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日本最大の埋蔵金!?太閤秀吉の黄金

 埋蔵金研究の第一人者・八重野充弘氏のコラムをnoteで復刻!の第4弾。徳川と武田には触れたので、今度は秀吉です。

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 天正長大判4億5千万両と金塊3万貫(112.5トン)が、現在の兵庫県猪名川町に残る多田銀銅山の坑道内に隠されている…。それが事実なら、金の地金としての価値だけでも約250兆円。天正長大判は1枚5千万円もするから、それで計算すれば天文学的な金額となる。

天正長大判

天正長大判

 この伝説が世に知られるきっかけとなったのは、太平洋戦争直後に、三重と大阪の旧家からほぼ同時に出てきた、内容もまったく同じ2つの文書。豊臣氏の政権下で勘定奉行を務めた幡野三郎光照が書き残したもので、1598年夏、死の床についた秀吉が、幼い後継ぎの秀頼の将来を憂い、朝鮮出兵の軍用金の残りなどを隠させたというのだ。金額はともかくとして、あり得ない話ではないので、地位も資産もある人が食いつき発掘に乗り出した。

多田文書(複製)

多田文書(複製)

 特に有名なのは、1974年から40年近く現地に住み着いて調査を続けた鈴木盛司氏だ。落盤事故で重傷を負ったりしながらも、無心で探索を続ける様子は、たびたびマスコミに取り上げられ、埋蔵金マニアで鈴木氏の名前を知らない者はいなかったほど。1990年ごろには「いよいよ兆候が出てきました」と語っていたが、ついに悲願は達成できず、2012年2月に77歳で世を去った。

鈴木盛司氏

復元した古文書を広げる鈴木盛司氏(1990年撮影)

 その後、ある男性週刊誌の音頭取りで、新たな調査プロジェクトの立ち上げが計画されたものの、地元の反対で頓挫、トータル60年に及ぶ探索の歴史に終止符が打たれた。現在は観光ボランティアガイドの案内で、坑道の一部が見学できる程度だが、もともと歴史的価値の高い場所なので、町は史跡指定を国にはたらきかけている。

多田銀銅山旧坑道内鈴木

古い坑道内での調査


 やえの・みつひろ 山に、海に、眠れる財宝を探して47年!のトレジャーハンター、作家。日本トレジャーハンティング・クラブ代表。1974年、熊本県天草下島での財宝探しを開始。以後、日本各地の埋蔵金伝説を求めて全国30数か所を歩き、これまで実際に発掘を行った場所も10か所以上にのぼる。財宝探しや埋蔵金に関する著書多数。公式HPでは徳川埋蔵金を題材にした小説「リカバリー」も公開されている。


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