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シャレオツなオフィスでエンジョイカプチーノ

書店に並んでいるさまざまな本のタイトルを眺めていて、ふと思いつきました。似たようなタイトルの本を〝対戦〟させたらどうなるのだろうか? 荒唐無稽かもしれませんが、そんな視点で探してみるとあっという間に見つかりました。本日のカードは『何もしないほうが得な日本』『世界で最初に飢えるのは日本』。ジャケ買いしたのも同然なので、正直似ているのはタイトルのつけ方だけかもしれません。でもとりあえずゴングを鳴らして試合を開始っ!(東スポnote編集長・森中航)

東スポ読書部 発想力を鍛えるために
2冊の本を対決させてみたらという実験です

「出る杭は打たれる」ままでいいのか?

結果から申し上げると、『何もしないほうが得な日本』(PHP新書)は逆説的なタイトルの本でした(笑)。現代に生きる日本人が「何もしないほうが得」という態度や行動になってしまったのはどうしてなのかを究明していく内容で、著者である同志社大学の太田肇教授は自分さえ良ければ他はどうでもいいという姿勢を「消極的利己主義」だと指摘しています。

学校や職場、町内会といった地域共同体など具体例を挙げて説明してくれるので、全編を通して非常にわかりやすいです。たとえば、会社の人事評価制度のはなし。フツーの会社だと能力、業績、情意(態度や意欲)など、それぞれの評価項目の合計点で S、A、B、C、Dといった5段階に相対評価しているかと思います。実は東スポも最近こうなったのですが、評価シートを渡されて私は「学校の通知表みたいっすね」と苦笑いすると同時に「減点されないように働かないといけないのか」という消極的な思いが頭をよぎったのです(笑)。太田教授はこんな指摘をしています。

 問題は独創性や革新性などが決定的に重要な仕事にまで、定型的な業務と同じような評価制度が適用されるところにある。研究開発の分野には「千三つ」という言葉がある。千のうち三つぐらい成功すればよいという意味であり、失敗が当たり前の世界だ。そこで失敗を恐れて挑戦しないことは、組織にとっても個人にとっても致命的だといえる。
 さらに日本企業では、前述した考課要素のうち情意考課のウエイトが大きいところに特徴がある。海外では情意考課そのものが存在しないか、存在しても日本ほどウエイトが高くない。しかも日本では最終的な総合評価も基準があいまいであり、がんばっている人、意欲的な人を評価しがちだ。現場の実態として、最初にあいまいな印象で総合評価を決め、それに合わせて個々の項目で評価するといったケースも少なくはない。
 だからこそ表面的には「やる気」がありそうに見えたり、チャレンジする姿勢が見えても、実は外向けのポーズに過ぎない場合が出てくるのである。

太田肇『何もしないほうが得な日本 社会に広がる「消極的利己主義」の構造』(PHP新書、2022年、62ページ)

 わかりみが深すぎます…。東スポ記者の仕事は本来、独創性や革新性を持つ記事を書くことであって、チャレンジを続けなければ他のメディアと同じになってしまいます。それなのに日々、点数を稼ぐことを意識していたらいつになっても〝特大ホームラン〟は打てないでしょう。目標の達成を求めるから最初からハードルを下げた目標しか立てない人が現れても不思議ではありません。終身雇用が中心となっている日本企業という共同体組織の中では、チャレンジが同僚や先輩にとっては「迷惑」となるケースもあります。

 ミドル層が年齢的にも、地位の面でも保守的になることはすべに述べたが、それだけではない。部下が失敗すると管理職である自分の責任になるので、リスクを伴う挑戦は好まない傾向がある。
 しかも部下に無謀な挑戦をされると、自分が部下を管理できていない印象を上層部に与えてしまい、管理能力を問われる恐れがある。逆に部下が挑戦して成功を収めたら、部下の存在感が高まり、自分の顔がつぶれるかもしれない。いずれにしろ、本音としては部下の挑戦を手放しでは喜べないのである。

太田肇『何もしないほうが得な日本 社会に広がる「消極的利己主義」の構造』(PHP新書、2022年、96ページ)

 なるほど、だから個人が「消極的利己主義」という沼にはまっていき、会社という共同体も空洞化していくわけです。では「何もしないほうが得」な社会から、どうすれば「するほうが得」な社会になるのか? 詳しくは本書をじっくり読んでいただきたいので、私が会社の偉い人に訴えたい点だけを紹介します。

第3章で述べたように、日本の組織・集団は内部の人間関係が濃密で、互いに牽制し合うまなざしや濃い「空気」によって、自発的な行動をとることが妨げられている。それを考えたら、物理的な分化は想像以上に有効だと考えられる。
 そもそも大部屋で仕切りのないオフィス環境は、日本特有なものだ。そこでは日常のコミュニケーションがとりやすく、狭義の事務作業を行うには適していた。しかし単純作業や定型的業務がIT化されたいま、オフィスは「創造の場」でなければならない。このようにオフィスの役割を定義し直すと、周囲の話し声や視線を気にせず仕事に集中できる空間が必要になる。

太田肇『何もしないほうが得な日本 社会に広がる「消極的利己主義」の構造』(PHP新書、2022年、216ページ)

お金はかかるかもしれませんが、東スポのオフィス改革を切に望みます。シャレオツなオフィスでエンジョイカプチーノ!

何も気づかずに食べてていいのか?

一方の『世界で最初に飢えるのは日本』、かなりなショッキングなタイトルですが、著者はくしくも同じ大学教授でした。官僚として農水省に勤務したのち学界へ転じ、現在は東京大学大学院農学生命科学研究科教授である鈴木宣弘氏はかなり強い調子で日本の食糧危機を論じます。まずは、ひろゆきさんのツイートに反論している箇所を見てみましょう。

この方に限らず、カロリーベースの食料自給率を議論しても意味がない、日本の生産額ベースの自給率は二〇二〇年度で六七パーセントもあるのだから問題ない、といった議論もある。
しかし、頭が弱いのはどっちだ、と筆者はいいたい。食糧危機をどうやって回避するかという話なのだから、生産額を議論しても仕方がない。カロリーベースで議論しないと、「日本人が飢餓に陥る可能性」が見えてこないからだ。たとえば、販売単価の高いいちごの生産量を増やし、それこそ海外に向けて輸出すれば、生産額は上昇するので、生産額ベースの自給率は上がる。だが、いちごはカロリーが低いため、カロリーベースの自給率は上昇しない。
産業としての農業を論じるうえで、生産額ベースの自給率は必要な指標ではあるが、食料危機をどうやって回避するかを論じている時に、生産額ベースで議論していても意味がないのである。

鈴木宣弘『世界で最初に飢えるのは日本 食の安全保障をどう守るか』(講談社+α新書、2022年、94ページ)

 フツーのくらしの中では、なかなか「食料安全保障」の重要性に気づくことはできませんが、有事に食料輸入がストップした場合はこうなることが農水省によって示されています。

農林水産省『いちばん身近な「たべもの」の話」(12ページ)から引用

 私は一日二食派ですが、みそ汁が2日に1杯しか飲めないのがつらすぎます…。輸入して買えばいいと思いがちですが、こんな指摘をされるときっと危機感を覚えると思います。

 中国は大豆を約一億トン輸入しているが、日本の大豆の輸入量は、大豆消費の約九四パーセントを輸入しているものの、たかだか三〇〇万トンに過ぎない。中国に比べると、「端数」のような数だ。もし中国がもっと大豆を買うと言えば、輸出国は日本のような小規模の輸入国には、大豆を売ってくれなくなるかもしれない。今や中国のほうが、高い価格で大量に買ってくれる。それに比べて、日本の「買う力」の低下が久しい。(25p)

鈴木宣弘『世界で最初に飢えるのは日本 食の安全保障をどう守るか』(講談社+α新書、2022年、25ページ)

2冊同時読みしてわかったこと

だいぶ長くなってしまいましたね…。ここまでお付き合いいただいた方、本当にありがとうございます!

本を開いてみればジャンルが異なる本だったため「〝対戦〟が成立していないんじゃないか!」とのツッコミはごもっともです(笑)。ただ言い訳をさせていただくなら、『何もしないほうが得な日本』であり続けると『世界で最初に飢えるのは日本』になるのかもしれない、という見方だけ成立するかもしれません。

会社の成長戦略とか食の安全保障とか難しい話は雲の上の話と思いがちですが、2人の教授はあとがきの中でシンプルな〝答え〟を出してくれています。

「治療方針は単純明快。『するほうが得』な体に変えればよいのだ」(太田教授)
「消費者の行動が世の中を変える原動力になる」(鈴木教授)

私たちがまず、変わらなければならないのです、自戒を込めて――。


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