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鈴木みのる「二度と親兄弟、家族は試合会場に入れないようにしている」【思い出したくない恥バウト】

 思い出したくもない過去の暗黒部分を、わざわざ本人に振り返ってもらって紙面にし、さらに14年後に再び引っ張り出すというのは残酷すぎる企画。第2回は〝世界一性格の悪い男〟鈴木みのるが登場だ。真っ先に挙げた新日本プロレスでのデビュー戦(1988年6月23日、神奈川・横浜文化体育館)でした。

告白して断られた女子が見に来た

 恥ずかしい試合だ? そんなもんあるわけねえだろ、誰にモノ言ってんだ、バ~カ! まあ、無理やり言えってことならデビュー戦(飯塚孝之戦)だろうな。

(デビュー前は)地方だとか、後楽園だとかいろいろ言われてたんだけど、ある日、突然に地元の横浜文化体育館でデビューすることになって。同じ横浜出身の山本小鉄さんとミスター高橋さんが気を利かせてくれて、会社に言ってくれたらしいんだけどさ。

 でも、地元でのデビューが決まったはいいけど「じゃあ、これ頼むね」って300枚近いチケットを渡されて。学生時代の同級生や知り合いはもちろん、地元の商店街やじいさん、ばあさんまであらゆるツテを使って必死にさばいたよ。おかげで2階席の一角はすべてオレのお客さん。オレの試合が終わった途端、みんな帰っちゃったよ(笑い)。

デビュー戦の相手を務めた飯塚に頭を下げるみのる。今では信じられない光景だ

 まあ、それはいいんだけど、試合前にリングに上がったら中学時代の同級生の女の子たちが何人かいて。「頑張ってね!」って花束をくれたんだけどさ。その中に昔、告白して断られたヤツとか好きだったヤツとかがいやがんの。こっちは初めての試合前で緊張していたのに「なんでコイツらいるんだよ?」とか思ったら、急に素になっちゃって。「あれ? オレこいつの前でパンツ一丁になってるじゃん」ってなんだか恥ずかしくなってきちまったよ(笑い)。

 しかも、試合前にはうちの母ちゃんが控室まで来て(アントニオ)猪木さんに菓子折りなんか渡していたし。みんな半分困った顔していたよ。それからは二度と親兄弟、家族は試合会場に入れないようにしている。

試合後、藤原さんにボコられた

 試合の方はどうだったかって? ロックアップから始まってドロップキックを決めたのは覚えている。それで「オレって結構できるじゃん。センスあるじゃん!」って意気揚々と控室に帰ったら、藤原(喜明)さんから体育館の裏に呼び出されてさ。「なんのためにオレと練習してきたんだ! お前はほかのヤツと違う技ができるだろ!」ってボコボコにされたよ。

 それ以来、「オレのスタイルを作る!」って決めて、どんなに先輩たちから「生意気だ」って言われても一度もロックアップはしたことがないな。うぬぼれていた自分が恥ずかしかった。そういう意味でも、選ぶとしたらやっぱりデビュー戦だろうな。

野上彰(下)と鈴木のスパーリングを見守る藤原(89年2月、北海道・釧路)

※この連載は2009年4月から10月まで全14回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やしてお届けする予定です。

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