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国際電話に150万円使った西村修「ケンカと愛の確認作業に…」【豪傑列伝#23】

 西村修は自他共に認める国際派レスラーだ。米国・フロリダに生活拠点を置き、これまでに訪れた国は26以上。世界レベルで活動を続けているだけに、国際人ならではの豪傑エピソードもあった。

 住まいはフロリダの一等地。ヤンキース・松井秀喜の応援にも行く。散歩がてらインドに飛び立っては、気ままに欧州へ出向く。まるで渡り鳥のような生活を満喫してきた西村だが、その国際派ぶりは、予想をはるかに超えていた。

【西村の話】過去に行った国ですか?(間髪を入れずに)欧州は英国、フランス、ベルギー、オランダ、オーストリア、ドイツ、スイス、イタリア、ギリシャ、トルコ、スペイン。そしてモロッコ、エジプト、米国、メキシコ、カナダ、バハマ、ジャマイカ…。アジアに回ると日本と台湾、香港、タイ、シンガポール、モルディブ、スリランカ、インド。ざっと思い出して、こんな感じですね。

ドイツ・ブレーメンの街を歩く西村。海外が似合う男だ

 聞くだけでグッタリしてしまうが、無意味に海外を回っているのではない。新日本プロレス時代の1993年、ヤングライオン杯準優勝後の遠征を機に、レスラーとしての技術、哲学を磨くために旅に出ている。フロリダに住み始めたのも、98年にがん(後腹膜腫瘍)を患った際、治療のためよりよい生活環境を求めてのこと。すべてをリングに還元するべく、世界を渡り歩いてきた。

【西村の話】(独身で)家族がいるわけじゃないし、昔はファイトマネーの100%近い金額が飛行機代やホテル代に消えてましたね。旅のお金を稼ぐためにプロレスをやってると言っても過言ではない。莫大なお金は使いましたけど、学校で学べない価値観は、世界が教えてくれたものです。後悔はしてませんよ。

 そう言い切る西村にもほろ苦い過去がある。97年秋の欧州遠征でブレーメンの女性と知り合い、すぐさま意気投合。昔から国際結婚にあこがれていた西村は、一気にこの女性と恋に落ちる。同年12月に帰国した後は、国際電話で“デート”するのが日課になっていた。

【西村の話】当時はクレジットカード払いの国際電話カードを持っていたので、毎日2~3時間は電話してました。付き合い始めたばかりだし、言葉も違うからケンカになる。(その場で仲直りするためにも)電話が長時間になっちゃいまして。数か月後に来た請求書には…150万円とありました。これだとファーストクラスで1往復、ビジネスクラスで2往復できますよね。その翌月にも50万円の請求が来ました。2か月でナント200万円! 最終的には別れましたが、ケンカと愛の確認作業に随分とお金を使いましたよね(笑い)。

元彼女シモーネ(右)と再会して乾杯する西村(2005年11月、ドイツ・ブレーメン)

 当時を思い起こして、思わず苦笑いした西村。哲人は今後も国際派レスラーとして活動の幅を広げていく考えで、最大の目標はキューバで自主興行を開くことだという。

【西村の話】ラム酒と葉巻が好きなので、キューバが気になりますね。今でも年2回ほど日本で自主興行をやってますが、いずれはキューバでも興行ができれば…。現地のプロレス事情は何とも分かりませんが(笑い)。

 レスラーとしてプロモーターとして、西村の飽くなき海外行脚は続く。

※この連載は2009年4月~2010年3月まで全33回で紙面掲載されました。東スポnoteでは当時よりも写真を増やしてお届けします。


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