『オッサンの壁』をオッサンが読んでリアルな壁にぶつかる
サッカー界で輝くオジサン
先日行われたサッカー日本代表対ブラジル代表のフレンドリーマッチ。結果は惜敗でしたが、それ以上に驚いたのが、世界最強といわれるブラジル代表の中にダニエウ・アウベス先輩の名前があったことでした(しかも先発出場!)。攻守にわたって走力が求められるサイドバックを39歳にして務めることはハンパではありません。もはやオジサンと言われてもおかしくない年齢であるアウベス先輩が今なお世界最高峰で戦う姿を見て、「私もまだまだ頑張らねば」と奮い立ちました。
サッカー界でレジェンド級のオジサンといえば、我らがキングカズに触れないわけにはいきません。今年のUEFAチャンピオンズリーグを制したレアル・マドリード所属のクロアチア代表MFルカ・モドリッチ(36)が決勝戦の前のインタビューで「いつまでプレーする?」と聞かれ、「わからない」と笑いつつ「50歳。日本のミウラのようにね」と笑顔で答えたことがニュースとして世界中に報じられました。キングカズは世界のトッププレーヤーにとってもあこがれの存在なんですね。
オジサンとオッサンの違い
さて、ここまで輝くオジサンについて書いてきましたが、残念ながら輝けない、あるいは輝きを失ったオジサンも世の中には存在します。個人的な感覚ではあるものの、オッサンと呼ばれるときは特にそのニュアンスが強いように感じます。あえて並べるなら「オジサマ」(ルパン三世「カリオストロの城」でクラリスがルパンに使う感じ)>「イケオジ」(もはや死語かも)>「オジサン」>「オッサン」といった感じでしょうか。自分もオジサンと言われる年齢となった今、「いったい他人からはどのように見えてるんだろう?」と考えながら本屋をブラブラしていると、『オッサンの壁』(講談社現代新書)という本が並んでいました。
著者は毎日新聞で論説委員を務めている佐藤千矢子氏。全国紙で女性として初めて政治部長になった方です。全国紙とスポーツ紙は毛色が違うとはいえ、同じ記者職としては大先輩。どんなことが書かかれているのか気になって読みました。佐藤氏は「はじめに」でオッサンについてこう定義します。
む、むずかしすぎる…、正直そう思いました。「男性優位に設計された社会」は歴史的な背景を振り返ればわかりますし、今の世の中に生きづらさを感じている人たちがいることもわかります。しかし、「男性が下駄をはかせてもらえる」という表現が必要以上に男性すべてを敵に回してしまっているような気がするのは私だけでしょうか。佐藤氏は直後で「男性でもオッサンでない人たちは大勢いる」とフォローしていますが、それはつまり「男であるだけで下駄をはかせてもらって申し訳ないねぇ…」と思っている男性が大勢いるという前提で成り立っているのでしょうか。オッサンになりたくないと思っている私はいきなりこの〝下駄発言〟でつまずきました…。
男社会のリアル
とはいえ転んだって擦りむいたって情報をとってくるのが記者の仕事。どんどん読み進めるしかありません。第一章「立ちはだかるオッサン」では一般紙の記者なら避けて通れない夜討ち朝駆けがいかに激務だったかを振り返ります。
すごい実体験。しかし、実家に帰った途端に嘔吐して寝込むというのは明らかに限界寸前だったわけであり、新聞記者の仕事がブラックだと告白しているようにも見えてなんだか心配にもなります(苦笑)。第二章「ハラスメントの現場」は衝撃的でした。おっぱい好きな大物議員を含め、女性記者たちが語る事例は今だったら一発アウトな事例ばかり。セクハラという言葉が浸透する以前から働いていた女性たちがいかに傷つけられてきたかが書かれ、今なおなくならないセクハラ問題の根底を探っています。
本書のタイトルになっている「オッサンの壁」について記述されるのが第四章です。佐藤氏は選択的夫婦別姓の問題に切り込みます。
何のしがらみもなく私個人の意見を申し上げると、選択的夫婦別姓の導入に賛成の立場です。「家族の絆」や「日本の伝統」が崩れると主張する声がありますが、夫婦別姓を選択した人だけ家族の絆が壊れるとは到底思えないからです。この点で私は佐藤氏が主張する「オッサン」からは外れるのですが、「オッサンの壁」だけが幸せを奪っているだけではないとも思います。
オッサンだけが悪いのか?
最近話題になっている論文「マウンティングエピソードの収集とその分類:隠ぺいされた格付け争いと女性の傷つき」を見てみましょう。ここでは女性同士の対立構図がこう説明されています。
女性同士のマウンティングそのものを問題にしたいのではありません。どのように働きどのように生きるかという問題が女性にとっては非常に悩ましいことであることがわかります。おそらく女性側も「オッサンの壁」をどう破壊すべきかで一致していないのです。佐藤氏が「はじめに」で述べたように「オッサンの壁」を守っているのは男性だけなく女性も含まれているのだとしたら、「壁」を守る人を批判すればいいのであって、「オッサン」という言葉をそこまで貶める必要があったのだろうか。私にはまだまだわからないのでいつかオジサマになれるよう考え続けます。(デジタルメディア室・森中航)