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〝スイッチ〟が入った瞬間、左手で箸が自在になった【高橋慶彦 連載#3】

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甲子園のワンプレーで広島がリストアップした

 振り返ってみれば、高校時代の俺は周りが見えていなかったんだろう。「甲子園に出たい」という自分の思いばかりで。練習なんかでチームメートが妥協していると無性に腹が立ったんだ。あんまり頭にきて、仲間を殴ったこともあった。

 そんな調子だから、チーム内でも浮いちゃう。「カッコつけやがって」って。もう、どうにもならなくなって、一度だけ野球を辞めようかと真剣に考えたこともあった。最終的には踏みとどまったんだけど。家族の協力もあって、ここまできたんだからと…。

 そんな紆余曲折を経て3年生の夏に東東京代表として甲子園行きの切符をつかんだ。エースで4番として、母校を初の聖地へと導いた。1回戦は長崎の佐世保工業に3―0で完封勝ち。奈良・郡山との2回戦に2―5で敗れて早々と散ったけど満足感はあったね。だって、小学生時代からの夢だった甲子園のグラウンドに立てたんだから。

 唯一無二の目標を達成した俺に、まさかの出会いが待っていた。城西高の最寄り駅、西武池袋線の椎名町のプラットホームでのことだった。見知らぬオジサンが「高橋くん」と声をかけてきたんだ。その人こそ「スカウトの神様」として知られる広島の木庭教きにわさとしさん(故人)だった。

広島の木庭教スカウト(87年1月)

広島の木庭スカウト(87年1月)

 正式なあいさつは日を改めてあったんだけど、正直驚いた。いくらエースで4番として夏の甲子園に出場したといっても、俺なんて全国レベルで言えば目立たない部類の選手だ。高校卒業後の進路として、プロ野球の「プ」の字も考えていなかったし、明治大学のセレクションだって不合格だったぐらいだから。あとから木庭さんに聞いた話では、甲子園で俺の走塁を見て「これは」と思ったらしい。二塁走者としてヒットで本塁を狙い、捕手のタッチから逃れようとジャンプしたプレーだった。結果はアウトだったんだけどね。夏の甲子園の前にスカウトが見に来ていたなんて話も聞かなかったし、ほんと、そのワンプレーだけで俺の名前をリストに入れたそうだ。

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プロのスカウトの目に留まったのはこのプレー(本人提供)

 そもそも「走塁」が決め手だったことにも驚いた。ガキのころから足は速くてリレーの選手に選ばれたりもしていたけど、甲子園では4番だったから盗塁を求められることもなかったし…。分からないもんだよね。

 オフクロはプロ入りに反対だった。「大学ぐらいは行った方がいいんじゃないか」って。それに対してオヤジは「お前の好きなことをしたらどうだ」と。それで、俺はプロ入りを選んだ。カープがどんなチームかも知らずに。知っていたのは、当時の背番号から「鉄人28号」と言われていた衣笠祥雄さんぐらい。広島行きを決めたのは、安易な気持ちからだったんだよね。

衣笠祥雄2000試合連続出場(86年6月、甲子園)

鉄人28号と呼ばれた衣笠祥雄は2000試合連続出場を達成した(86年6月、甲子園)

古葉監督からのひと言で〝スイッチ〟挑戦を決意

 転機が訪れたのはプロ3年目、1977年だった。この年は一軍で58試合に出場して130打数38安打で打率2割9分2厘、14盗塁という成績を残しているんだけど、夏ごろだったか、古葉竹識監督から俺の野球人生を大きく左右する言葉をかけられた。

広島コーチ陣、左から寺岡孝、阿南準郎、田中尊、内田順三、古葉竹識監督(84年6月、大分)

広島コーチ陣、左から寺岡孝、阿南準郎、田中尊、内田順三、古葉監督(84年6月、大分)

「スイッチヒッターに挑戦してみるか?」

 もちろん答えは「やってみます」。右打席だけでも3割近く打っていて「何とかなりそうだ」という手応えのようなものはつかんでいたけど、それだけで食っていける自信はなかった。武器である足を生かすためには左でも打てた方が有利だ。勝算があったわけではないけど迷いはなかった。

 まず考えたのは、時間の使い方だ。既に書いたように、俺が野球を始めたのは9歳のとき。右打席一筋でプロとしてやっていけるというレベルに達するまでに11年を要した。ということは…と考えをめぐらせてはじき出した答えが「左打席でもプロでやっていけるレベルにするには11年かかる」だった。

 いくら若手だといっても11年かけて練習するわけにはいかない。むちゃなように思われるかもしれないけど、11年分の練習を1年でやるしかなかった。限られた時間を有効利用するため、1日の時間割表も作った。何時から何時はマシン打撃、何時から何時は素振り…みたいな感じで。それでも時間が足りなくってね。当時は冗談抜きに「1日24時間では足りない」と本気で思っていた。

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