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永田裕志「アレの夢でうなされて夜中起きたことだってあるんだから」【思い出したくない恥バウト】

 今週から2009年に紙面連載されていた「私の○恥バウト」を東スポnoteで復刻します。思い出したくもない過去の暗黒部分を、わざわざ本人に振り返ってもらって紙面にし、さらに14年後に再び引っ張り出すというのは残酷かもしれませんが、資料的価値も高い企画なのでやむを得ないという判断に至りました。

 第1回は新日本プロレスのミスター・永田裕志が登場。永田は嫌な顔をしながらも2005年1月4日東京ドーム大会で行われた伝説の総合格闘技版バトルロイヤル「アルティメットロワイヤル」について語ってくれました。

会社が悪い

 あの試合は、あの当時の会社の体制が悪い。プロレスをしっかり見せなきゃいけない中で、総合(格闘技)にコンプレックスがあったのか何だか知らないけどさ。ルールもしっかり決まってないのに、オレが「やれ」って言われたの、試合の2日前だからな! それで「とにかくすごい試合をしてくれ」とだけ言われてさ。勘弁してくれって感じだったね。要するにあの時は、新日本が猪木事務所の無理難題を全部聞いてたから。

 その日は(弟の)克彦とも試合をしていた? あれだって克彦に本当はプロレスやらせようって話だったんだよ! タッグマッチで。ほんとにいい加減だったんだから。それで「(できるとしても)レスリングのエキシビションぐらいだろ」って言ったんだ。

弟の克彦(右)とも試合をした永田。互いに白けた表情が印象的だ(05年1月、東京ドーム)

 あの日は控室でもなぜか皆シリアスな顔して、すげえ集中してて。そこに中西(学)さんが、オープンフィンガーグローブ着けて迷彩パンツはいててさ。参ったよ。アレを見たときにはもう…。いや、トラウマだよ。トラウマ通り越してウマシカ(馬鹿)になっちゃったよね。

 そりゃ選手は「(隣の試合に)ぶつかっちゃいけない」って思うから、全力ファイトなんて無理だよ。プロレスさえやらしてくれればという自負はあったのに、あんなクソみたいなモンになって。オレの中でしばらく立ち直れなかったよね。

 一日でブルー・ウルフとドルゴルスレン・スミヤバザルの蒙古兄弟を撃破した? そんなことにも思い入れがなくなっちゃうくらい、迷走してたよ。結局その後、新日本は(ユークスに)買収されたわけだけど、それを占うかのようなドーム大会だったな。あの日はメーンで(中邑)真輔と棚橋(弘至)が試合をして、それが当時えらく高い評価を得たんだけど、そりゃあんな土台がありゃ良く見えるっつーの。

むなしさしか残らなかった

 改めて1日4試合を振り返って? とにかく、「疲れた」を通り越してむなしさしか残らなかった。会社はあの試合に外の選手にも出てくれって言ってたんだけど、皆断ってきたんだよ。でもオレ、試合2日前だぜ? 選択権もなくて、あん時ばかりはフリーという立場がうらやましかったよ。

 どうやって立ち直ったか? とにかく忘れることだけに専念して、それだけだよ。アレの夢でうなされて夜中起きたことだってあるんだから。

 あー、もう思い出してきちゃったからこれ以上話したくねえ。どっか行け! じゃあな。

大混雑のリング上でスミヤバザルを攻める永田の泣いているような表情が印象的だ

【アルティメットロワイヤル】8人の選手が総合格闘技ルールでバトルロイヤルを行った。参加選手は永田、B・ウルフ、D・スミヤバザル、成瀬昌由、矢野通、中西学、長井満也、ロン・ウォーターマン。永田はウルフ、スミヤバザルを撃破して最後の2人まで残ったが、ウォーターマンのアームロックに屈し、優勝を逃している。永田は第4試合で弟・克彦とエキシビションを行った後、第7試合のロワイヤルに出陣する獅子奮迅の働きだった。

※この連載は2009年4月から10月まで全14回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やしてお届けする予定です。


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