見出し画像

1980年の東スポもやっぱり〝飛ばし〟ていた…ロックと不道徳を考える

 この夏、慶応高校が甲子園を優勝したことでにわかに〝丸刈り論争〟が沸き起こりました。「水を飲むな!」は当たり前、体罰も横行していた昭和の部活動は今考えるとかなりクレイジーなんですが、「クレイジーが輝く(ように見えた)時代だった」と仮定して考えてみると、良いか悪いかだけではないものが見えてくるのではないか。そんな思いで「不道徳」について考えてみます。

クレイジーの中に宿る魅力

 マリリン・マンソンというロックミュージシャン(バンド名も自身の名を冠したマリリン・マンソン)がいます。もしかしたら見た目だけで気分を害する人もいるかもしれませんが、1998年に3rdアルバム「メカニカル・アニマルズ」を発売。その中にある「ロック・イズ・デッド(Rock Is Dead)」という曲で文字通り〝ロックの死〟を宣言しました(※ただし、めちゃくちゃ激しいギターサウンドでロックな曲なので世間に対するアンチテーゼと解釈することも可能)。マンソンはステージ上で嘔吐したりぶっ倒れたり豚の血をまき散らしたり過激なパフォーマンスを連発し、大人たちから顰蹙ひんしゅくを買いました。

 しかし当時、私は中学生。当たり障りのないことしか言わない大人たちよりもマンソンのようなロックスターに魅了されました(笑)。夜の国道6号線(=茨城県民はロッコクと呼ぶ)ではまだ大勢の暴走族が爆音を轟かせながら走っていた時代。一部の若者たちは過剰性にあこがれていたのかもしれません。私は貪るように、ロックについて書かれた音楽雑誌を読み、過去の名盤を聞き漁りました。いつの間にか、チ○コにソックスで演奏するレッチリ(Red Hot Chili Peppers)の虜になりました。

 見てください、このMV。「サック・マイ・キス(SUCK MY KISS)」というタイトルも意味不明ですが何かエロいこと言ってる感じは伝わってきます(笑)。やたらと裸になりたがるバンドを学校の先生や親が見たら苦い顔しそうですよね…。しかし、レッチリは色物ではなくロック史に名を残すモンスターバンドなのです。

赤裸々に語る欧米のロックスター

 さて、いつものように本屋さんをふらついていると『不道徳ロック講座』(神舘和典著、新潮新書)という本を見つけました。昨今は芸能人の不倫が騒がれるたびに「個人のプライベートをさらすな!」派と「なにがなんでも不倫は許せない!」派の終わりなき論争がコメント欄で繰り広げられますが、帯にあるように「不倫で自粛なんかするわけないだろ!」とまで言われるとすがすがしさを感じます。著者の神舘さんも「はじめに」でこんなことを言っています。

 国や地域によってアーティストという存在の位置付けが異なるのだろう。
 どんな分野でも、成功したアーティストは突出した才能を持っている。しかし同時に備わっている才能と同じかそれ以上に、社会的に欠けているところも見える。欠けているというよりも、その他大勢の人との〝違い〟といったほうが正しいかもしれない。でも、その違いにこそ魅力がある――こんな考えが欧米ではある程度共有されているのではないか。

神舘和典『不道徳ロック講座』(新潮新書、2023年、4~5p)

 実際に本書を読むと、想像の斜め上のエピソードばかりでした。仲間の妻や恋人を寝取る。メンバー全員でファンを〝共有〟する。薬物と酒に溺れる…。眉をひそめる人もいるかもしれません。でも、そんなロックスターたちのヤバさ、自分には到底できないような暴れっぷりにワクワクする人もいるのだと思います。私は後者です。

ロックスターの自伝を読みたい

 個人的に気になったのは1972年、エマーソン・レイク・アンド・パーマー(EL&P)が初来日し後楽園球場で3万5000人のファンを集めてコンサートをした後のエピソード。キース・ムーンは奥さんを連れてきているにもかかわらず「ソニーの工場でミーティング」だと嘘をついてまでソープランドに出かけ、その体験を自伝にかっこよく書いているのです。KISSのポール・スタンレーも1977年に初来日した際のソープランドでサービスしてもらったことを自伝に綴っているそうで、スターたちの好奇心に驚かされます(笑)。

1980年、ポール・マッカトニー逮捕を東スポはどう報じた?

 当時の東スポはロックスターの来日をどのように報じたんだろうか? ふと気になって縮刷版を引っ張り出して調べてみましたが、EL&PやKISSの初来日はまったく触れていません。洋楽より演歌の記事のほうが多かったんですね。

 やっと見つけたのが、1980年1月にウイングスのジャパンツアーで来日したポール・マッカートニーが大麻を所持しているのを発見された事件です。せっかくなので引用してみましょう。

 ビートルズ神話はついに崩壊した。昨16日午後3時に、日本公演のため来日したポール・マッカトニー&ウイングスはポール・マッカトニーが220グラムの大麻を所持していたため現行犯で逮捕、厚生省関東甲信越麻薬取締事務所に身柄を移され、麻薬取締法違反、関税法違反にとわれたために、公演中止を決定した。このため昭和41年6月のビートルズ日本公演以来14年ぶりに実現するハズであったビートルズの〝生き残り〟ポールの公演はすべてキャンセル、公演は幻に終わったばかりではなく、せっかくのポールの来日も水泡に帰してしまった。

1980年1月18日付、東京スポーツ紙面

 割とストレートに事件の概要を伝えている記事だと思ったのですが、記事本文の後半に東スポらしさがありました(苦笑)。

 いずれにせよ招へい元のウドー音楽事務所は、これでプロモーターとしてのプライドは消滅し、これまで築いた栄光が地にまみれたといえる。また、ポール側も、わざわざ日本にまで出向いて楽しい日々を送ろうと思ったのに細かいことに〝ウルサイ国〟と自己本位に決めつけることは必至だろう。しかも「もう金はいらない」というほど収入はありあまるほどあるポールだけに、ニガい思い出の残った日本の土は二度と踏まないといえる。
 そうなれば、当然のごとく今後ビートルズで唯一の現役アーチストであるポールの日本公演はまずないといわねばならない。ビートルズ神話はここに終えんを迎えたといえる。

1980年1月18日付、東京スポーツ紙面

 めちゃくちゃ厳しい論調で糾弾し、ポールは二度と来ないと断言しちゃっていますが、その後はみなさんご存じの通り。

  • 1990年3月5、7、9、11、13日(東京ドーム)※ビートルズ来日公演以来24年ぶり

  • 1993年11月12、14、15日(東京ドーム)、18、19日(福岡ドーム)

  • 2002年11月11、13、14日(東京ドーム)、17、18(大阪ドーム)

  • 2013年11月12日(大阪ドーム)、15日(福岡ドーム)、18、19、21日(東京ドーム)

  • 2015年4月21日(大阪ドーム)、23、25、27日(東京ドーム)、28日(日本武道館)

  • 2017年4月25日(日本武道館)、27、29、30日(東京ドーム)

  • 2018年10月31日、11月1日(東京ドーム)、5日(両国国技館)、8日(名古屋ドーム)

 7回も来日してライブをしてくれました!1980年の東スポもしっかり華麗に〝飛ばし〟ていました(笑)。ポールは留置所でみそ汁に舌鼓を打っているとかほかにも面白い記述があったのですが、突っ込むと長くなるので今回は割愛します。

2017年に来日したポール(右)と妻・ナンシーさん(羽田空港、カメラ=内田忠宏)

不道徳から咲いた花

 ロックンロールから生まれたロックが自立したのは1960年代半ばと言われています。若者が大人に抵抗するのは世の常ですが、1960年代にベトナム戦争をはじめ、人種差別問題などより顕著に大人たちの社会への反抗が強まると同時にロックが花開いたとも言えるでしょう。
 花に水をやって育てた人の中にちょっと変わった人とか不道徳な人がいたけど、花はキレイだよね~。私はそんなふうに思っています。それでは聞いてください、TravisでFlowers In The Window♪(東スポnote編集長・森中航)


この記事が参加している募集

読書感想文

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!

カッパと記念写真を撮りませんか?1面風フォトフレームもあるよ