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愛されるより愛したい?Majiで!!(上田先生と私)

3月13日に東スポnoteに投稿した上田紀行教授の東工大・最終講義ダイジェストは思いのほか、多くの人にご覧いただくことができました。「なぜ東スポが?」といった反応も多数いただきましたが、みなさんの期待を良い意味で裏切ることもまた東スポの使命なのではないか…。なんてことを私は考えました。

そこで今回は私が上田先生に取材をお願いして書いた過去記事を掘り起こして紹介します。ひとつは「人生を複線化しよう」というお話(2015年6月4日付紙面)、もうひとつは「愛の性格について」(2019年7月17日付紙面)です。もしかしたら、どちらも〝東スポらしくない〟と思われるかもしれません。でも、当時の私が好き勝手に書いたものではなく、ちゃんとサラリーマン面と呼ばれたオジサン向けページの企画会議も、上司であるデスクの目も通ったものです。東スポの多様性(?)を感じていただければ幸甚です。(東スポnote編集長・森中航)


「逃げ場」を持つと単線だった人生が複線化する

あなたは定年退職後の人生を想像したことがありますか?「日々のつらい仕事から逃れられるだけでラッキーだ」などと安易に考えてはいけません。何も準備せずに定年を迎えたら、そこは何もない世界――。

当時の紙面、イラストがなんかカワイイ

40代会社員の井上さん(仮名)は毎朝7時に家を出て職場に向かい、午後11時過ぎに帰宅する。「とにかく結果を出してくれ」と上司にプレッシャーを掛けられるたびに胃がチクリと痛み、「仕事はそこそこでプライベートを楽しみたいです」とドライな若手社員に接すると思わずため息が漏れる。

「そりゃ会社に行くのがつらいなと思うことはありますよ。でも、つらいのは私だけじゃないでしょう。この年齢じゃ転職だって難しい。結局、定年するまでこの生活からは逃げられないんです…」

 この国のサラリーマンには「逃げることは敗北だ」という価値観が染み付いている。だから、雨が降ろうが、やりが降ろうが通勤ラッシュにもまれて出勤する。

「ずっと逃げてしまうか、一時的に退避するかはともかくとして、逃げ場を確保することはとても大切です。逃げ場を持つことで自身が重荷から解放され、いきいきと生活することができます」

 こう語るのは、「人生の<逃げ場>」(朝日新書)の著者で、東京工業大リベラルアーツセンターの上田紀行教授(57=紙面掲載当時)だ。

「生きづらさの大きな要因は、戦後の日本を支え、それなりにうまく機能していた会社単線社会が完全に行き詰まってしまったことです。成果主義の導入で会社にあった大家族的な共同体機能も消滅し、すべての責任を自分で背負いつつ、結果を残すことが求められるようになってしまいました。行き場のなさを自覚しつつも、そこから逃げられない男性はとても多い。だからこそ今から逃げ場を持つべきなのです」

逃げ場を持つことで、単線だった人生が複線になる。すると、仕事とは別の精神的な満足が得られるようになってくるという。例えば、会社では冴えない管理職だけど、草野球チームで名将と呼ばれるといった具合だ。極端な話、夜のホームラン王でもいいのだ。

長期休暇によって会社と自分を切り離す

 では、どのように逃げ場を見つけていけばいいのだろうか?

「サラリーマンでしたら有給休暇を使って、年に1回、2週間以上の休みを取りましょう。3~4日の連休だと、『仕事のために体を休める』になってしまいがちですが、2週間ほどの長期休暇となれば、何らかのテーマ性が必要になります。つまり、会社を切り離した自分が本当にしたいことは何なのかを考えるきっかけになるのです」

 とはいっても、自分が休んだら他人に迷惑が掛かってしまう。

「『俺がいないと職場は大パニックになる』と心配することはありません。大体の仕事は交換可能ですし、あなたが2週間いなくなることで、あなたにしかできない仕事が部下にも伝わるでしょう。『かわいい子には旅をさせよ』ということわざがありますが、部下ではなく自分のためにあるんです(笑い)。なぜなら、これは定年退職後の自分を先取りして体験することにもなるんですから」

会社一筋で働いているうちはバラ色の定年退職後をイメージしがちだが、現実は大きく異なる。

 3年前に大手企業を退職した梅島さん(仮名=64)は、埼玉県のマイホームで“何もない日々”を送っている。

「仕事がないので行く場所がないし、電車に乗ることもない。妻は口を利いてくれないので、話すこともない。かろうじて同居しているが、食事も作ってくれない。風呂はジムのシャワーで済ませている。やりたいこと? 特にないかな。人生のハイライトは会社の研究チームで、○○の特許を取得したときだね」

 まだまだ健康な60代でやりたいことがあればできるはず。それなのに、会社単線社会にからめ捕られてしまっているのはふびんでならない。

「定年退職して職がなくなるというのは、“別人になる”くらいのイベントです。幼稚園から続いていた行くべき場所(学校や会社)がまったくなくなるのですから。年を取った人が楽しくなさそうに生きている社会は嫌ですよね。外国に比べると、日本のおじいさんたちに表情がないのは、ある意味では『何もしなくても暮らせる』という安定であり、一方では『やるべきことがない』なのかもしれません」(上田教授)

交換不可能な自分を取り戻す

1984年、歌手の吉幾三が「俺ら東京さ行ぐだ」で、「テレビも無ェ、ラジオも無ェ、自動車(くるま)もそれほど走って無ェ」と“何もない”ことをネタにして歌ったが、物質的に満たされた社会での“何もない”はより悲劇的だ。

東スポに来社した吉幾三(1984年)

 それを防ぐためには、今ここにいる状況から逃げ場を作って、人生を複線化するしかない。

「私たちは本来、モノやお金とは違って交換不可能な存在なのに、今の社会では成績が悪ければ、すぐにほかの人間と取り換えられてしまうような交換可能な存在として扱われています。会社単線型の生き方から脱却して、人生を複線化することは、交換不可能な自己を取り戻すための闘いなんです。自分を変えてみたいならボランティアもいい。人助けしてあげるつもりでいますが、『ありがとう』とお礼を言われて一番ケアされているのは自分自身の心ですよ」


オジサンだって愛されたい…そのために

オジサンだってもっと愛されたい! それなのに誰も自分を愛してくれないし、愛された実感なんて遠い過去に霧消しちまった…。そんなやるせなさを抱えている人は「愛」のアップデートをしてみませんか? 話題の最新刊「愛する意味」(光文社新書)で共感を集めている上田紀行教授が、知られざる「愛」の“性格”について優しく教えてくれました。

当時の紙面、「愛」の字がデカすぎる…

結婚した当初はラブラブだったのに、子供が生まれてからは蚊帳の外。あるいは、好きな人にフラれ続けていまだ独身。男性の「50歳時未婚率」は23・37%(2015年)と40年以上前から上昇を続けており、愛のない暮らしに慣れてしまった男性は少なくない。

「日本人が幸せになれない一番の原因は、『愛すること』より『愛されること』を優先してしまっているところにあります。しかも、『愛されたい』『評価されたい』といった気持ちが強すぎると、それらは不安と恐れになり、余計にあなたを不自由にしてしまうのです」(上田教授)

 言われてみれば確かにそうだ。妻に愛されるためには妻の、部下に愛されるためには部下の、キャバ嬢に愛されるためにはキャバ嬢の…といった具合にそれぞれの条件に従っていたら息苦しいったらありゃしない。

 そのうち、クリスマスや誕生日にプレゼントを贈らなければならないと義務のように感じてしまい、我々の人生は“愛の奴隷”となってしまうのである。

 そうならないために、まずは「愛」とはどんなものなのか、その意外な性格を知っておく必要があるのだ。

「愛」の性格とは

①「愛」は減らない!
「『愛』はお金と違って、使えばなくなるものではありません。むしろ使えば使うほど湧き上がってくるものです」

②「愛」はためられない!
「『愛』とは物質ではなくエネルギーの流れなので、ためることはできません。流れの中に身を置く、まさに『諸行無常』の切なさを楽しむことが恋愛なのです」

③「愛」は2者間にとどまらない!
「『愛』は私とあなただけの関係にとどまりません。巡り合うことで、私とあなたのそれぞれが今までとは違う色や形の何かに変える力を持っています。また、祖父母や親から子供へと“垂直の関係”で伝わるものでもあります」

 いかがだろうか? みずから「愛すること」がもたらす効果は絶大なのだ。それにもかかわらず、「どうせ俺なんて…」と思い込んでしまうのは、きっと過去の失敗がトラウマになってしまっているからだろう。

「私は恋愛を大相撲にたとえるなら、星取表は2勝13敗くらいがちょうどいいと思っています。勝ち越す必要もないし、全勝なんてしてしまったら、誰を選んだらいいのか困ってしまうんじゃないでしょうか? さとり世代と呼ばれる若者の中には取組が1番しかないと思い込み、『人生は1勝0敗でいい』と思っている人も多いですが、負けたからこそ気付くこともありますよ」

愛は人生を着火させるもの

 だからといって、自己愛に陥りすぎてもいけないのが難しいところだ。

「既に私は愛されているんだという報恩感謝の心は大切ですが、『今の自分は素晴らしい』とか『これまでの自分に満足』というだけでは自己愛にとどまってしまいます。過去の栄光ではなく、今のあなたが今『愛すること』で『一回性』の人生を生きていて、人生がワクワクするものだという感触を得られるようになるのです」

 人生100年時代と言われる今、中高年にとっても「愛」の重要性はますます高まっている。

「みなさんは恋愛について諦めが良すぎる気がします。愛は人生を着火させるもの。まずは『この人が幸せであればいいな』と思う人を見つけてみましょう。茶飲み友達にドキドキを感じるのもいいですし、この本をお孫さんにプレゼントすることだって立派な『愛』です(笑い)。『愛』をプロデュースできる中高年が増えてほしいですね」

 性愛だけが全てではない。アートでもスポーツでも愛するものを共有する同志の間にだって「愛」は存在する。さぁ、恋せよ中高年!

2024年に読み直してみて

自分がかつて書いた記事をじっくり読み直すという機会はあまり多くありません。

「人生を複線化させよう」という記事を書いた8年くらい前は、私の父親が会社を定年退職したころで、上田先生に取材をしたときには、何をするでもなく日々ぼんやり過ごしている(ように見える)父の姿に家族が困惑している…なんて話をしました。

大手企業を定年退職した人のエピソードは飲み屋で取材もしましたが、多分に父が含まれていることは上田先生にすぐバレまして、掲載後に紙面をお送りすると、「とうとうお父さんを登場させちゃいましたね。この記事は見せるのかな?」とメールをいただきました(笑)。

まだまだ健康な60代でやりたいことがあればできるはず。それなのに、会社単線社会にからめ捕られてしまっているのはふびんでならない。

2015年6月4日付紙面から

この一節なんかはほぼ、父に向けて書いているような気もしますが、8年が過ぎ自分がリアルおじさんになった今、ブーメランのように私のもとへ返りつつあります。「複線化が大事だ」と偉そうなことを書いておきながら、特に何をするでもなく仕事だけして酒を飲み、結局は自分が会社単線社会にどっぷり浸かっているような気もします…。40代になる今年は〝逃げ場〟探しに取り組まないといけません。


「愛の性格」について教えてもらった5年前の記事は、上田先生の最終講義に出てきたエピソードと共通するところがあります。

「東工大入ったのは勝利なんで、一生無敗のまま終わりたいです」
「あなたね、相撲でも十五番あるんだから、それじゃ土俵に上がらないってことでしょ。土俵に上がれば投げ飛ばされることもあるし、突っ込んでいったらはたき込みで転ぶこともあるから、まずは土俵にあがって自分の相撲を取らなきゃ!」

「東京工業大学・上田紀行教授の最終講義をダイジェストでお届けしてみる。」から

そう、相撲のたとえです。最終講義では学生さんを相手に「人生」を相撲の十五番にたとえていらっしゃいましたが、私が上田先生にお話を聞いたときには「恋愛」を相撲の十五番にたとえてくださっていました。

上田先生がどれくらい相撲好きなのかは今度お会いしたときに聞いてみるとして、恋愛を大相撲にたとえたときに「2勝13敗くらいがちょうどいいと思っています」というのは結構、衝撃を受けました。

確かに上田先生のおっしゃるように、恋愛で全勝したら誰を選んでいいのかわからなくなって困る、というのはわかります。でも、なんとなく、せめて8勝7敗くらいで勝ち越しておきたいよな~って思いませんか? 私は当時そう思っていました。

それから5年が過ぎて、上田先生の「2勝13敗くらいがちょうどいい説」が少しわかったような気がしています。性愛だけじゃなく人を愛することはできるし、別に気づいてもらえなくたっていい。ただただ勝ち越しておきたいなんていうのは、本質を見誤った、つまらない見栄とかスケベ根性あるいは煩悩だったんじゃないかなぁと思うのです。

いったい私は何の話をしているのでしょうか…。よくわからなくなってきたので今回はここで筆を置きます(苦笑)。

おわりに

上田先生は4月1日から名古屋の東海学園大学で、特命副学長・卓越教授として勤務されることが決まったそうです。特命副学長って何なんでしょうね?「特命係長 只野仁」みたいに暴れまくるのか、そのうちお話を聞きに行かねばなりません。


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