アニメ「ウマ娘」第1期のヒロイン!スペシャルウィークのダービー制覇とライバルとの死闘を東スポで振り返る
スペちゃん!
いよいよ今週はダービー。同じ年に生まれたおそよ7000頭の頂点を決める競馬界最高峰のレースが行われる〝特別な週末〟がやってきます。そんな週に紹介するのにぴったりの名前を持った馬…はい、スペシャルウィークです。アニメ「ウマ娘」第1期のヒロインにもなった名馬の生涯には「ダービー」の他にも「世代」「ライバル」「復活」といった競馬の醍醐味が詰まっています。「東スポ」を使い、なるべく競馬初心者の方でも分かるようにご説明しますので、一緒に「スペちゃん」を振り返ってみましょう。(文化部資料室・山崎正義)
ダービーへ
生まれて間もなく、母馬は天国へ。乳母馬や人間に育てられたため、スペシャルウィークは人懐っこい性格になったといわれています(人間に対する猜疑心や警戒心がない)。そのあたりは、アニメ「ウマ娘」にもバッチリ反映されているので必見です。
デビュー前から才能を買われており、デビュー戦を楽勝し、3戦目で早くも重賞(GⅢ)制覇。そして、関東初見参となったGⅡ弥生賞では、逃げ切り濃厚だったセイウンスカイを後方から一気に差し切ります。着差は半馬身でしたが、「ギリギリで」といった感じではなく、余裕綽々だったので、今年の主人公はこの馬で決まり!といったムードになりました。
というわけで、クラシック第1弾「皐月賞」の東スポがコチラ。
◎や〇がズラリが並んでいます。単勝は1・8倍。弥生賞で2着に負かしたセイウンスカイが2番人気(5・4倍)、3着だったキングヘイローが3番人気(6・8)倍だったことが、他路線から強い馬が台頭してこなかったことを証明しています。そのセイウンスカイとさえ、前述のように勝負付は済んでいたので、メディアやファンは「まあ、普通に勝つだろう」という目で見ていました。しかし…
写真の右端、スペシャルウィークは外から追い込んできたものの3着に敗れるのです。逃げ切ったセイウンスカイが頑張ったのもありますが、アンラッキーな面もありました。最も大きな要因は馬場。この頃は、皐月賞ウィークにキレイな芝を残しておくため、前の週まで内側3メートルほどを使わないようにしていました。おかげで、皐月賞の時には内側に「グリーンベルト」と呼ばれる部分ができるのですが、問題は、他と比べて馬場が良すぎたこと。そこを通る馬が圧倒的に有利になるのです。セイウンスカイはそこを、そこだけをしっかり走り抜きました。逃げ馬ですから走る場所を選べるんですね。一方、スペシャルウィークは後ろからレースを進める追い込み馬だったので、グリーンベルトをピッタリ回ってくるわけにはいきません。レースの前半はいいとしても、中盤から後半(3~4コーナー)に内側にいると、下がってくる馬が邪魔になります。断然の1番人気なので、不利を受けるわけにはいきませんから外を回らざるを得ないのです。18頭立てのレースで大外を走って追い上げるのも大変なのに、しかもその外側は馬場が荒れて走りづらい状況でした。加えて、ペースは前にいる馬が力を温存しやすいスローで、舞台は最後の直線が短い中山競馬場…スペシャルウィークが届かなかったのも仕方ありません。
ただ、このような明確な敗因があったので、陣営は悲観していませんでした。乗っていた武豊騎手も、「ダービーでは巻き返します」と宣言します。ダービーが行われる東京競馬場は中山競馬場より馬場が広く、内と外の芝の差も少なく、直線も長いので追い込み馬に不利にもなりません。競馬ファンもそのことをよ~く分かっていましたし、弥生賞のゴール前を見れば、セイウンスカイよりもスペシャルの方が力が上であろうことも想像できます。皐月賞で3着に負けているのに、ダービーのスペシャルには◎が並びました。
単勝も2・0倍の1番人気。これだけ人気が過熱していったのには、鞍上が関係しています。そう、サイレンススズカやナリタブライアンの回でも登場した天才ジョッキー・武豊。デビュー12年目、数々のGⅠタイトルを獲得し、天才の名を欲しいままにしてきたスーパースターが、まだダービージョッキーの称号を手にしていなかったのです。同じ年齢の馬(3歳馬)だけで競うクラシック戦線(皐月賞、ダービー、菊花賞)では、各騎手はだいたい「この年はこの馬で!」という〝お手馬〟とともに歩みを進めます。逆に言うとめぐり合わせやお手馬次第なところがあり、その馬がケガをしてしまったり、たまたまもっと強い馬がいたりすると、ダービーはなかなか勝てません。過去の名ジョッキーの中にも「ダービーだけは勝てなかった」という人がいるほどで、だからこそダービージョッキーという肩書には価値があるのです。そんな中で迎えた大チャンス、天才の特別な一勝はスペシャルウィークで…そんなファンの気持ちが人気をさらに押し上げました。そして、その期待に武豊騎手も、馬もしっかりこたえたのです。
飛び跳ねるような優雅な走り、2着に5馬身差、武豊のガッツポーズ。絵になるとは、まさにこのことを言うのでしょう。お膳立てが整っていても、それを生かし切れずに競走生活を終える馬が大多数の中、スペシャルウィークの持つ〝選ばれし者〟感はハンパじゃありませんでした。そのことを敏感に感じ取った競馬ファンは、久々に登場した王道のスターに拍手を送りつつ、秋に思いをはせたのです。
馬肥ゆる秋 台頭するライバルたち
三冠レース最後の「菊花賞」に向けて、スペシャルウィークは前哨戦の「京都新聞杯」に出走します。対するは皐月賞で2着に入ったキングヘイロー。力をつけていたのでしょう。思わぬ接戦に持ち込まれたものの、スペシャルはクビ差で競り勝ちます。馬場が少し重かったのが影響した(皐月賞でも荒れた外側の馬場に苦戦しました)ようでしたが、本番の菊花賞は好天の良馬場。調子も上がってきており、単勝1・5倍の1番人気に支持されました。
2番人気は皐月賞馬・セイウンスカイで、好スタートを切ると、果敢に逃げます。スペシャルはいつものように後方待機。馬場がいいので差し脚も鈍らないはず…と、ファンは2冠を楽しみにしていましたが、その馬場の良さを味方につけたのはセイウンスカイの方でした。秋にかけてグングン成長し、前哨戦で古馬(大人の馬)相手に重賞を勝ってきた芦毛の逃げ馬は、スタミナに加え、スピードにも磨きをかけていたのです。高速馬場を生かし、レコードタイムで駆け抜けたため、スペシャルが追い込んできたときには〝時すでに遅し〟。菊花賞の栄冠はセイウンスカイに輝きました。
翌日の紙面で武騎手が敗因として挙げたのはやはり外よりも内の馬場が良かったこと。とはいえ、レコードタイムをマークしたことを考えると、セイウンスカイを褒めるべきでした。「馬肥ゆる秋」という言葉があるように、3歳の秋、人間で言えば10代後半の競走馬は、目覚ましい成長を遂げます。そして、今の女子ゴルフ界のように、競馬の世界にも黄金世代というものがあります。当時、まだファンはハッキリとは認識していませんでしたが、実はこのスペシャル世代はまれにみる豊作でした。前出のキングヘイロー(後にGⅠを勝ちます)やセイウンスカイ、何より、この連載を読んでくださっている人はサイレンススズカの回で紹介した「伝説の毎日王冠」を思い出してください。あのとき、1つ年上のサイレンススズカに挑んだ怪物2頭、グラスワンダーとエルコンドルパサーもスペシャルの同級生なのです。その2頭は外国産馬だったのでクラシックには出走できませんでしたが、この馬肥ゆる秋、毎日王冠でスズカの2着に入ったエルコンドルは、周囲の予想をはるかに超える成長力を見せます。3歳馬ながら、毎日王冠の次走に選んだジャパンカップを完勝するのです。そこにはスペシャルも出ていました。目一杯走ったものの、結果は3着。ここでファンは、さすがに物足りなさを感じます。「強いけど、そこまでじゃないのかも…」「成長力が足りないのか…」。そのまま休養に入ったスペシャルの真価は、翌年の春に問われることになるのです。
再び王道へ
1999年春、スペシャルは1月のアメリカジョッキ―クラブカップ(GⅡ)で始動します。かなりメンバーが弱い中でも、単勝は1倍台ではなく2・0倍。かすかに昨年後半に抱いたファンの懸念が反映されていました。しかし、スペシャルは先行して難なく抜け出すと、続く阪神大賞典で、前年の天皇賞・春を勝ったメジロブライトとの一騎打ちに臨みます。今の実力、成長力を測るには格好の相手であるその先輩に1番人気を譲ったスペシャルは、まさに自らの力がどこまで通用するかを試すように4角手前で先頭に立ち、徹底マークしてきてきたメジロブライトを退けました。さあ、天皇賞・春、相手は別の前哨戦をぶっちぎってきたあのライバルです。
単勝オッズ2・3倍のスペシャルVS2・8倍のセイウンスカイ。大人になってから初の直接対決でも、セイウンスカイの戦法は変わりません。すんなり先手を奪うと、気持ちよさそうに逃げていきます。ただ、スペシャルの位置取りは前回の対決・菊花賞の時とは変わっていました。早々に3番手。大人になり、体質や気性の成長で先行作戦も取れるようになっており、こうなると常に相手を射程圏に入れて競馬ができます。4コーナーを回って早々に並びかけセイウンスカイを競り落とし、2強対決の間隙を縫おうと追い込んできたメジロブライトも封じ込めました。
そのレースぶりは、誰もが太鼓判を押す完勝。「王道スターが本格化」「スペシャル時代到来」。もはや押しも押されぬナンバーワンホースとなったスペシャルはこの後、秋にフランスで行われる凱旋門賞に挑戦することを表明します。ファンの夢は膨らみました。宝塚記念も勝って、まだ日本馬が勝っていない〝世界一決定戦〟初制覇へ――しかし、その宝塚記念には、まだ1度も対決したことがなかった黄金世代のライバルが待ち構えていたのです。
スペシャルと同じぐらい◎を集めているのは、グラスワンダー。あの伝説の毎日王冠で戦列に復帰したもう1頭の怪物は、その年の有馬記念で完全復活を果たし、3歳馬ながら歴戦の古馬を蹴散らします(2着はメジロブライト)。年が明け、スペシャルとは違う短距離路線を進んでいましたが、再び王道路線に矛先を向けてきたことで、初対決が実現しました。単勝オッズはスペシャル1・5倍、グラス2・8倍。2頭以外のメンバーが弱かったこともあり、レースは完全に〝2人の世界〟。4コーナー手前で「あいつ以外は相手にならん」とばかりにスペシャルが先頭に立ち、その後ろをグラスがついていきました。「さあ、どっちだ!」。阪神競馬場のファンが総立ちになる中、決着は意外なほどあっけなくついてしまいます。直線を向いて早々に、グラスがあっさりとスペシャルをかわしていったのです。
決定的とも言える3馬身差。「海外に行くなら俺を越えていけ」と言わんばかりのワンサイドゲームに、ファンはボー然、大きなショックを受けます。実力差を感じさせる内容に、陣営も凱旋門賞挑戦を断念。宝塚記念の前に年内での引退を明らかにしていたスペシャルはグラスへのリベンジを誓い、秋は国内に専念することになったのです。
ちなみに、この連載を読んでくださっている皆さんは、ライスシャワーの回を思い出してください。1番人気だったミホノブルボンとメジロマックイーンの夢を打ち砕いたあの名馬に乗っていた騎手こそ、この宝塚記念でグラスに乗ってスペシャルをマークした的場均ジョッキーでした。競馬を長く見ていると、また、複数の名馬を追っていると、こういう「またか!」という楽しみも出てきます。やっぱり競馬は最高です。
最強を取り戻せ
「最強」の称号を取り戻すために必要なのは秋の王道GⅠ全勝。そのどこかでグラスを倒すべく、スペシャルは10月上旬のGⅡ京都大賞典から戦列に復帰しました。まずは軽く脚ならし…といったところですが、ここで「まさか」が起こります。GⅠでもないのに、今まで4着以下に落ちたことがないスペシャルが7着に惨敗するのです。天皇賞・秋、ジャパンカップ、有馬記念に余力を残そうと、余裕残しの仕上げだったとはいえ、ハッキリ言って負けすぎでした。競走馬には、休み明けはボケーッとしていて大敗するものの2戦目でグンと調子を上げる馬も少なくないのですが、スペシャルはそういうタイプではありませんでしたし、大敗したことがない馬の大敗は精神的ダメージも懸念されます。「宝塚記念の完敗で自信喪失してしまったんじゃ…」という声も上がり、天皇賞・秋が近づくにつれ、ファンや関係者の不安はどんどん大きくなっていきます。調教の動きが一向に良くなってこないのです。天皇賞・秋が行われる週の水曜日、追い切りを速報する本紙の1面にはこんな見出しが躍りました。
記事の中では武騎手が、前哨戦の大敗についてこんな感想を漏らしています。
「これだけの馬ならたとえ完調でなくてもある程度、格好はつけてくれる(上位にはくる)はずなんです。もちろん変わり身に期待していますけど、掲示板にも載らなかった馬が本番で一変するケースは経験上、あまりないので…」
武騎手は非常に誠実で、ファンに正しい情報を伝えてくれることで知られています。だからこそ、このコメントには大きな意味がありました。わずか半年前、国内最強と呼ばれていた王道スターとは思えないほど、新聞の印は薄くなってしまいます。
ファンの目も驚くほど懐疑的になっていました。単勝オッズは6・8倍の4番人気。ライバルのセイウンスカイが絶好調で出走していたこともありますが、わずかの間にここまで人気が急落する姿を誰が想像したでしょうか。パドックでも元気があるようには見えないから不思議です。しかも、発表された馬体重は前走比マイナス16キロ。競馬においてプラスマイナス10キロ以上の増減は歓迎材料とは言えないので、競馬場内は騒然としました「調子が悪いのか…」。浮かない気持ちでレースを迎えたファンを、スペシャルはさらに暗い気持ちにさせます。最近のレースとはまったく異なり、後ろから4頭目をゆっくり進んでいくのです。「やっぱりダメか…」「終わってしまったのか…」。フラグが立っていたらごめんなさい。そうです、ここまで絶望させておいて、スペシャルは最後の直線で他馬をゴボウ抜きにしたのです!
4角12番手からの豪快な追い込み勝ちに、「ユタカさん、話が違うじゃないですか!」と苦笑しながらツッコミを入れる人もいましたが、天才ジョッキーは決してウソをついていたわけじゃありません。それを証拠に、レース後のコメントを抜粋しておきましょう。
「直線で大外に出したら鋭く反応してくれたけど、それでも最後まで勝てるとは思わなかった。今回ばかりはホントに半信半疑でしたから」
天才さえ欺かれたスペシャル復活の裏には何があったのか。本紙は翌日の紙面で検証しています。
記者が導き出している答えは体重です。スペシャルはこの年の春以降、徐々にパンプアップしていました。年明け初戦のアメリカジョッキークラブカップは466キロ、天皇賞・春は476キロ、宝塚記念は480キロ、そして惨敗した京都大賞典は過去最高の486キロ…馬は本格化に合わせて体重が増えていきますから、ファンもメディアもそれほど気にしていなかったんですが、陣営は「もしかして…」と思ったようです。5馬身差で圧勝したダービーは468キロ、考えてみれば466キロだったアメリカジョッキ―クラブカップも3馬身差の快勝でした。人間が考え得る敗因をすべて消そうとした陣営は、天皇賞・秋出走のための東京競馬場に到着した金曜日以降、汗取り用のカッパを鞍の下に着せるなどして、シェイプアップさせたのです。ファンをガッカリさせた「マイナス16キロ」は、陣営の努力の結果。太っていたら動けない…馬も人間も同じなんですね。
ちなみに、アニメ「ウマ娘」にも、食べ過ぎてぽっちゃりしたスペちゃんが惨敗するシーンがあり、私のように「あの時と一緒じゃん」とツッコんだ競馬ファンの方も多かったのではないでしょうか。
打倒・世界一
見事に復活を果たしたスペシャルはジャパンカップに駒を進めます。世界を相手にする大レースでグラスワンダーと再戦か…と期待されましたが、残念ながらグラスの体調が整わず、他の日本馬たちも積極的に参加してきませんでした。どうしてか。馬柱をご覧ください。
天皇賞・秋を勝ったスペシャルより◎がたくさんついている馬がいるのがお分かりかと思います。実はこのジャパンカップには、2か月前に行われた凱旋門賞の勝ち馬、いわば世界最強馬が参戦したのです。では、そのモンジューという馬の前走欄、つまり凱旋門賞の結果を見てみてください。
下から2行目、「2エルコンドルパ」とありますよね? これは当該レースの2着馬のこと。そうです、黄金世代、再び登場です。前年のジャパンカップでスペシャルに勝ったエルコンドルパサーが、この年、海外遠征を行い、日本馬として初めて凱旋門賞で2着に入っていました。果敢に先頭を奪い、ゴール寸前まで逃げ粘る姿に、深夜のテレビを観ながら声を枯らしたのは私だけではなかったはず。悔しさで眠れなかったあの夜、まさに目前だった日本競馬の悲願を打ち砕いた憎っくきモンジューが、今度は我が国を制圧しにきたのです。強いのは分かっています。1番人気です。パドックでも威圧感満点です。でも、一矢報いてほしい。仇を打ってほしい。やれるのはお前しかない。スペシャルウィーク!
ライバルを破った世界最強馬を、同級生のダービー馬が返り討ちにする…こんなドラマが起こるから競馬はやめられません。そして、神様はもうひとつ、プレゼントを用意してくれました。有馬記念、引退レース、もう1頭のライバル・グラスワンダーとの再戦です。
有馬記念
まずは本紙の馬柱からご覧いただきましょう。
思ったほど2頭に印が集中していません。これは秋4戦目で王道GⅠ2つを目一杯走ってきたスペシャルにそろそろ疲れが出てもおかしくないこと、グラスが10月以来、なかなか体調が整わなかったことが影響しています。実際、「波乱があるかも」と穴狙いに走った馬券好きもいました。しかし、当の2頭は上々の仕上がりを見せ、特にスペシャル陣営はグラス以外は眼中にないといった雰囲気。引退戦、リベンジする機会はここしかないのですから、明らかにライバル視していました。単勝オッズはグラス2・8倍、スペシャル3・0倍。わずかにグラスが上なのは、半年前の宝塚記念で決定的な差をつけていたからでしょうが、評価としてはがっぷり四つ。あとはファンファーレを待つばかりです。
スタートが切られ、2枠3番のスペシャルがするするとポジションを下げていきました。この秋から再び追い込み戦法を取っていたのでファンも「控えるんだな」と思いましたが、徐々に「え?」となります。何と、最後方まで下げたのです。「いくらなんでも…」という声が上がりました。そう、ここは中山。皐月賞で差し届かなかった直線の短い競馬場。「大丈夫なのか…」という不安ばかりが膨らんでいきます。スタンド前を通って、1コーナーから2コーナー。最後方です。向こう正面に入っても動きません。3コーナー手前。まだ動かない。
「そろそろ上がっていかないと間に合わないぞ」
「おいおいおい…」
焦るファン。思わず声を出した人もいました。
「どうしたんだよ!」
「何してるんだ!!」――。
マークしていたのです。武騎手はグラスの後ろで、グラスだけを見ていました。先に動いてぴったりマークされて突き放された宝塚記念。狙いはあのときの逆。ロスとリスクを承知で、グラスが動くのを待っていたのです。
3コーナーを過ぎて、ついにグラスが進出を開始しました。馬群の外を回り、グーンと前へ。4コーナーでは外から先行集団に並びかけます。背後にスペシャル。しっかりついていきました。狙うはグラスだけ。最強を取り戻すため、天才とスターはただ1頭に狙いを定め、直線を向きました。重戦車のように力強く進んでいく栗色のグラスの外から、しなやかに、それでいて力強く黒い馬体が迫っていきます。内では、ロス多く外を回った2頭の間隙を縫うように先に抜け出した馬が脚を伸ばしています。正直、「2頭とも届かないんじゃ…」とさえ思えました。ただ、残り50メートルを切り、徐々に外の2頭、グラスとスペシャルの脚色が上回っていきます。実はこのときの中山競馬場は馬場の内側が荒れていました。スペシャルがそんな馬場を苦手としているのを分かっていた武騎手は、わざと馬場のいい外を、最後の最後で伸び負けない外を回していたのです。しかも、グラスより少しでも馬場の良い、その外から馬体を併せていきました。残り10メートル。ついに先頭に立ったグラス。スナイパーとなった天才の狙い通り、その外からスペシャルが並んだところがゴールでした。
勢いは完全にスペシャル。誰の目にも明らかでした。完璧に任務を遂行した武騎手は、ウイニングランそのままに馬場を1周します。しかし、場内は妙にザワザワしていました。理由は大型ビジョンで流れたスローモーション。ゴールの瞬間だけグラスが前に出ているようにも見えたのです。誰もがスペシャルが勝ったと思っていたので戸惑いました。「え?」「ウソだろ…」。スペシャルが悠然と地下馬道に消えていったそのとき、電光掲示板の1着欄に浮かんだ数字は「7」。グラスの馬番でした。
レース後、武騎手は「勝負に勝って、競馬に負けた」とコメントしました。確かにそうかもしれません。でも、この有馬で「スペシャルが負けた」と思っている競馬ファンはどれだけいるでしょうか。スペシャルじゃなければ、スターの星の元に生まれた名馬でなければ、これほどの激闘は生まれませんでした。
ウォッカとダイワスカーレットの回で、勝負は時に残酷だと綴りましたが、本当に競馬の神様は困ったものです。あの天皇賞・秋は2000メートル走って2センチ差。この有馬記念、スペシャルとグラスは2500メートルを走ってたった4センチ差でした。「もう1回やったらどうなるか分からない」という人もいます。でも、やらなくていいですよね。王道スターが怪物に挑んだ特別な週末を、我々は語り継いでいけばいい。皆さん、そう思いませんか?
感謝&お知らせ
SNSを通じて励ましやお褒めの言葉をたくさんいただき、ありがとうございます。感謝感激で軽く調子にでも乗ってみたいところですが、いたるところからゴルシ級のドロップキック(@ウマ娘)が飛んできそうなので、社内では小さくなっております。私なんて東スポの中で言えばまだまだ3勝クラスですからね(競馬を知らない人に簡単にご説明するなら、重賞に出られるような実力もないってことです)。いやはや、なんて会社に入ってしまったんでしょう…(涙)。まあ、逆に言えば、重賞級の記者がわんさかいるってことです。特に、「競馬の東スポ」という確固たる地位を維持するために他紙を圧倒する情報を集めるべく、競馬の現場で駆けずり回っている記者は精鋭ぞろい。私がこうやって過去の資料を引っ張り出せるのも、先輩方や今もがんばっているトラックマン、カメラマンのおかげです。というわけで、そんな記者4名が、日曜日に行われるダービーを予想&検討しちゃう番組が28日(金)19時から生配信されます(ユーチューブの「東スポレースチャンネル」にて)。良かったらぜひ! POG情報もありますよ!
というわけで、皐月賞ウィークから始めた当企画、毎週アップしながら、おかげさまでダービーまでたどりつきました。東スポnote編集長(年下@ドS)にムチを入られ、ビシビシ坂路で追われているうちに「根性」のステータスがやたら上がったので、何とかこれからも…と思いきや、すみません。皆さんのリクエストが多かったアノ馬を調べていたら、やたら出走回数が多く、資料探しと原稿作成に手間取りそうです。体力ゲージも半分以下になっているので、次回のアップは再来週になります。短期放牧、お許しください。それにしても、アノ馬、がんばってたんだなぁ…。