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ビール党のデストロイヤーの〝お墨付き〟【プロレス語録#4】

「魔王」と聞けば、どうしても芋焼酎を思い出してしまうが、こちらの“魔王”は初来日からわずか2年で「世界で3本の指に入る」と言われていたミルウォーキー(米国ウィスコンシン州)産ビールよりも、日本産の味が上であると断言。国産のビール会社が耳にしたら、涙を流して喜びそうなセリフだ。

 この時点でも、魔王の正体は一切不明とされていたが、ビール談議に交じって「祖父のリヒカルトはビールの本場・ドイツはミュンヘン近郊のローゼンハイム出身だ」と証言。白覆面の中身がドイツ系米国人であることを明かしつつ「祖父のビール好きまで受け継いでしまった…」と語る。

ホテルで東スポを読むデストロイヤー。日本人よりも日本人らしいレスラーだった

 この来日では6月3日の札幌大会で弟分のライオンとタッグを結成し、豊登&ジャイアント馬場組のアジアタッグ王座に挑戦。当日午後、千歳空港に降り立った魔王は、まずは空港売店で大ジョッキでゴクリ。北海道大学の大学祭を見学して会場入りする余裕を見せつつ、見事に王座奪取に成功している。

アジアタッグ王座を奪取したデストロイヤーとライオン(65年6月、札幌)

「ビールなら、いくら飲んでも健康を損ねることはない。非常にカロリーの高い飲み物だし、オレのエネルギー源。オレはビールを10本飲んでも20本飲んでもトレーニングできる。アルコール分は皆、汗にして発散させてしまう。絶対に体に影響はない。だからオレはビール党なんだ」と熱弁を振るう。後に魔王が日本に定着して活躍したのも、大好きな日本産ビールの存在が大きかった?


 今から四半世紀前の昭和58(1983)年5月。プロレス界は第1回IWGP開催で盛り上がっていた。

 アントニオ猪木、アンドレ・ザ・ジャイアント、ハルク・ホーガン、キラー・カーン、そして凱旋帰国参加した前田明(現・日明)ら参加選手の激闘が連日、報道される中、もう1つの話題となっていたのが、国際軍団のラッシャー木村とアニマル浜口の仲間割れ騒動だった。

 5月16日、浜口は革命軍を率いる長州力とともに三重・津大会を無断欠場。翌17日にいったん東京・浅草の自宅に戻ったものの「プロレスを愛するがゆえにとった行動だ。何にも心配しないでくれ、2~3日留守にするからな…」と初枝夫人に言い残し、カバン一つで行方不明となってしまったのだ。

 相次ぐ、ファン、マスコミ各社からの問い合わせ電話に困り果て、ノイローゼ気味となってしまった初枝夫人は、ついにマスコミを通じて、夫に「出てきてください」と呼びかける強硬手段に打って出た。「尋ね人」だ。

来社して胸の内を訴える初枝さん

 20日午後、東京・築地にあった東京スポーツ本社を訪れ、和喜多正明取締役編集局長(当時)と面会した初枝夫人はこの言葉の後「ぜひ家に戻って理由を聞かせてほしい。そのことを東スポさんを通じてウチの人に呼びかけてほしい」と続け、苦しい胸の内を訴えた。

 この時、浜口家長女の京子さんはまだ5歳!「真の世界王者を決める」とうたわれたIWGPの最中に失踪事件を起こした浜口だが、愛娘が後にレスリングで「真の世界王者」に君臨するとは、夢にも思っていなかっただろう。

〝真の世界王者〟京子さん7歳の七五三。左は弟の剛史君(84年11月、浅草寺)

※この連載は2008年4月から09年まで全44回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全22回でお届けする予定です。

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