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猪木は海賊男と話し合い…「そこまで言うんなら、やってやるよ」【プロレス語録#20】

 6日の新日本プロレス後楽園ホール大会。前田日明氏が新日プロの「グレーテスト・レスラーズ」に選出され、その表彰を受けるため約9年ぶりに新日プロの会場を訪れる。

 前田氏は1987(昭和62)年11月、6人タッグ戦の試合中、長州力の顔面を背後から蹴った行為を「プロレス道にもとる」(猪木)として、新日プロから解雇されている。

長州(手前)の顔面を背後から蹴る前田(87年11月、後楽園ホール)

 これは1988(昭和63)年、前田の解雇が発表された会見(東京・六本木の新日本プロレス事務所=当時)に乱入し、半ば脅迫同然に新日プロ参戦を訴えた海賊男のセリフだ。

 前田解雇の発表は、午後1時から倍賞鉄夫営業部長(当時)の口から発表された。解雇とはいっても坂口征二副社長(同)が「4月に全員の契約更改があるが、前田本人がもう一度というのならば、ウチとしては話し合いの場を持つつもりはある」と温情を示していた。

 会見が終了した午後1時21分。突然、事務所に乱入してきたのが2人の海賊男だ。先導してきたヒロ・マツダ氏を押しのけた海賊は、会見に出席していた坂口副社長を手にしたステッキでつっつこうとしつつ、見出しのセリフを絶叫した。

突然、新日事務所に押しかけた海賊(手前)。異様な光景だ…

 ただちに猪木が社長室からとんできて、マツダ氏と海賊2人に激しく言い寄る。前田解雇で集まった報道陣をシャットアウトした上で、会議室で新日プロ側と海賊が話し合いをスタート。何やら叫びつつ、2人の海賊とマツダ氏は待たせておいたタクシーで姿を消した。

 苦虫をかみ潰したような表情で会議室から出てきた猪木は「そこまで言うんなら、やってやるよ。そうしとけ、と坂口に言っておいた」とピシャリ。海賊の参戦を認めてしまうのだった。

「I Want Wrestle!!」と叫びたかったのは、戦う場所を失った前田だったのかも知れない。



 1972(昭和47)年2月。日本全国を震撼させたのが、連合赤軍が長野県北佐久郡軽井沢町にある河合楽器の保養所「浅間山荘」に人質を盾に立てこもった「あさま山荘事件」だ。

 事件発生の2月19日から10日間が過ぎた2月28日、ついに警察が山荘内に強制突入。その様子はテレビで生中継され、日本中の注目を集めた。

 この日、日本プロレスは千葉・船橋ヘルスセンター(現・ららぽーとTOKYO―BAY)で興行。当然、控室でも話題は「あさま山荘」一色。それもそのはず、あさま山荘は日本プロレスの軽井沢合宿所に隣接した建物でいわばお隣さん。

あさま山荘事件後、合宿中の坂口征二、グレート小鹿ら(72年3月、軽井沢)

 日本勢は「事務所にいても落ち着かない」と早めに会場入り。馬場と大木は、さっそく会場に隣接するアイススケート場事務所に侵入し、テレビにかじりつく。誰に話しかけられても「黙っていてくれ」とピシャリ。ブラウン管内の惨劇に全神経を集中させていた。

 放水による山荘破壊作戦がスタートしたのが午後5時30分。午後6時10分すぎに、警察と機動隊が一斉突入し犯人を全員検挙。人質全員を無事に救出した。

 試合開始の午後6時30分直前に、このニュースを目にした馬場と大木は「良かった。本当に良かった」と我が事のように大喜びだった。

 事件の経過が気になるのは会場のお客さんも一緒とのことで、急きょ日プロ関係者がマイクを握り「人質は無事救出され、犯人5人も捕まりました」とアナウンス。底冷えのする館内から拍手と歓声が巻き起こった。

 なお大木はこの日、第7試合でボブ・グリフィンと両者リングアウト。馬場は第8試合でフランシスコ・フローレスに16文キックで快勝。メーンイベントでは坂口征二、吉村道明組がハーリー・レイス、コルシカ・ジョー組を下している。

あさま山荘事件解決から約2時間後、馬場は会場で山のようにそびえ立った

※この連載は2008年4月から09年まで全44回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全22回でお届けする予定です。

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