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今なお日本一!33試合連続安打記録について話そうか【高橋慶彦 連載#5】

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連続試合安打記録の危機に山本浩二さんがかけてくれたうれしい言葉

 入団4年目の1979年は、いろんなことがあった。というか、ありすぎた。まあ、ここはオーソドックスに日本記録となる33試合連続安打のことから触れておこうか。

連続試合安打

 その年のセ・リーグの序盤戦は首位中日から最下位のヤクルトまでが3ゲーム差以内にひしめき合う大混戦で、どのチームにも優勝のチャンスがあった。そんな中で迎えた6月6日のナゴヤ球場での中日戦が始まりだった。もちろん、それが大記録への第一歩になるなんて知る由もないし、そもそも5回に中前打を放っていたのに、6回の好機で代打を送られた。理由までは覚えていないけど、前日までの5試合で24打数1安打と不調だったことが一因となっていたのかもしれない。

 それに奮起したのかなあ。広島に帰ってからの8日の阪神戦で3安打したのを機に、ヒットがポンポンと出るようになった。そして迎えた17日の巨人戦では、その年に阪神から小林繁さんとのトレードという形で巨人に入団した江川卓さんと初対戦。3打席目に左前打を放った俺は、8回にも左翼線二塁打を打って気を吐いた。その直後だったな、江川さんが鼻血を流して降板したのは。世に言う「鼻血ブー」だ。

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プロ初勝利に向けて完投ペースだった江川だが、8回に鼻血を流して降板。左は捕手の吉田

 その後もコンスタントにヒットを打ち続けたけど、俺の連続試合安打がメディアで取り上げられることもなかった。話題を集めていたのは前年の本塁打王で、阪神の掛布雅之さんとキング争いをしていた山本浩二さん。地元の中国新聞では少しぐらい記事になっていたかもしれないけど、当事者の俺自身でさえ連続試合安打のことなど意識もしていなかった。

 風向きが変わったのは7月10日の巨人戦で、連続試合安打が22となってからだね。

 なんでも76年にゲイル・ホプキンスが記録した球団記録を更新したとかで、一躍“話題の人”に。そうなると、いや応なしに意識させられるようになってしまう。俺は試合になったら「塁に出る」ことだけに集中していたけど、チームメートはそういうわけにもいかなかったようだ。

力投する小林繁(79年4月、甲子園)

力投する小林繁(79年4月、甲子園)

 そんななかで、うれしいこともあった。最大のピンチとも言える7月13日の阪神戦でのことだ。俺は小林繁さんを打てずに、出塁は5回の四球のみ。一塁ベースへ向かって歩きながら「もうダメかな」と思った。細かいことまでは覚えていないけど、試合の終盤だったかな。浩二さんがベンチで、こう言ってくれたんだ。「ヨシヒコ、俺が塁に出て、絶対お前に回してやるからな。必ず打てるぞ」って。

 ほんと、うれしいひと言だった。記録なんて俺個人のことなのに。今になって思えば、そういう一丸ムードがこの年の日本一にもつながったのかもしれないね。結果的にこの日の試合には負けてしまったんだけど、浩二さんを始めとしたチームメートの後押しもあって、9回に第5打席が回ってきた。そして俺は、小林さんの投じた沈み損ねのシンカーをセンター前へ運んだ。連続試合安打は25になって、セ・リーグでは王貞治さんに並ぶ歴代3位タイに。でもそれは、新たなプレッシャーとの闘いの始まりにすぎなかった。

山本浩二と高橋慶彦(82年2月、沖縄市)

高橋を弟のようにかわいがった山本浩二(82年2月、沖縄)

新記録達成後の直後に負傷交代でパレードが幻に…

 1979年の前半戦終了時に連続試合安打記録を29まで伸ばしていた俺への注目度は、日増しに高まるばかりだった。この年は初めてオールスターにも出場しているんだけど、記者さんに聞かれるのは連続試合安打のことばかり。第1戦の大阪球場で2安打したら「これで“30試合”ですね」とか言われるし、第2戦のナゴヤ球場で3タコに終わった後もコメントを求められた。

 オールスターはシーズン中の記録と関係ないのに。

 プレッシャーも相当なものだった。自分では平常心のつもりでも、このころになると夢にまで連続試合安打のことが出てきたんだ。記録を伸ばすために、セーフティーバントをすべきかどうかという夢を。実際に「セーフティーバントを狙え」とアドバイスしてくる人もいたし、自分では「そんなことまでして失敗したら格好悪い」と思っていたけど、心のどこかで「このプレッシャーから逃げ出したい」という意識もあったんだろうね。

 そんな心配をよそに後半戦のスタートとなった7月27日の大洋戦で2安打すると翌日の同カードでも3安打して、とうとう阪急の長池徳士さんが71年に樹立した32試合連続安打の日本記録にリーチをかけた。ここまできたらやるしかない。翌29日には相性の良かった野村収さんから第1打席で右翼線への二塁打を放って長池さんの記録に並び、運命の日を迎えた。

阪急の長池徳士(76年、西宮)

阪急の長池徳二(76年、西宮)

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