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【プロ野球】「野球バカとハサミは使いよう」山田隆道著

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“球春到来”に合わせ、2012~13年にかけて東スポ紙面連載された往年のプロ野球選手から処世術を学ぶコラムを復刻します。選手のエピソードから導かれる教訓は日々の生活に役立つこと間…
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#中日ドラゴンズ

外見から入るギャップ戦略も大事【野球バカとハサミは使いよう#33】

威圧感たっぷりの大柄なヒゲ男は技巧派 現在、千葉ロッテの投手コーチを務める齊藤明雄(2009年まで斉藤明夫)は、身長184センチという立派な体格に加え、日焼けした浅黒い肌と豊かな口ヒゲが特徴的な、少々いかつい風貌で知られる男だ。通称・ヒゲの齊藤である。  現役時代は、1970~90年代にかけて大洋(のちの横浜)の先発やクローザーとして活躍した名投手で、当時としては史上3人目となる100勝100セーブを達成。さらに新人王(77年)や最優秀防御率賞(82年)、最優秀救援投手賞(

組織に才能を閉じ込めるな【野球バカとハサミは使いよう#30】

宣銅烈の日本球界入りは球団の柔軟な対応力によるもの 近年、韓国のプロ野球から日本球界に移籍する選手が増えている。現在ではオリックスの李大浩が代表格だろう。韓国球界で2度の3冠王に輝いただけあって、その打撃は剛柔併せ持った一級品。来日1年目の昨季は打点王を獲得し、今季もここまで好成績を維持している。  そんな韓国組のパイオニアといえば、1995年オフに中日入りした宣銅烈だろう。宣は1年目こそ不慣れな環境に苦しんだものの、2年目以降は本領を発揮した。150キロ超のストレートと高

ライバルの能力が上でも、そこで諦めてはいけない【野球バカとハサミは使いよう#21】

星野仙一監督が選んだ〝頑丈で従順な男〟 職場に自分と同じ業務を担当するライバルがいたとする。そして、そのライバルが自分よりも学があり、機転も利き、人に好かれそうな性格だった場合、多くの人は少なからずショックを受けるだろう。  プロ野球界でも1980年代中期~2000年代にかけて、中日などで長らく活躍した捕手・中村武志がそうだった。中村は84年のドラフト1位であり、その後も捕手として通算1955試合出場を記録するなど、一見すると順風満帆な野球人生だと思われがちだ。しかし、実際

社員寮は絶大な効果を発揮する!【野球バカとハサミは使いよう#17】

球団に勧告されるまで寮に住み続けた野口茂樹 人間とは基本的に自分に甘い生き物である。だからこそ、仕事で成功するためには自己管理が重要になってくる。  プロ野球選手もそうだ。例えば、かつて中日などで活躍した左腕投手・野口茂樹。彼もまた自己管理によって、選手生命を左右された一人だ。  野口は愛媛県の丹原高校から1992年に中日入りすると、4年目から一軍に定着し、6年目の98年には14勝を挙げ、最優秀防御率のタイトルを獲得した。高卒であることを考えると、順調なプロ人生だと言える

王貞治対策として試合で背面投げした男を覚えているか?【野球バカとハサミは使いよう#8】

球速120キロ台でも「生命線は直球」 蚊が止まるような遅いボールしか投げられないのに、なぜか打者を次々と抑えてしまう不思議な投手がいる。中でも印象に残っているのは1980~2000年代にかけて、主に阪急、オリックスなどで活躍した長身痩躯の左腕エース・星野伸之だ。  星野はストレートの球速が120キロ台ながら、80キロ台のスローカーブやフォークボールなどを駆使して、打者を幻惑する希代の“遅球王”だった。抑えられた打者のコメントも「今日の星野は一段と遅かった」「あれは高校生にし

ビジネスマンである前にひとりの人間である【野球バカとハサミは使いよう#3】

自己投資を惜しんでは成長できない「給料の安さが営業不振の原因だ」――。そう嘆くのは、僕の友人である某社の営業担当者だ。より成績を上げるためには、さらなる人脈作りや多方面の勉強が必要になってくるのだが、そこに力を入れると金がかかってしまう。自己投資と生活困窮とのバランスに悩んでいるわけだ。  その点、1960~80年代の中日ドラゴンズで、長らく正捕手として活躍した木俣達彦は大胆な男であった。同時代に野村克也や田淵幸一といった有名捕手がいたため、一般知名度こそ2人に少々劣るもの