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吉田秀彦「酒のつらさを乗り越えられないと、世界一にはなれないよ!!」【豪傑列伝#11】

 アルコールには決して強くはない。しかし、どれだけ飲んでも記憶をなくしたことが一度もない――。“酒豪”でありながら、柔道の頂点を極めた男がいる。バルセロナ五輪男子78キロ級金メダリスト・吉田秀彦だ。現在は格闘技界を支える吉田の意外な一面を探った。
  
 吉田の酒豪伝説は、明治大学卒業後から本格化する。吉田の先輩でバルセロナ五輪71キロ級金メダリスト・古賀稔彦氏らを中心に明大や日体大、日大などの柔道OBで通称「酒遊会」を結成。主な活動内容は柔道の強化合宿のハズだったが…。

【吉田の話】今思い返してもすごい集まりだった。真冬に隅田川で屋形船を貸し切ったことがあって、いっぱいに積んであったお酒が全部なくなった。当然、酔っ払って川に飛び込もうとする人間もいた。何を飲んだか忘れたけど、一升瓶をイッキ飲みしてベロベロになりながらも必死で止めましたよ。いつもそんなことばっかりでしたね。

吉田の酒豪伝説はいまだに色あせることはない

 驚くべきは、学生時代の吉田は、ほとんどアルコールを口にできなかったことだ。グラス1杯のビールで顔は赤くなり、強烈な睡魔に襲われたという。しかし、先輩の命令には絶対服従の体育会系にあって、特別扱いなど許されるハズもなかった。

【吉田の話】先輩に「じゃあ、飲みに行くか!」と言われれば、断るという選択肢なんかボクらにはないワケで…。酒はいい酒にもなるし、悪い酒にもなる。確かに練習終わりの酒はうまかったけど、最初のうちは本当につらかった。練習よりもね。でも、練習と同じように繰り返し吐けば、だんだん慣れてくる。一晩で15回吐いたこともある。柔道でも酒でも繰り返せば強くなるんだと分かったね。

 苦手だった酒を克服した吉田は、いつしか「酒遊会」の中核メンバーに昇格。合宿中、1日6時間以上にも及ぶ猛特訓に耐えられたのも、練習後の息抜きがあったからこそだ。

【吉田の話】とにかく遊びも練習も一生懸命でしたよ。そのうち練習のための合宿なのか、飲むための合宿なのか分からなくなっちゃったけどね。だいたい明け方まで飲んで、そのまま午前の練習に入っていた。酒を抜くために汗をかいてちょうどよかった。夜に備えて午後の練習前の昼休みでいかに睡眠を取るか。ここが合宿を乗り切れるかどうかの分かれ目でしたよね。だから、昼休みに取材とかが入ると面倒くさかったんですよ。当時、古賀先輩も「ウザい…」と言ってました(笑い)。

 当然、泥酔したメンバーがトラブルを起こすことも多かった。路上での喧嘩や、電話ボックスにいた見ず知らずの男性に突然、消火器を噴射した不届き者もいた。吉田自身が身元引受人として警察署に出頭したこともあるのだとか…。それでも、吉田は当事者にならず記憶をなくしたことも一度もないという。

【吉田の話】全部覚えている。酔っ払って財布とかをなくしたこともないもん。今はもちろん、あんな飲み方はできないけどね(笑い)。落ち着いてお付き合い程度にしか飲みません。

ミルコ・クロコップ(手前)との死闘。吉田は飛びつき腕ひしぎを狙うも手がすべり延髄斬りのような形になった(2006年7月、さいたまSA)

 プロ格闘家に転向したとはいえ、吉田は低迷が叫ばれる昨今の日本柔道界が気がかりでならない。最後に吉田は自身の体験を踏まえて破天荒なアドバイスを送った。

【吉田の話】みんないいものは持っていると思う。でも最近の人たちは体に気を使い過ぎている面もある。それでいて結果を出せていないワケだから、ここは肝臓…内臓から鍛え直すべき。酒のつらさを乗り越えられないと、世界一にはなれないよ!!

※この連載は2009年4月~2010年3月まで全33回で紙面掲載されました。東スポnoteでは当時よりも写真を増やしてお届けします。

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