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ジャズへの造詣の深さを語った〝破壊者〟【プロレス語録#9】

 ディック・ザ・ブルーザーとの“ブルクラコンビ”で一世を風靡したクラッシャー・リソワスキーが昭和44年の来日中に放った衝撃の一言。そのゴリラのような風貌とは裏腹に、破壊者はジャズへの造詣の深さを語る。

破壊者はビールもジャズも好きだった

 8月12日の札幌大会終了後、クラッシャーは相棒のブルーザーとすき焼き店で痛飲。その後はジャズバーへとなだれ込んだ。

 自宅に200枚以上ものジャズレコードを保有し“ジャズ狂”を自称するクラッシャーは「オレぐらいのジャズ狂になると、ジャズなんて言わない。今のファンキーなモダンジャズは、ビーバップ。略してバップと言うんだ」とウンチクを語り出す。

「ジャズを育てたのはオレの尊敬するアル・カポネ親分だ。ニューオーリンズの黒人バンドのジャズは最初、アンサンブル中心のマーチだった。その黒ん○たちをシカゴのシークレットバーへ連れてきて、使ってやって育てたんだ。オレのオヤジはその頃、ボクサー上がりで、そいつらの面倒を見た。ルイ・アームストロングもカポネのバーでトランペットを吹いていた。エディ・コットンもG・クルバーもベニー・グッドマンもアームストロングを聴いてジャズメンになった」

ブルクラコンビは馬場、猪木組を破りインタータッグ王座も強奪(69年8月、札幌)

 もはやジャズ狂と言うよりは、父親の代から続く、ジャズとの因縁を語る破壊者。得意としたメガトンパンチも、バップのリズムで打つのが秘訣なんだとか。

 アナウンサーのマイクを奪い取り、かじりついてしまうパフォーマンスでおなじみだったクラッシャーだが、地元・ミルウォーキーのバーでは、時にマイクを握り、ジャズシンガーに変身することもあったという。

 人は見かけによらないとは、このことだ。 



 力道山時代の1962(昭和37)年。たった一度だけ来日したゴリラ男・ゴリラ・マコニーが発したひと言である。

 一体何を見て、こんな言葉を吐いたのかというと、この年に公開された映画「キングコング対ゴジラ」(東宝)の試写会を訪れ、スクリーン上でゴジラと戦うキングコングの雄姿を見て、思わず「オオ!大先輩っ」と発してしまったようだ。

 猛暑が続く8月7日のオフ。マコニーは日本プロレスの押山宣伝部長に引率され、相棒の“海坊主”スカル・マーフィーとともに日比谷の東京宝塚劇場へ。8月11日から封切りされる「キングコング対ゴジラ」の試写会に出席した。

 日本語を理解しないにもかかわらず、マコニーとマーフィは東京、富士山ろく、熱海と次から次へと場所を変え、スクリーン狭しと暴れるゴジラとキングコングのバトルにご満悦。

力道山と戦ったマコニー。まさにゴリラ男だ…

 2人は日本産のゴジラではなく、米国産のキングコングに肩入れした様子で、マコニーがコングを先輩と呼べば、マーフィはコングがゴジラを殴るシーンに目を凝らし「空手チョップの研究さ」と言い放っていた。

 共通点の多いプロレスと怪獣映画だが、スクリーン内のゴジラとキングコングの死闘も、熱海城から転落し、舞台を海に移した後、プロレス流でいう「両者リングアウト」に終わっている。

 マコニーの来日は一度きりだったが、マーフィとのタッグで力道山、豊登組と戦う姿(8月24日、東京・リキパレス)が、この年に撮影されたテレビ映画「チャンピオン太」のオープニングで使用されており、現在もDVDなどでその雄姿を見ることができる。

マコニー(左)とスカル・マーフィ(62年8月、赤坂)

※この連載は2008年4月から09年まで全44回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全22回でお届けする予定です。

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