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外見から入るギャップ戦略も大事【野球バカとハサミは使いよう#33】

威圧感たっぷりの大柄なヒゲ男は技巧派

 現在、千葉ロッテの投手コーチを務める齊藤明雄(2009年まで斉藤明夫)は、身長184センチという立派な体格に加え、日焼けした浅黒い肌と豊かな口ヒゲが特徴的な、少々いかつい風貌で知られる男だ。通称・ヒゲの齊藤である。

 現役時代は、1970~90年代にかけて大洋(のちの横浜)の先発やクローザーとして活躍した名投手で、当時としては史上3人目となる100勝100セーブを達成。さらに新人王(77年)や最優秀防御率賞(82年)、最優秀救援投手賞(83、86年)などのタイトルも獲得するなど、80年代大洋の看板選手の一人として人気を博した。

大洋の斉藤明夫

 その人気の秘密は、実力もさることながら、やはり彼独特の風貌だろう。入団当初こそ平凡だったが、3年目くらいから現在のトレードマークである口ヒゲを蓄え始め、それに生来の顔立ちと立派な体格が絶妙にマッチしたため、一気にコワモテ男というイメージになった。

 そして、6年目からはクローザーに完全転向すると、そのコワモテイメージにますます拍車がかかった。なにしろクローザーは先発と違って、試合の終盤やチームがピンチのときに、まるで救世主のようにグラウンドに勇躍登場する存在である。だからこそ、その風貌からは優しさよりも怖さや迫力がにじみ出ているほうが良いだろう。齊藤のヒゲ面は逆転をもくろむ相手チームの士気を容赦なく抑えつけることに適していたのだ。

 しかも、この齊藤が面白いのは、球界屈指のコワモテ男ながら、そのピッチングは豪快な本格派スタイルではなく、絶妙なコントロールと縦に大きく割れる80キロ台の超スローカーブを武器とする、技巧派スタイルだったことだ。

 マウンドに堂々君臨する威圧感たっぷりの大柄なヒゲ男が、いざボールを投げると、威圧感など皆無の巧みな投球術を披露するとは、かなり拍子抜けである。当時の強打者たちは、そんな齊藤のギャップに幻惑されたのか、とにかく凡打の山を築いたのだ。

新日本プロレスの「闘魂三銃士」武藤敬司、橋本真也(左から)、蝶野正洋(右)、そして越中詩郎(右から2人目)と写真に納まる斉藤(1986年11月、横浜中華街の「天外天」)

 こういったギャップ作戦はサラリーマンにも非常に参考になるだろう。自分の外見とギャップのある実力を今さら身につけることは難しいかもしれないが、その実力と正反対の外見にイメチェンすることは簡単である。

 たとえば自分が高学歴の知性派男なら、あえて悪そうな風貌にイメチェンしたり、学はないが体力と情熱が売りの男であるなら、あえて外見を知性的にしたりする。そうすることで、上司やクライアントにギャップの魅力を打ち出すことも、処世術のひとつだ。

あえて後退することで大きな飛躍を狙う

 一般的にサラリーマンの多くは、自身の昇進と給料の増額を目指すものだろう。これはプロ野球選手も同じことで、彼らもまた二軍から一軍、一軍の補欠からレギュラーへと昇進することを目指し、それにつれて年俸アップを求めるものである。

 そういう意味では、ルーキーイヤーの中日・田尾安志は異例の存在であった。田尾といえば1970~80年代の球界を代表する安打製造機で、イチローが少年時代に憧れた選手としても知られている。全盛期は主に中日のトップバッターとして活躍し、81~84年まで4年連続で打率3割以上、そのうち82~84年は3年連続でセ・リーグ最多安打を記録。後年、中日から西武、そして阪神へと渡り歩き、現役16年間で通算1560本の安打を放った。

中日の田尾安志

 そんな田尾のルーキーイヤーは76年だ。前年秋のドラフトで同志社大学から中日に1位指名された田尾は、1年目からレギュラー、さらに打率3割を狙っていたのだが、当時の与那嶺要監督は「まずは二軍でじっくり育てるか、または一軍の代打要員」と考えていたという。

 これに発奮した田尾は必死で練習を重ね、がむしゃらに開幕一軍、さらにレギュラーへの昇進を目指した。そして、そのかいあって開幕一軍の座をつかんだものの、ここで挫折を味わってしまう。開幕早々、一軍の打席に立った田尾はプロの投手の壁にぶちあたり、なかなか安打が出なかったのだ。

 そこで田尾は、本来なら必死に“昇進”を目指すことが当たり前のルーキーという立場ながら、首脳陣にあえて二軍“降格”を直訴。数か月間、二軍でみっちり練習した後、再び一軍に戻るという、巧みな計画を立てたのである。

 しかも、これを見事に成功させたのだから、実にしたたかなルーキーだ。夏ごろに一軍に復帰した田尾は、その後は大活躍し、同年の新人王に輝いた。いったん二軍に降格したことが、結果的に大きな昇進につながったということだ。

中日リーグ優勝でビールかけを楽しむ田尾と黒江透修コーチ(1982年10月、横浜スタジアム)

 これは人間の成長を語る上で、サラリーマンにも参考になる極意である。普通の人間であれば、なにがなんでも昇進しようと、がむしゃらに頑張ることが正義だと思いがちだが、時にはいったん後退することで自分に欠けているものをじっくり磨き、それが大きな飛躍につながる場合もある。いわゆる「急がば回れ」ということだ。世の中には、あえて後退することで生まれる加速もある。これぞ名付けて“チョロQの真理”である。

山田隆道(やまだ・たかみち) 1976年大阪府生まれ。京都芸術大学文芸表現学科准教授。作家、エッセイストとして活躍するほか大のプロ野球ファンとして多数のプロ野球メディアにも出演・寄稿している。

※この連載は2012年4月から2013年9年まで全67回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全34回でお届けする予定です。

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