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ベテランカメラマンが述懐…猪木さんの節目には倍賞美津子さんの姿があった【秘蔵写真とともに】

東スポ紙面、Webでアントニオ猪木さんと倍賞美津子さんのエピソードが語られ、2人の仲睦まじい写真が掲載された。

倍賞さんは71年3月、猪木さんがロサンゼルスでジョン・トロスを破り、UN王座を奪取して帰国した会見に同席。同時に婚約発表も行った。11月に猪木さんが坂口征二とのコンビでNWAタッグ・リーグ戦を制覇すると、リング上で祝福する姿がテレビの電波にも乗っている。

72年、猪木さんが新日本プロレスを設立すると、倍賞さんは内助の功で支え、猪木さんの節目には必ず同席する姿があった。東スポの写真データベースに眠る2人のほほ笑ましい姿、そして節目の写真を紹介したい。(デジタルメディア室・木明勝義)

猪木さん&倍賞さんのラブラブ写真

UN王座を奪取し帰国会見(71年3月、羽田)
UN王座を奪取した翌日ディズニーランドデート、右は舟橋慶一アナ(71年3月)
日本プロレスから追放処分が発表された猪木が入院先で会見(71年12月、渋谷区上原)
モハメド・アリと契約調印のため渡米しニューヨークのボクシングコミッショナーの出迎えを受けた(76年3月、J・F・ケネディ国際空港)
モハメド・アリとの最終ルール打ち合わせを行い米国から帰国した2人(76年5月、羽田)
猪木の母・文子さんにビールを注ぐ倍賞美津子(76年8月、ブラジル)
愛娘・寛子ちゃんが通う幼稚園でモチつき(79年12月、東京・目黒)
モヘンジョ・ダロ遺跡を観光(76年12月、パキスタン)
本紙主催の新日本VS全日本対抗ソフトボール大会、右から猪木と愛娘・寛子ちゃん、倍賞の実弟鉄夫氏、夫人(80年4月、所沢)

離婚発覚の夜、急いでフィルムを現像し、プリントを作って電送した

さて、猪木さんと倍賞さんは1971年11月2日、東京・西新宿の京王プラザホテルで総費用1億円という、当時としては超破格の豪華な結婚式を挙げた。しかし、16年目の87年に突如、破局を迎える。

2人が離婚していたことが発覚した時のことは、今でも記憶に残っている。

今から35年前の87年(昭和62年)10月8日、新日本プロレスの北海道・釧路大会を取材した私は、朝方、酔っぱらってホテルに帰還した。部屋に入ろうとして、ふと下を見るとドアの隙間に差し込まれたメモ。

「至急、会社に連絡するように」。すっかり酔いと眠気は吹っ飛んだ。

何ごとかとあわてて社に電話すると、「猪木が離婚したぞ! 今すぐ、昨日の猪木のスケッチ写真を送ってくれ。」デスクの指令が飛んだ。

猪木さんは4日に行われたマサ斎藤との巌流島決戦で負傷し、巡業には同行していたが、試合は欠場していた。取材したときの印象も普段と特に変わりなく、「離婚?」キツネにつままれた気分だった。

当時は、今のようにパソコンで簡単に写真が送れる時代ではなかった。1枚の写真を送るのに、持参した薬品でフィルムを現像し、暗室キット(小型の引き伸ばし機、印画紙、現像、定着液のセット)でプリントを作成。乾燥させて写真電送機の筒状のドラムにプリントを巻きつけ、電話回線で送信という手順を踏まなければならない。

巡業の最終日は、写真電送が終了してOKが出たあと、薬品を捨ててしまうのが常だった。後から違う写真を要求されても現像もできなければ、プリントを作成するのも無理だった。そして、この日は巡業最終日。

通常なら、薬品を捨てているのだが、何が幸いするかわからない。この日、久々に会う友人と飲む約束をしていた私は、片付ける時間を惜しんで、薬品を捨てず、引き伸ばし機もそのまま放置していた。

作業できることに安堵し、急いでフィルムを現像し、プリントを作って電送した。帰京して、紙面を手に取ると1面の見出しは「猪木離婚 全真相」。送信した写真はサイド扱いで小さく使われていた。

当時の記事によると、2人は9月末に離婚届に判を押し10月初め、猪木さんの本籍地である横浜市鶴見区役所に離婚届を提出したという。2人は異口同音に「マスコミにはしゃべらないという約束をした」と離婚の理由については口を閉ざしていて、2人をよく知る友人が代理として東スポの取材に答えていた。

「人生に一つの踏ん切りをつけるための発展的離婚。決して猪木のばく大な借金とか、倍賞がショーケン(萩原健一)と不倫関係にあるとかは臆測でしかない」。

数日後、倍賞さんに直撃取材するため自宅を張り込んだこともあった。仕事から戻ってきた倍賞さんは関係者にガードされ自宅へ入って行った。倍賞さんは猪木さんを通じ、東スポに写真を使用しないよう電話で要望して、この写真はボツとなった。

本紙の直撃に関係者にガードされ自宅に入る倍賞さん(奥=87年10月、渋谷区代官山)

ところで、倍賞さんは02年5月2日に、新日本プロレス創立30周年記念興行にサプライズゲストとして登場した。公の場で15年ぶりの再会となり、倍賞さんは「何十年ぶりにリングに上がりましたが、いいものですね」と大女優の貫録。引きつった笑顔の猪木さんが印象的な〝ビッグサプライズ〟となったのだった。(終わり)

新日本プロレス創立30周年記念興行に倍賞美津子がサプライズゲストで登場(02年5月、東京ドーム)

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