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全9ポジションをたった1試合で経験した男【野球バカとハサミは使いよう#5】

器用貧乏は言い換えればユーティリティープレーヤー

 器用貧乏とは一般的に皮肉の意味で使われる言葉だ。なんでも器用にこなすものの、特に秀でた一芸はないため、あまり周囲から評価されない。どの会社にも一人はいるだろう。

 プロ野球界にもいる。走・攻・守すべてにおいて一定レベルに達しており、さらに複数のポジションをこなせる器用さはあるものの、特に目立った長所がないため、なかなかレギュラーに定着できない選手のことだ。

 しかし、球界はそういう器用貧乏な選手のことをユーティリティープレーヤーと呼ぶことで、その地位を少しずつ向上させてきた。近年では1990~2000年代にかけて活躍した故木村拓也さん(元広島、巨人など)や五十嵐章人(元ロッテなど)が、内外野すべてのポジションのほかに捕手としても試合出場を果たしたユーティリティープレーヤーの代表格だろう。特に五十嵐は00年に投手として登板し、全9ポジションでの試合出場を達成した。

 さらに球史をひもとくと、彼らをも凌駕する究極のユーティリティープレーヤーが実在した。64~82年まで、日本ハムなどで活躍した高橋博士である。

 高橋のすごいところは、全9ポジションをたった1試合で経験してしまったことだろう。

本塁に滑り込む阪急・加藤英司をブロックするロッテ・高橋博士(77年10月、西宮球場)

 時は74年9月26日、舞台は後楽園球場。日本ハムVS南海のダブルヘッダー第2戦での珍事だった。この試合、日本ハムの3番・一塁手としてスタメン出場した高橋は、その後1回ごとに捕手→三塁手→遊撃手→二塁手→レフト→センター→ライトとポジションを転々とし、最終9回にはついに投手としても登板。打者1人を見事にセンターフライに打ち取ったのだ。

 もちろん、これはファンサービスだった。観客数の不振を嘆く日本ハム球団とシーズン最下位が確定したことに責任を感じた中西太監督による合作のアイデア。それの証拠に、当時の新聞には中西監督の次のようなコメントが記載されている。

「高橋は万能選手だ。彼の器用さならどこでも任せられる。ファンも楽しめたんじゃないか」

日本ハムの高橋博士(74年)

 そうなのだ。一見マイナスイメージの器用貧乏でも高橋ぐらい徹底すれば、“万能”という言葉に生まれ変わって、上司からの高評価を得ることができる。仕事において、器用貧乏は決して悪ではない。万能型のユーティリティービジネスマンだと言い換え、それを上司に認知させると、たちまち個性になる。ものは言いよう、考えようなのだ。

ライバル心は一方通行でもいい

 ライバルを作ることは、己の能力を向上させる効果的な手段である。プロ野球界でも古くから長嶋茂雄と村山実、王貞治と江夏豊に代表される数々のライバル関係があり、それぞれが切磋琢磨の功を積むことで輝かしい偉業を成し遂げてきた。

 それは、主に1980年代の横浜大洋ホエールズでエースとして活躍した遠藤一彦にも言えることだ。しなやかなフォームから放たれるストレートと高速フォークを武器に、82~87年まで6年連続2桁勝利、中でも83年と84年は2年連続最多勝と最多奪三振を記録。そんな遠藤もまた、ライバルの存在を糧に成長した投手であったのだ。

 そのライバルとは、同じ時代に巨人のエースに君臨した昭和の怪物・江川卓である。遠藤は江川と同い年であり、大学時代から江川のことを強烈にライバル視していたという(※遠藤は東海大、江川は法政大なのでリーグ戦での対戦はなし)。

遠藤がライバル視していた江川卓のピッチング(87年、後楽園球場)

 当時の遠藤は様々なインタビューで「江川は初恋の人以上の存在」などと語り、そのライバル心を堂々と口にしていた。

 また86年に発売された遠藤の著書のタイトルもすごい。
「江川は小次郎、俺が武蔵だ」

 なんとまあ、熱い男だ。遠藤は恥ずかしくなかったのか。

 しかし本当にすごいのは、対する江川の反応である。江川はここまでアプローチされておきながら、自身の著書やインタビューの中で一度も遠藤のことを自分のライバルだと発言しておらず、打者のライバルとしてはミスタータイガース・掛布雅之、投手では同僚の西本聖の名前を挙げている。要するに、遠藤のライバル心は片思いでしかなかったのだ。

 これほど偏ったライバル関係もそうないだろう。当時の球界の華であった巨人・江川と阪神・掛布の名勝負の陰で、弱小球団・大洋から誰かが必死にほえているような、そんな悲しい構図が頭に浮かんでしまう。

 とはいえ、この一方的なライバル心が遠藤の成長につながったのは間違いない。遠藤は通算134勝であり、135勝の江川には1勝及ばなかったものの、それでも江川が獲得できなかった沢村賞(83年)を獲得しているのだ。

大洋の遠藤一彦

 そう考えると、これはサラリーマンにとっても参考になる極意だろう。自分を成長させるためのライバルなら、たとえ片思いであろうが、気にすることなく勝手に設定すればいい。ライバルは松下幸之助だ、あるいは孫正義だ、はたまたスティーブ・ジョブズだ。最初は恥ずかしいかもしれないが、そうすることで少しでも偉大なライバルに近づけたら御の字である。

山田隆道(やまだ・たかみち) 1976年大阪府生まれ。京都芸術大学文芸表現学科准教授。作家、エッセイストとして活躍するほか大のプロ野球ファンとして多数のプロ野球メディアにも出演・寄稿している。

※この連載は2012年4月から2013年9年まで全67回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全33回でお届けする予定です。

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