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目からウロコの『サボる哲学』読んだらなんだか泣けてきた話

 例のごとく本屋をプラプラしていると、びっくりするようなタイトルの本が目に飛び込んできた。

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『サボる哲学 労働の未来から逃散せよ』(NHK出版新書)

「ネタ探してきま~す」と足取り軽く会社を飛び出して、本屋をプラプラしている私にぴったりの本じゃないか。帯にはこう書いてある。

我々はなぜ心身を消耗させながら、やりたくない仕事、クソどうでもいい仕事をし、生きるためのカネを稼ぐのか。社会からはいつでも正しい生き方や身の処し方を求められ、もっと頑張れ、努力しろの大号令。他人に点数をつけられて、逸脱すれば落伍者。「はたらかざるもの、食うべからず」。そんな世界はクソッタレだ!稀代のアナキスト文人が、資本主義下の屈折しきった労働倫理を解体し、そこから逃げ出す扉をひらく。

おお!めっちゃロックやないか。私の頭の中で久々にRATMが鳴り響く。空耳アワーの「ナゲット割って父ちゃん」でも有名な「Killing in the Name」だ。

歪んだギターが脳天を直撃し、私は今日の労働から逃亡することを決意する。よっしゃ、喫茶店でコーヒーを片手に優雅な読書タイムだ。Please a cup of coffee!

本書の著者、栗原康氏は予想通りロックな御仁であった。

わたしは現在、四十二歳。後厄だ。年収は200万ほど。定期的な収入は週一日の大学非常勤講師。あとは部屋でテレビを見たり、好きなだけ本を読んで、好きなだけ文章を書いている。安心ひきこもりライフだ。座右の銘は「はたからないで、たらふく食べたい」。はたらきたくない。(『サボる哲学 労働の未来から逃散せよ』、3ページ)

 わかる、わかるぞ。かつての私がそうだった。全然働きたくなくて、就職活動をしないまま大学(哲学科)を卒業。とりあえず大学院にでも行くかと思って受験したら落ちた。人生甘くない。無職になった。職務質問が長くなった。とりあえず実家に戻ってご飯は食べられた。しかし、安心ひきこもりライフにはならなかった。親と友達の視線がもたらす鈍い痛みをごまかしつつ東スポで競馬予想をしているとき、社員募集の告知が目に飛び込んできて、「これだ!」とスーツ姿に変身。以来東スポで働いている。ビバ労働!

 ちょっと待てよ…。ひょっとして、ひょっとしたら、はたらかないでも食べられたのか!? ページをめくる手が早くなる。「アナキスト」とか「アナキズム」と聞くと過激なイメージばかり思い浮かべてしまうが、栗原氏によると「アナキストがずっといらないと言ってきたのは奴隷制だ」という。もう奴隷なんていないじゃんと思ったら大間違いだそう。

奴隷制の問題は、なにも古代の話にかぎらない。わたしたちはいま現代の奴隷制というべき資本主義を生きている。とりわけ、賃労働の原型は奴隷労働だ。人間が人間を売り買いするのだ。(29ページ)
資本主義の問題はどこにあるのか。搾取ではない。それだとたとえ解決したとしても自分をまっとうな商品として、まっとうな奴隷として認めてくれといっているようなものだ。問題はどこにあるのか。収奪だ。奴隷制だ。戦争だ。こう言ってもいいだろうか。資本主義に反対するということは、奴隷制を廃絶するのと同じことだ。奴隷制に反対するということは、戦争を廃絶するのと同じことだ。戦争に反対するということは、人間による人間の支配を廃絶するのとおなじことだ。やめないのなら、拳をつきあげてでもやめさせるしかない。ビバ、アボリショニズム!(105ページ)

 思わず喫茶店で拳を突き上げそうになって、ふと我に返る。

で、資本主義からどうやって逃げるのよ? 

 もちろんその可能性について本書はいくつか触れているのでぜひ実際にご覧いただきたい。栗原氏の「海賊王に俺はなる!」的な視点はスペクタクルだが、いつまでも「逃亡」を続けることなんてできやしないんじゃないかとさっきまでの興奮が萎んでいく。老後までに2000万円も貯められない。「麦とホップ」も嫌いじゃないけど「黒ラベル」が飲みたい。そして栗原氏はイケメンだ。

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いまや資本主義を生きるのは大前提だ。問われるのは、そのなかでの不平等。搾取だけだ。だから、その大前提を疑おうとすると嘲笑の的になる。おまえ、大人になれよ。言っていることはわかるけど、歴史的事実なのだからしかたがないと。世のなかの流れは変えられない。後ろをふりかえるな。前だけ見てろ。未来のことだけ考えて生きるのだと。しかし、その大人たちのせいで見過ごされてきたことがある。収奪は歴史ではない。現在進行形だということだ。言いかたを変えておこう。わたしたちの生はたえず資本主義をはみだしている。それが収奪されてしまうのだ。(282ページ)

威勢よく原稿を書き始めたのはいいが、私は栗原氏ほどハジけられない。クビになったら困る。会社がなくなったら困る。

人生は遊びである、震えである。テンテレツク、テレツクツ。祭囃子に誘われて、ふらふらのぞきにいってみれば、みんなが輪になり踊ってる。はしゃぎたいだけはしゃげ。叫びたいだけ叫べ。跳ねたいだけ跳ねろ。気づけば私も踊ってる。グルグルまわって、ピョンピョン跳ねる。きもちいい。我を忘れて踊ってしまう。明日のことなど知ったことか。このまま一日踊ってしまえ。(280ページ)

 東スポで働き始めて13年目。「労働」という名の「レール」には乗れたのかもしれないが、すっかり〝大人〟になっちまった。全然ロックなんかじゃない平凡な人生。おとなしく家に帰って長渕剛を聞くしかない。曲はもちろん、「ろくなもんじゃねぇ」。(デジタル・事業室 森中 航)

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