・2%にとどまったそうです。馬券師たちの購入意欲すら薄れさせるほどの圧倒的な支持…ファンの興味は「スズカがどれだけぶっちぎるか」「どんなタイムで走るか」という〝勝ち方〟になっていました。見たことのないハイペースで、見たことない勝ち方で、信じられない新記録(タイム)を出してほしい…そんな期待を背負い、11月1日、1枠1番からスズカは好スタートを切ったのです。
すぐにトップギアに入ったのを見て、ファンがドッと沸きます。400メートルほど走り、向こう正面に入った段階で既に2番手に8馬身近いリードをつけているのが大型ビジョンに映され、さらに歓声が上がります。レースの序盤であれほどファンが熱狂していたのを私は見たことがありません。スズカはそのまま3コーナーに向かっていき、最初の1000メートルを通過しました。場内の実況アナウンサーの「57秒ぐらいでしょうか(実際は57・4秒)」という言葉にさらなる大歓声。レコードタイム必至のハイペースに、レース場がライブ会場のようになっていました。何度も言いますが、ゴール前ではないのです。決着直前の「頑張れ!」とか「差せ!」という応援ではなく、数十秒後にやってくる結果への高まる期待を抑えきれない人間の熱により、競馬場は興奮のるつぼと化していたのです。そんなファンをよそに、スズカはいつものように涼しい顔で2番手との差を10馬身に広げながら東京競馬場名物の大ケヤキに差し掛かります。大きな木の向こうを通るため、金色の馬体が一瞬見えなくなり、再び姿を現したそのときでした。スズカはガクンとつまずくように失速したのです。左前脚の粉砕骨折――スズカは競走を中止しました。折れた脚でも倒れなかったスズカのおかげで武騎手は振り落とされないで済んだのでした。
回復の見込みがない重症と診断されたスズカを苦しませないよう、安楽死処分がとられたことをご存知の方も多いでしょう。今でもあの大ケヤキの向こうを馬が走り過ぎるたびにスズカのことを思い出してしまう人もいるでしょう。私は競馬記者でも作家でもありませんから、裏話も感動的な文章も書けません。なので最後にファンとして一つだけ。
あの日、スズカは私たちに夢を見させてくれました。私たちはあの日、今までとは違う競馬が見られるんじゃないかと夢見て、競馬場に出掛けていきました。馬券とか、勝ち負けとか、駆け引きとか、そういうものじゃない、ただひたすらに速さに酔う新しいレースがそこにはありました。残念ながらゴールはできませんでしたが、だからこそ私たちは今でも語り合うことができます。「どんなタイムが出たのだろう」「何馬身差をつけたのだろう」。
答えが出なかったからこそ、いつまでもいつまでも語り合うことができるのです。スズカがくれた夢は私たち競馬ファンの中に間違いなく残っています。ありがとうございました。