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永田裕志「情報化社会の中で、一人から話が入ってきても、情報にはならないんだよ」【豪傑列伝#12】

 永田裕志は業界きっての情報通として知られている。新日プロの重鎮・平田淳嗣いわく「あいつはBSでもCSでも何でもアンテナを持っていて、ついでにトランシーバー、盗聴器も持っている。そんなカンジだよ」。自らも発信する立場だからこそ情報に敏感でありたいと思っているのだろうが、単に噂話が好きなようにも見える…。

【永田の話】いつからって言われると困るけど、まあ割と若え時からそういうところはあったよ。昔から(噂が)好きだったからな。人脈はオレの宝物だよね。この情報化社会の中で、一人から話が入ってきても、情報にはならないんだよ。様々なところから聞いたことをだんだんとつなぎ合わせていく作業が大事なんだ。業界関係者、マスコミ、それにファン。プロレスを好きって人はワンサカいるからな。

情報通の永田はあちこちにアンテナを張り巡らせている

 そのアンテナは時として選手のプライベートにまで張り巡らせる。最近のビッグマッチでも、メーンの試合中に会場隅で若い女性と話し込んでいた某若手選手の姿をしっかりキャッチ。早速聞き込みを開始するなど、周囲に安息の時を与えない。もちろんリング上の情報にも人一倍敏感だ。米国武者修行中の1997年当時も、新日マットの情勢は欠かさずチェックしていた。

【永田の話】まだ今ほどインターネットが普及してねえ時代だったけどね。越中(詩郎)さんが後楽園でアキレス腱をやっちゃった時(97年6月22日)も、蝶野(正洋)さんから電話がかかってきた時にはもう知っててさ、蝶野さんがぶったまげてたんだ。良好な人間関係のたまものだよ。

情報収集のため(?)藤田和之を接待する永田(2001年6月、タイ)

 表だけでなく、裏事情に関しても独自のネットワークを持つ。団体間の交渉から移籍問題、関係者の悪事まで…。2002年、武藤敬司らの大量離脱時も、ありとあらゆる人脈を駆使し情報を集めた。関係者の会合の日時、場所まで知っていたというから恐るべしだ。

【永田の話】最初のキッカケは武藤さん。(01年大みそかに)ミルコ(クロコップ)に負けて、さいたまスーパーアリーナから帰る車の中で、心配してくれたみたいで電話があったんだ。その時にヒントっぽいことをポロッと漏らしてさ。それから妙にオレのところに情報が集まり始めて。例えば某フロントが某ホテルの某レストランで…って、どうせ書けねえ話じゃねえか、このヤロー! まあ、よくある暴露本なんかにオレがネタを売り始めたら、それこそ億万長者になれるよ。もちろんそんなことはしませんけどね、ヘッヘヘ。

 魑魅魍魎が存在するプロレス界は情報も玉石混交。「最近はオレもアンテナを分散させ過ぎちゃってたな。そろそろ本格的にまたアンテナを張り巡らせるよ」と豪語する永田は、今日もどこかでうわさ話に興じ、アンテナを張り巡らせている…。 

※この連載は2009年4月~2010年3月まで全33回で紙面掲載されました。東スポnoteでは当時よりも写真を増やしてお届けします。


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