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社員寮は絶大な効果を発揮する!【野球バカとハサミは使いよう#17】

球団に勧告されるまで寮に住み続けた野口茂樹

 人間とは基本的に自分に甘い生き物である。だからこそ、仕事で成功するためには自己管理が重要になってくる。

 プロ野球選手もそうだ。例えば、かつて中日などで活躍した左腕投手・野口茂樹。彼もまた自己管理によって、選手生命を左右された一人だ。

 野口は愛媛県の丹原高校から1992年に中日入りすると、4年目から一軍に定着し、6年目の98年には14勝を挙げ、最優秀防御率のタイトルを獲得した。高卒であることを考えると、順調なプロ人生だと言えるだろう。

中日の野口茂樹

 そんな野口が少し変わっていたのは、その生活面である。野口は一軍のエース格となって以降も、なぜか中日の若手選手寮で生活を続けたのだ。

 一般的に選手寮とは、まだ半人前の若手選手の生活を球団が管理するための施設だ。だから寮生の大半は自由を求め、一刻も早く退寮したいと願う。

 しかし、野口は99年に19勝を挙げる活躍で中日のリーグ優勝に貢献し、シーズンMVPに輝いたにもかかわらず、なおも寮生活を続行。2001年にも最多奪三振と最優秀防御率のタイトルを獲得したが、それでも退寮しなかった。ちなみに、当時の野口の年俸は1億4000万円(推定)である。

 結局、野口は02年のシーズン終了後、球団の勧告により、11年目でようやく退寮することになった。若手ばかりの寮に、エース格のベテランがいるのはおかしいという当然の判断だ。

現在の中日合宿所「昇竜館」

 これにより、当時独身だった野口は一人暮らしを余儀なくされた。すると、不思議なもので成績が一気に下降。その後、巨人、独立リーグと移籍したものの、鳴かず飛ばずに終わり、11年限りで引退を発表した。

 一般的に野口が不振に陥った原因は左肘の故障だとされているが、それに加えて不慣れな一人暮らしも関係しているのではないかと思う。少なくとも、退寮によって自己管理が難しくなったことは間違いない。

 そして逆に考えれば、こういった寮生活は人間にとって最高の自己管理術だと言える。サラリーマンの世界でも、仕事を充実させるためには生活を律する必要があり、その意味でも一部の企業で見られるような社員寮は絶大な効果を発揮する。

 勤めている会社に寮がないからと言って、簡単に諦めてはいけない。可能な限り実家暮らしを続けたり、早めに良妻を得たり、とにかく他者に自己管理を委ねることで同じ効果を期待できる。自己管理とは環境作りから始まっているのだ。

巨人入団会見で原辰徳監督(左)と握手する野口(05年11月、ホテルニューオータニ)

教えてもらうのではなく「教えを乞う」

 一流の野球選手には一流の指導者が付き物である。たとえば阪神や阪急などの複数球団で打撃コーチを歴任した故青田昇氏は、卓越した理論で数々の大打者を育て上げた名伯楽だった。

 そんな青田コーチの最高傑作の一人といえば、1970年代の阪急黄金時代をけん引した4番打者であり、ミスターブレーブスとたたえられた長池徳士だろう。長池はアマチュア時代は決して長距離砲ではなかったが、66年に阪急入団後、当時の打撃コーチであった青田に徹底的に鍛えられたことで、後天的に球界を代表する長距離砲となった。71~73年まで3年連続40本塁打以上を記録するなど、実働14年間で通算338本塁打。本塁打王3回、打点王2回など、数々の打撃タイトルにも輝いた。

阪急の長池徳士

 したがって、長池は青田のことを師と仰いでおり、今でも「自分の打撃は青田さんの作品」と述懐することが多い。実際、入団当初は内角を苦手としていた長池だが、青田の「ボールの内側にグリップを入れるようにして打て」という指導の結果、苦手克服を果たしたという。

 ところが、青田氏の見解はこれと大きく異なる。生前の青田氏は長池について、「自分がしつこく指導したのではなく、長池のほうが自分にしつこく食い下がってきた」と語っていたのだ。

 そもそも当時の青田氏は阪急の打撃コーチという立場だ。だから長池一人だけを指導するわけにはいかず、長池にアドバイスをしたら他の選手に移るようにしていたのだが、そこを長池に何度も呼び戻され、結果的に長池ばかりを指導することになったという。のちに「夜に用事があっても、長池が帰してくれなかった」と苦笑まじりに語っている。

 つまり、厳密には「青田が長池を指導した」という表現ではなく、「長池が青田の指導を請求した」という表現になる。細かいが、大きな違いである。

 そしてこの違いにこそ、サラリーマンにも通ずる「指導者との付き合い方」の極意が含まれている。自分の身近にいくら優秀な指導者がいたとしても、自分がその人とうまく付き合えなければ意味を成さない。著しい成長を遂げる人間とは、得てして上司(指導者)に積極的に指導を求めるものだ。

 また、一見さえない上司でも簡単に見切ったり否定したりせず、一度は指導を求めてみるといい。結果的に、それが最高の出会いになる可能性もある。指導とは受けるものではなく、自ら請うものなのだ。人間とは基本的に自分に甘い生き物である。だからこそ、仕事で成功するためには自己管理が重要になってくる。

青田コーチ(右)に師事した長池(68年、後楽園球場)

山田隆道(やまだ・たかみち) 1976年大阪府生まれ。京都芸術大学文芸表現学科准教授。作家、エッセイストとして活躍するほか大のプロ野球ファンとして多数のプロ野球メディアにも出演・寄稿している。

※この連載は2012年4月から2013年9年まで全67回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全33回でお届けする予定です。

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