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クローザーなのに最優秀防御率賞に輝いた男【野球バカとハサミは使いよう#25】

先発転向した途端に右ヒジ故障した赤堀元之

 日本球界を代表するクローザーといえば、近年では左の岩瀬仁紀、右の藤川球児が2大巨頭だろう。少し時代をさかのぼれば、大魔神こと佐々木主浩、ヤクルト黄金時代の守護神・高津臣吾の名前が挙がるはずだ。

 そんな中、通算セーブ数ではトップ10にも入らないものの、僕の印象に強く残っているクローザーがいる。それは1990年代の近鉄で活躍した赤堀元之だ。

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 赤堀は88年ドラフト4位で近鉄入りすると、早くからリリーフとして活躍。そして4年目の92年にはクローザーに抜てきされ、11勝4敗22セーブで最優秀救援投手のタイトルを獲得した。

 また、当時のクローザーは現在と違って1回限定などの縛りがなく、登板のたびに2~3回投げることも多かった。92年の赤堀もそんなロングリリーフに平気で対応していたため、クローザーでありながら規定投球回数に到達。その結果、最優秀防御率賞(1・80)にまで輝いた。

 さらに赤堀は以降も94年まで3年連続で最優秀救援投手賞のタイトルを獲得し、96年と97年の2年連続も含めると、90年代に計5回も同賞に輝いた。これは前述した佐々木と岩瀬に並ぶプロ野球最多記録である。

横浜の佐々木主浩(右)とともにファイアマン賞を受賞した赤堀(1992年11月)

 普通、クローザーとしてここまでの成果を挙げたなら、生涯クローザーを貫きそうなものだが、赤堀の場合はそうではなかった。彼は内心ずっと先発投手に転向したがっていたのだ。

 そして98年、そんな赤堀にチャンスが訪れる。近鉄に若きクローザー・大塚晶文が台頭してきたため、赤堀はシーズン後半に先発に挑戦。すると、いきなり完封勝利を挙げ、あらためて能力の高さを証明した。

近鉄の赤堀元之

 しかし、計算外だったのはここからだ。その翌年から赤堀は本格的に先発ローテ入りを果たしたのだが、そこでまさかの故障。クローザー時代はタフだったにもかかわらず、登板間隔という意味では負担の少ない先発になった途端、右肘靱帯断裂という故障を負ったのだ。

 こういうことは他の仕事でも十分起こり得る。例えばサラリーマンの世界においても、ある職種で成功を収めたからといって、他の職種でも同じ成功をつかめるとは限らない。他の仕事がいくら楽に見えたとしても、慣れないことはしないほうがいい。

 極論、童話「アリとキリギリス」だってそうだ。アリのように地道に働かないキリギリスにばかり目を向けがちだが、アリだってキリギリスのような遊び人にはなれないはずだ。人間には向き不向きがあるのだ。

モスビーを復活させた家族愛

 仕事を充実させるためには本人の能力はもちろんだが、それを最大限に発揮するための条件を整えることも重要だ。中でも不可欠な条件は心身の健康である。ここに不安があると、良い仕事などできるわけがない。

 それはプロ野球にも言えることで、たとえば1992年のシーズン途中に巨人に入団した元メジャーリーガー、ロイド・モスビーの例が思い出される。モスビーはメジャー時代、打力もさることながら、俊足を生かした外野守備の名手としても知られており、おおいに期待された。

最下位に低迷していた巨人を浮上させたモスビー(1992年、東京ドーム)

 実際、モスビーの実力は本物だった。日本球界のデビュー戦でいきなり本塁打を放ち、センターの守備では評判通りの好守を披露。さらに、その後も左打席から快打を連発したモスビーは、それまで最下位に低迷していた巨人を浮上させる原動力となり、当時のマスコミはその一連を“モスビー効果”と呼んだ。

 しかし、そんなモスビーの打棒も、デビューして2か月ほどが経過すると、少しずつ陰りが見え始めた。当初、その不振の原因がはっきりせず、首脳陣は困惑したという。どこかケガでもしたのか、それとも他球団に研究されてきたのか。ことによっては大きな問題である。

 そんな中、モスビーにほんの小さな転機が訪れる。それまで母国・アメリカに残していた家族がようやく諸々の手続きを終え、晴れて来日してきたのだ。

 すると不思議なことに、モスビーの打棒は水を得た魚のように復活。日本で最愛の家族との暮らしが整うと、再び輝きを取り戻したのである。

 要するに、周囲がおおいに心配したモスビーの不振の原因とは、いわゆるホームシックだったのだ。生活環境に不安があったため、やがて精神の健康にも不備が生じ、それが肉体と技術をむしばんだのだろう。

 結局、92年のモスビーは途中入団ながら、96試合の出場で打率3割6厘、25本塁打、71打点の大活躍。その陰の功労者は、間違いなく彼を支えた家族だった。

 このように愛する家族の支えがあるということ、すなわち生活環境を健全に保つということは、人間が満足な仕事をするうえで必要不可欠な条件だ。そのためには、既婚者ならこれまで以上に家族を大切にして家の中の居心地を良くすること、独身者ならまずはすてきな伴侶を見つけて家庭づくりの第一歩を踏み出すことが重要になってくる。

 したがって、単身赴任はリスキーだ。仕事うんぬんの前に生活環境を整えることが先決だろう。

巨人のロイド・モスビー

山田隆道(やまだ・たかみち) 1976年大阪府生まれ。京都芸術大学文芸表現学科准教授。作家、エッセイストとして活躍するほか大のプロ野球ファンとして多数のプロ野球メディアにも出演・寄稿している。

※この連載は2012年4月から2013年9年まで全67回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全33回でお届けする予定です。

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