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惰性で練習しないではいられない体質【プロレス語録#14】

 練習熱心なレスラーは数多い。だが本当に練習量が多い選手に限って「自分は練習熱心である」という自覚は乏しい。つまり日常の生活習慣、惰性で練習しないではいられない体質なのだ。

 若き日の…というか、引退するまでのアントニオ猪木も、そんな選手の一人だった。

 これは猪木と結婚した女優・倍賞美津子さんが結婚式当日、本紙のインタビューに答え、新郎の練習熱心さにあきれ返り、思わず訴えた一言だ。

燃える闘魂は結婚式当日の朝にも練習に出かけてしまった

 前夜(11月1日)、坂口征二との黄金タッグで「第2回NWAタッグ・リーグ戦」を制覇した猪木は翌2日、東京・新宿の京王プラザホテル・高砂の間で挙式。当時としては超破格の1億円もの費用をかけた豪華絢爛な披露宴だった。

 美津子夫人の言葉によると、猪木は激闘から一夜明けたこの日も、朝の9時から「何となく落ち着かねえんだ」と当たり前のように、トレーニングに出かけてしまったのだとか。「いくらけい古好きでも、あきれ返っちゃった。でも、それだけレスリングが好きなのね」(美津子夫人)

 世紀の挙式の媒酌を務めたのは三菱電機の大久保謙会長夫妻。乾杯の音頭は笹川良一氏。披露宴には日本プロレス協会・椎名悦三郎コミッショナー(元外相)、荒船清十郎、中村(萬屋)錦之助、淡路恵子夫妻、フランキー堺、二子山親方(元横綱初代若乃花)、ジャンボ尾崎、堺正章、田宮二郎、長門勇、林家木久蔵(現木久扇)、立川談志、一龍斉貞鳳、由利徹、笹みどり、香山美子、コロムビア・トップら各界著名人がズラリと出席。司会はテレビ映画「バットマン」のナレーションでおなじみのロイ・ジェームスがユーモラスに務めた。

NWAタッグ・リーグ戦を制覇した猪木、坂口(右)組を祝福する倍賞美津子(左=71
年11月、東京体育館)

 もちろんジャイアント馬場、坂口征二を始めとする日本プロレス勢も駆けつけ、若きエースの門出を祝っている。



今や老舗団体の一つに数えられるIWAジャパン(浅野起州社長)は、1994年の旗揚げ以来、常に団体存続の危機にさらされてきた。

 これは96(平成8)年10月24日、愛知・東海市民体育館大会の全試合終了後、団体存続を訴える選手、ファンらが「IWAジャパン、フォーエバー!」と叫ぶ姿を目の当たりにし、浅野起州オーナー(当時)が、そっと涙をぬぐいつつ漏らしたひと言だ。

涙ながらに選手に解散を告げる浅野オーナー(左)。若い….

 当時の浅野社長はオーナー。あくまで裏方として会場設営などの仕事に精を出していた。ついに10月26日の新潟・亀田町大会をもって長期休養に入ることとなり、会場はおセンチムードに…。

 全試合終了後、浅野オーナー自ら、日本人選手たちにフロント総辞職の意向を伝えたところ、リング上ではトミー・リッチ、レザー・フェースら外国人選手が約80人ものIWAフリークをリング内に招き入れ、IWAの存続を訴えたのだった。

 その後、IWAは山田圭介を社長に体制を立て直すことに。だが新体制で最も人気が爆発したのは、オカマ言葉を駆使して「新宿2丁目劇場」の主役となる浅野オーナー自身だった…。

 現在も、謎の未確認生物(UMA)ビッグフットの登場で話題を呼ぶIWAだが、エース選手のバラエティーでは、他団体の追随を許さない。

 旗揚げ時のエースは何と、今や全日本プロレスで「ダメ中年」の異名をほしいままにする荒谷信孝(現・望誉)。その後、金村キンタローや中牧昭二、テリー・ファンク、カクタス・ジャック、ダン・スバーン、山田圭介、冬木弘道、上田馬之助、ターザン後藤、タイガー・ジェット・シン、ゴージャス松野、チョコボール向井、河童小僧など数々の逸材がエース格としてIWAマットを経験している。

維新力(下)を踏みつけるビッグフット(08年10月、新宿フェイス)

※この連載は2008年4月から09年まで全44回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全22回でお届けする予定です。

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