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元MLB本塁打王が川崎球場のトイレで悔し涙を流した【野球バカとハサミは使いよう#9】

ブライアントにビールを注ぐオグリビーの写真がエモい

 野茂英雄が出現する前の日本球界にとって、メジャーリーグは雲の上の存在だった。だから、たまにバリバリの元メジャーリーガーが日本球団の助っ人として来日すると、彼らは日本の野球を見下した態度を見せることが多かった。

 特に有名なのは1987年途中にヤクルトに入団したボブ・ホーナーだ。実力的には評判通りの怪物打者だったが、性格は極めてワガママで、当時の関根潤三監督を困らせたという。

近鉄にやってきたベン・オグリビー

 そんな中、同年に近鉄に入団したベンジャミン・オグリビーは、まれな存在だった。メジャー通算16年で1615安打、235本塁打、さらに80年にはア・リーグ本塁打王も獲得した大物だったが、当時すでに38歳。正直、このパターンは一番危険である。意識の根底に「メジャーでは通用しなくなったが、日本の野球ならまだまだ活躍できるだろう」という見下した計算があり、プライドもやたらと高い可能性がある。

 しかし、実際のオグリビーは予想に反して非常に真面目な性格だった。2年連続で3割20本塁打をクリアした実力はもちろん、メジャーでの実績を鼻にかけない謙虚な人柄で、チームメートやファンに愛された。

 中でも88年10月19日の近鉄VSロッテ、すなわち球史に残る伝説の名勝負「10・19ダブルヘッダー」のときのオグリビーは印象深い。

優勝を逃したダブルヘッダー最終戦の試合後、オグリビー(右)とブライアントの労をねぎらう仰木監督(88年11月、東京・港区の都イン東京).

 あの日、近鉄は惜しくも優勝を逃し、エース・阿波野秀幸をはじめ、ナインの多くが涙を流したが、その中でオグリビーもまた、トイレで号泣していたというのだ。これは、いかにオグリビーが近鉄というチームに溶け込んでいたかが分かる逸話だろう。天下のメジャーリーグで本塁打王にまで輝いた男が、ちっぽけな島国の、ましてや特に人気があるわけでもない球団の敗戦に心を揺さぶられたのだ。

 こういったオグリビーの姿勢は、世のサラリーマンたちも参考にするべきだ。

 例えば、豊富な実績を誇るベテラン社員が定年前に花形部署を離れ、小さな子会社に出向したとする。そんなとき、実績を鼻にかけて不遜な態度を取れば間違いなく嫌われてしまうが、その半面、謙虚になればなるほど、ますます評価を上げるだろう。「実るほどこうべを垂れる稲穂かな」とは、本当によく言ったものである。


頭脳派エモやんはシニカルな発想で王貞治を打ち取った

 あの王貞治が苦手にしていた投手、その一人が江本孟紀である。2人の対戦は江本がパ・リーグの東映、南海を経て、1976年にセ・リーグの阪神に移籍して以降のことだが、江本は王を被打率1割台、被本塁打1本に抑え込んでいる。

 一般的に江本といえば、かの有名な「ベンチがアホ」発言(※81年、起用法をめぐって中西監督を批判。同年に現役引退した)ばかりが注目されがちだが、実力的にも70年代の球界を代表する投手の一人だった。さらに端正な顔立ちと長身痩躯のモデル体形で、女性人気も抜群。マウンドに立つ姿は実に美しく、まさに球界の華であった。

阪神・江本孟紀

 さて、そんな江本は前述の王のことをいかにして抑え込んだのか? その答えは江本の投球スタイルにある。

 そもそも江本は剛速球が売りの投手ではなく、制球と駆け引きで勝負するクレバーな投手だった。だから当然、王対策としても自慢の頭脳をフル回転。結果、次の結論を導いたという。

「王の弱点は真ん中に投げ込まれた、打ちごろの半速球(=あえてスピードを抑えた球)」

 一見拍子抜けするかもしれないが、よく考えてみれば、これほどふに落ちる話はない。

 当時、ほとんどの投手が王対策として自慢の勝負球を厳しいコースに投げ込んでいた。しかし、それでも打ってしまう王を見て、江本はひらめいたという。

 これはきっと、王自身も「相手投手は自分に対して厳しいコースを突いてくるはずだ」と考えているからだろう。そういう心の準備がなければ、勝負球を簡単に打てるわけがない。だったら逆に「どうぞ打ってください」と言わんばかりの絶好球を真ん中に投げたらどうか。そういう平凡なボールに慣れていない王は、意外に面食らってタイミングを崩すかもしれない。

 実際、この大胆な狙いは見事に当たり、王は江本の投げる平凡な半速球を意外に打ち損じることが多かったという。こうして、世にも拍子抜けな王キラーの誕生と相成ったわけだ。

 さすが頭脳派のエモやんである。そのシニカルな発想はもちろん、大胆不敵な性格、度胸の良さも見逃せない。

江本のボールを打ち損じた王貞治。打球を追う田淵幸一(78年5月、後楽園球場)

 そして、これはサラリーマンにも通ずる極意だ。例えば何か困難なプロジェクトを前にして、それをクリアするすべが見つからず、途方に暮れていたとする。

 しかし、そんなときこそ逆転の発想が意外に有効で、それまで深く考えずに却下していた初歩的な方法の中に盲点があったりする。真理とは、得てして平凡の中にあるものなのだ。

山田隆道(やまだ・たかみち) 1976年大阪府生まれ。京都芸術大学文芸表現学科准教授。作家、エッセイストとして活躍するほか大のプロ野球ファンとして多数のプロ野球メディアにも出演・寄稿している。

※この連載は2012年4月から2013年9年まで全67回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全33回でお届けする予定です。

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